(5)
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勉強の途中、わたしはトイレへと自室を出、何となく階下を、照明の消えた階段より窺ってみた。
お父さんが会社より帰ってきた時、わたしが、お父さんの辿る導線におらず、三階の自室などにいる時でも、お父さんは、わざわざ足を伸ばして「ただいま」とわたしに言いに来てくれることが多いのだが、一向に来る気配がない。
とはいえ、ないならないで別にどうということもないので、わたしはあまり気に留めようとは思わなかった。そういう日もあるかというくらいに軽く受け止めた。
だが、違和感というのは、それが生じた時、幾分か真実を捉えていることが多いものだ。
トイレより自室へと戻って10分くらいした頃、部屋の扉がノックされ、わたしはイヤホンを外し、返事した。
現れたのは勿論、お父さんなのだが、憂色一面で、外行きの防寒着を家でも着用したままで、どうも様子がおかしい。
お父さんは、後ろ手に扉を閉めると、その場に俯いて立ち竦んだ。
「どうしたの」とわたし。「具合、悪そうだけど」
「鈴。ちょっとお前に言わないといけないことがあるんだ」
「……」
この低く沈んだトーンは、悦ばしい話とは遠いものだった。
わたしは、よからぬものを予測したが、何があったのかという興味が勝り、先を促した。
「お父さんな、会社、クビになるらしいんだ」
「――え?」
そのセリフは最初、あまりにもセンセーショナルなせいで、わたしにはうまく飲み込めず、聞き間違いかあるいは嘘かと思った。
だが、そのセリフと、お父さんの沈鬱な状態とを照らし合わせれば、何事も調和的であり、疑う余地などなかった。最早、勉強どころではなかった。
「クビって、解雇、リストラってこと?」
お父さんは、コクリと頷く。
「何で。お父さん、まじめに働いてきたんじゃないの」
「真面目に働いてきたさ。だが、経営不振が続いたんだ。整理解雇ってやつだよ」
「そんな、急に言われても……」
「退職までは、一カ月の猶予がある。その間に、おれは、新たな職場を見つけるつもりだ。だから、鈴、お前は余計な心配はしなくていい。勉強に集中すればいい」
お父さんは、気丈に振舞っているけれど、目元が真っ赤になり、ほとんど泣いているに近い表情だった。わたしもショックだが、お父さんは、もっとショックで、打ちひしがれているに違いない。
わたしはお父さんの言うままに頷いて、やがて話は終わり、お父さんは部屋を出ていった。
その後、わたしの勉強が捗ったわけがなく、わたしは勉強を中断し、スマホでネットサーフィンして、《父 クビ》というキーワードで検索をかけ、わたしの家と近い事例を探しまくった。
何となく世間に見捨てられた気分だった。将来どうするか決めないといけない大事な時期に、未成年の娘がいる男の従業員を、会社は、どうして簡単に経営の都合でやめさせることが出来るのだろう。
わたしは恨めしくなったし、悲しくもなった。
PM7時過ぎ。
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