全て貴女の腹の内
生原は、コンビニの駐車場で酔っ払いに尻尾を掴まれ、望まぬ自切をしてしまった。
尾の先端から三分の一ほどが切れ、アスファルトの地面でのたうっている。
それを見て人間の男の酔っ払いは絶叫し、生原はそれに呆れて肩を竦めた。
……ひどいなぁ、尻尾を掴んで舐めてきたのはそっちじゃないか。
男の叫び声に、背の高い女子店員が店から走り出てきた。腰のくびれに届きそうなほど長いポニーテールが揺れる。
「あんたね。……蜥蜴の尻尾、掴んでおいて、ただで済むと思うな」
女子店員は凄みを効かせた低い声で言い、不埒な男を睨み付ける。
睨まれて竦み上がるそいつを横目に、彼女はそっと、生原のそばにしゃがんだ。
胸の名札に【かがや】とひらがなで苗字が書いてあるのが見えた。
「警察、呼びますか?」
と訊かれた。獣人と人間が共存する世の中とはいえ、爬虫類系獣人は未だに敬遠される。蜥蜴獣人の身で、警察の世話にはなりたくない(この職業に就けるのは、法律で人間と犬獣人だけと定められている)。
生原がふるふると首を横に振ると【かがや】は頷いた。
「尻尾はお持ち帰り下さいね?」
くたりと動かない細い尾を大切そうに腕に抱いて、【かがや】はそれを生原に渡した。その時、【かがや】がちろりと舌舐めずりをしたのを、生原は見逃さなかった。
【かがや】は、このコンビニのアルバイト獣人の中で唯一人間の容姿の子だ。高身長、艶やかな黒髪。きりっとした目鼻立ち。綺麗な女子だ。獣人証明マークを、制服の襟に付けているけど外見には獣の特性は現れておらず、尾も獣毛もなくて何の獣人だろうと気になっていた。そんな私を彼女もじっと見てくるのだけど、目が合うたびに、いつも気まずげに視線を逸らされて、私はちょっと傷付いていた。
でも、そうか。彼女は蛇だ。さっき見えた舌は細長く、その先端は二又に分かれていた。蜥蜴の私を、美味しそうだなって見ていたのかな。
疲れた体を引きずって、生原はコンビニの裏のアパートに帰ってきた。
久々の自切にエネルギーを消耗しすぎて、疲労困憊。狭い玄関にそのまま倒れ込む。
尾の再生の為にも、しっかり栄養を摂りたいところだが、食事を調えるどころか、立ち上がる気力もない。
目の前に、切断尾がごとりと転がる。
そういえば、今年初の自切だな。本体の傷口もきちんと塞がっている。一安心だ。
脱皮のサイクル的に、年に1,2度なら、尾は切れても無事に再生できるはずだけれど、仕事に疲れた三十代の蜥蜴女の身体には、自切はかなり大きな負担だ。
獣の部位を治すには、獣や獣人の新鮮な血肉に含まれる精気が欠かせない。普通の食事よりも、精気を喰らいたい。でも、今、手元には……自分の切れた尻尾しかない。
疲れた。お腹空いた。何か食べたい。お肉食べたい。自分の肉は嫌だ、食べたくない。お肉食べたい。何か食べたい。お腹空いた。疲れた。
ぐるぐると巡る考えに目が回った。
「ねぇ、起きて? 玄関開けっ放しで倒れるとか、ほんと、頭だいじょぶ!?」
体を揺すられ、生原は目が覚めた。自分を覗き込む、きらきらした蛇の目。
「か、がや、さん?」
「あんた、獣人の精気、薄まってんじゃん、下手したら死んじゃうよ⁉」
かぷっと彼女は自分の手を噛んだ。熱い滴りが生原の唇を濡らす。それを生原は本能的に舐め取った。
「お隣さん、今はこれで我慢して」
お隣さんだったのか、この子。あのね、私の名前は“オトナリサン”じゃなくて、
「生原、です。生原杜乃」
「自己紹介なんていつでも良いの、今それどころじゃないでしょ、もりのさん」
叱りながら、さらっと名前で呼んでくれる。
「ベッド、奥ね? 入るよ」
軽々と生原を抱き上げ、【かがや】はズカズカと寝室へ入る。ベッドに生原を寝かせ、「早く元気になって、また綺麗な尻尾、生やしてよ」
そう言いおいて、部屋を出ていった。
されるがままにベッドに横たわった生原は、もぞもぞと毛布に包まり、【かがや】の血の味が残る唇を指先でなぞった。
【かがや】ちゃん、綺麗な尻尾って言った。蛇のくせに。蜥蜴の尾を、綺麗だって。
本当は。食べたいって思ったんでしょ。舌舐めずりしてたじゃない。
でも、綺麗だって。私の尻尾。
ふとした思いつきに、生原は楽しくなって含み笑いをした。
どうせなら、切れてしまったあの尻尾。
あの子に食べさせたい。