嘘つきとAIと某国の諜報員②
心地のいい風が頬を撫でる
僕はその中を目に映る湖に向かい足を進めて行く
一歩一歩進むたび、
足元に当たり一面広がる背の低い草を踏む感触が伝わってきた。
気になって足元を見ると
靴を履いていない事に気が付く
足の汚れが気になってしまうが
綺麗なままの状態だ
——俺は、何をしていたんだっけ……
何か目的があって来たはずなのに
その目的が思い出せず足が止まる
しかしあの湖で何かをしようとしていた様な気がするので再び歩き出す。
——そうだ、私はいつもあそこで誰かと会っていた
湖畔が近づくにつれ
少しづつ目的を思い出し始める
ここでしか会えない人
僕を僕だと思い出させてくれる人
その女性に会わなければという焦燥感に駆られ少しづつ足を速めていく
湖畔についた私は、水に足が浸かる位置に立ち
水の温度を肌で感じる
少し冷たいように感じた。
そんな気がした
そして左に少し首をを振ると
桟橋がかかっているのが見え
その先端に一脚の椅子とアイスボックスが置いてあるのを確認でき
自分の居場所はあそこだと感じ、向かい始める
湖畔には小さい石が多く広がっており
足裏にゴツゴツとした石の感触があるものの痛みは無かった。
椅子を見た辺りから
少し頭がスッキリし始めているのを感じ
僕はここに来た経緯を——
——『僕』?いや『私』は……違う『自分』は……
途端に得も言えぬ不安に襲われ足を止めてしまう
何かを無くしそうな
そんな不安が次々と押し寄せてき
——なんだ?ここに居るのは誰なんだ
自らの足や手、この視界から見える景色までもが別の誰かのもので
偽物の『虚像』に思えて来て、遂にはしゃがみ込んでしまう
——怖い……
うずくまりながらもこの先の展開が脳裏に浮かぶ
——ここで誰かに声を掛けられ『俺』は……『私』は……
その脳裏に浮かぶ誰かだけが今は希望であり
その時を震えながら待つ
目の前は次第に暗くなり
不安は大きくなっていく
まだか
まだかまだか
まだなのか
「……秋山響」
その時、背後から声が聞こえ
その声を聞いた途端視界が明るくなる
——ああそうだ……『僕』は
生活感のない部屋
あるのはベッドと投げ捨てられた白いのスーツのジャケットだけ
その部屋の主はベッドでうつ伏せに寝ており
今まさに目を覚まそうとしている
「……よみ」
寝言の様にボソリと言った後
男が上半身をムクリと起こす
男の髪の全体は黒だが
一部前髪に脱色し白くなった束があり
印象的な感じを与える
「やべ……今何時だ」
男は慌ててベットから飛び起き、床に投げ捨ててあったジャケットを拾う
すると、それとほぼ同時に男にコール音の様なものが聞こえ、反応する
「……柚木、はぁ」
その音は、男にしか聞こえておらず
それは、男の脳に埋め込まれた“B,M,I”
ブレイン・マシン・インターフェースに対する通信を知らせる音であったからだ
そして、男は意を決して通信を受けようと宙を人差し指でなぞる
男にだけ見えるUIを操作し、通話ボタンを押した瞬間であった。
『秋山響!今何時だと思ってんの!』
あまりにも大きな怒声に男の体が強張る
“B,M,I”を通しての通信は脳に直接信号として転送され音声として脳が認識する
周囲の喧騒に影響されず音声のやり取りが出来るので大声を出す必要が無い
つまり、この大声は合理的に考えれば全く必要のないものである
『うるせぇよ柚木、今から向かうって』
秋山は白いジャケットに腕を通し部屋の出口へと向かいながら言う
足取りは早く、そこからは少し焦りのようなものが見て取れる
『課長も来てるから早く』
通話先の柚木と呼ばれた女性の声はまだ怒りが収まっていないようで、
その言葉を残し一方的に通信を切る。
「なんだよ!ったく」
秋山の視界に広がるUIの左下には小さくオンラインとあり、自らの“B.M.I”がAIネットワークに繋がっている事を示し
そして右下に表示された通信途絶という文字が柚木の怒りを示していることに気が付き、足を速める。
この施設は組織で働く職員のため、4畳程度の個室が50室程用意されており
それらは10階と9階に配置されている。
秋山もその内の一室に常駐しており
通常普通に歩いて向かっても降りるのに15分程
掛かる所
施設内を全力疾走した秋山は、地上10階の居住区画から2階にある会議室に2分という時間で到着する。
—2分後—
会議室に到着した秋山は全力疾走の結果乱れた着衣と髪を正すこと無く
そのまま扉をくぐる
扉は自動で開き、右側にスライドした扉の先に金髪のミディアムヘアにウェーブを入れた小柄な女性が座って居るのを確認できた。
女性は、部屋の中央に置かれた10人は座れるであろうテーブルに向かい端末を操作しているが
秋山が部屋に入ってきたのを見た女性が声をあげる
「秋山!遅い!」
秋山はボサボサに乱れた後頭部を掻きながらウンザリした素振りで向かいの席に向かう
「柚木はいちいちでかい声出すなよ」
「急に緊急会議って言われてもこっちにも予定ってもんがな」
秋山がそこまで言った所で
会議室のテーブル中央に座った所々白髪が混ざった、何処か弱々しい50代後半の男性が口を挟む
「秋山君……緊急会議なんだからそりゃ急に言うよ」
それを聞いた秋山は
それもそうか、とボソッと言い納得した様子で椅子に腰掛ける。
「係長!もっと強く言ってやってくださいよ」
係長と呼ばれた男の対応に納得がいかない柚木が声をあげる
しかし、秋山は意に介さず別の話題を係長に振り始める。
「緊急の用件って割には班のメンバー2人が来てないみたいだけど」
そして係長もまた、柚木の不平不満をサラリと躱し秋山の問に答える
「あの子達は5班の応援に貸し出しているから今回は居ないよ」
「5班ってシフトでは昨日から休みじゃなかったっけ?」
「一昨日の事案が長引いているみたいだねぇ」
秋山と係長が話をしている光景をまだ納得していない柚木が、唇を尖らせ聞いていたが
遂には我慢できずに口を挟む
「係長!本題へ!!」
会議室内に響き渡り
2人が会話を辞める
そして、コホンと咳払いをした後
淡々と話し始める
「事案発生だよ」
「昨晩、何者かが我が国の保有する世界に5基しかないS級AI“ツクヨミ”の情報を探る動きがあった」
秋山は姿勢をただし
柚木も端末を操作し始める
「この事案は、間違いなく我々の担当業務だ……」
係長はその言葉の後にもう一言付け加える
「我々“媒鳥”のね」
秋山達の所属する組織とは、国内外問わず知れ渡る日本のAI保護機構
一般的には“媒鳥”と言う名前で通っている
その業務内容はたった一つ
世界で5カ国しか保有出来ていない高度AI
通称“S級AI”を保護し情報の漏洩を防ぐ事を主としている。
この組織の発足理由に関しては諸説あるが
各国のスパイが互いにAIの情報を奪おうと、活動を強めていることにある。
嘘付き同士の情報戦
秋山はそんな組織に身を置いていた。