(5)
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母親の分まで夜食で出た洗い物を済ませると、美由紀は、リンゴの皮をナイフでクルクルと慣れた手つきで剥き、まな板の上で食べやすいサイズにカットしてお皿に盛り、食卓へと出した。
「リンゴだよ、ママ」
「……」
美紗樹は居眠りをこいて返事がない。
「ママ!」、と気持ち声高に呼びかけると、母親は目蓋を開き、ぼんやりした瞳を露出させる。
「――あぁ、ありがとう。後で食べるよ」
「時間が経つと、ぬるくなるよ」
そう言って、美由紀は爪楊枝の刺さったひとつを口に入れ、サクサクと噛み砕いて甘酸っぱい果汁を味わうと、キッチンへと戻った。
ナイフとまな板をシンクですすぎながら、美由紀は、今はいない父親のことをふと考えた。
――そういえば、『しんごさん』と最後に面会してから、どれくらい経つだろう?
美紗樹と彼女の夫、しんごは、娘の生まれた後、離婚した。その原因は、美由紀の忌み嫌う不倫などの不純異性交遊ではなかった。単に、それぞれの合い口が悪いことが、結婚後に段々と露呈していったことが、原因だった。
仮に父親のしんごが不倫で母親を悲しませ、離婚することになっていたとすれば、美由紀は彼に対し、生理的嫌悪感を持ち、面会を要求されても、拒絶して受け入れなかったことだろう。
だが、美由紀は特にしんごのことを嫌っているわけではなかった。――確かに、嫌っているわけではなかったが、彼女は、ちょっと軽蔑の念を持ってはいた。
母親、美紗樹がまじめな勤め人であるのに対して、しんごは浮薄だった。プー太郎ではなかったが、職歴が多く、またバラバラで、大した稼ぎがなく、意思の弱いひとだった。やさしくて、度量が大きかったけど、その性質が徳となるには、実生活での能力が著しく欠損していた。
離婚したのは、美由紀が中学生くらいの頃で、美由紀にとっては、その時の記憶はさほど鮮明ではない。元々家に居場所がなく間が悪そうにいた男が、とうとういなくなったというだけのことに過ぎなかった。
どうして母親が、そういったロクでもない男と一緒になったのか、娘の美由紀にはよく分からなかったし、聞くことなど、気遣わしくて、とても出来なかった。
しんごは、今どうしているのか。美由紀はいささか興味があった。
だからといって、美由紀は、みずから彼に会おうという気にはならなかった。
しんごは、彼女の思うに、美由紀が目下、高校二年生という受験を控えた時期であることを慮って、面会を慎んでいるのだろう。
最後に会ったのは、高校に入学して程ない頃だった。
カウンターより、食卓を窺うと、母親が爪楊枝に刺さったリンゴをサクサク食べている姿が見えた。とりあえず、意識は醒めたと見える。
だが、大きいあくびが聞こえたかと思うと、「お風呂入ろうっと」という独り言が聞こえ、娘は、「もう、沸かしてあるよ」、と返すのだった。
食卓の皿の上のリンゴは、すっかり平らげられていた。濡れた手をタオルで拭きながら、美由紀は、空の皿を見下ろし、残念に思うのだった。
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