(2)
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凍りそうなほど冷たい水道の水を桶に汲み、自由に使ってよい柄杓をその中に突っ込んで、わたしは墓地の中を、お母さんの墓石へと向かった。
ずらりと並ぶ墓石の間に通された細い道を行き、わたしは、やがて一族のものが集まっているところに来る。
『一之清家之墓』と、御影石の墓石に刻まれている。周りには縁のある親族の墓がある。お墓を囲う針金の隙間に差してある、一枚の小さい卒塔婆には、お母さんの戒名が書かれており、他の卒塔婆には、祖父母の戒名が書かれている。秋の彼岸の頃にお寺で貰った卒塔婆は、この十二月までの二、三カ月の間風雨に晒されて、汚れ、また、いくぶんか反っていたので、わたしは抜き取ってしまった。
その時期になればわたしは、お墓参りにお父さんと訪れるが、以前、お墓参りの最中に、複数あるお墓をひとつにまとめようかという考えをふと、誰に言うでもなく口にしたことがあった。
わたしは、お墓のことなんて全然分からないけど、お母さんの遺骨が、一族合同のお墓にまとめられることを想像すると、何だかお墓参りに行く気が削げてしまう気がし、内心で抵抗があった。積極的に反対はしなかったけど。
――自転車に乗る時の手袋を脱いだものの、防水の手袋がなく、真冬の外の水道の水を剥き出しの手で触れるのは拷問に近いものがあった。手がヒリヒリするほど冷えた。
「お母さん、お墓参りに来たよ」
ポツリと呟いて、わたしは地面に置いた桶の水を柄杓で掬い、墓石に掛けていく。
草花を挿して入れる筒は、ずいぶん前に枯れてみっともなくなった樒を抜いて以来、空っぽだ。ちょっと寂しいけど、お墓参りのシーズンでなければ、さほど心配する必要もない気がした。
水をかける作業が終わると、わたしは、携行してきた線香を束にし、ライターで着火しようとした。
この着火の作業がいつも思うように行かず、今回も、ライターの火が風に煽られて安定せず、また比較的安定する時が来ても、束になった線香の一本一本に、均一に火が通らないのだった。
わたしが、お墓とお墓の隙間で風を防ぎながら、しゃがみこみ、根気強く火で線香の束をあぶり続けていると、しばらくして、尖端が赤熱しだし、何とか火付けが完了した。
線香の束の内の何本かを、それぞれのお墓の線香立てに、合掌と共に立てていく。線香が燃える際の独特の甘いような芳香が、香ってくる。
お母さんのお墓を、最後にする。
線香を立て、合掌し、目を瞑って、故人の冥福を祈願する。
目を開け、お墓参りの道具一式に合わせて持ってきた一枚の写真を荷物入れより取り出す。お母さんの写真だ。家族旅行で海に行った時の写真で、展望台で海景をバックにわたしとお父さんとの三人で映り込んでいる。皆、笑顔だ。
まだ、亡くなって5年と経たないお母さんの生前の姿を、その墓石の真ん前で眺めていると、未だに、不自然という感覚になる。
お母さんが亡くなったのは曲げることの出来ない事実だけど、その事実をまだ受け入れ切れていない頑迷な自分がいて、お母さんが死者であることに納得出来ないのだった。
わたしの口から、思わず、ハァ、とため息が漏れた。その息は真冬の冷気い白く凍り付き、喫煙者の紫煙のように宙を漂いながら淡い軌跡を描いて昇り、そして消えた。
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