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沈黙の園  作者: Yuki_Mar12
『鈴』の章その①~或る晩秋の一日から~
10/32

(10)

***




 大学受験するとすでに決めているなら、勉強に本腰を入れられるのだろうが、あるいはしないかも知れないという思いがあると、やはり頭は冴えないものだ。本当にやらなければいけないという認識のあることにしか、気力を費やせないようになっているのかも知れない。


「12月の中間テストだけど」


 と、綾さんが、区切りのいいところで言う。


PM8時半ごろ。


 お父さんはもう、退社して帰ってきている。


「――詳しい範囲は知らされた?」


「いえ、まだです」、とわたし。


「そう。範囲が分かったら、教えてね。テスト対策用の勉強に、切り替えるから」


「分かりました」


「今日はそろそろ終わりにしようかな。鈴ちゃんはどうする? 続けたいのなら付き合うけど」


 綾先生の言に、変な含みはなかった。わたしに意欲があればしばらく学習を続行してくれるし、なければないで構わなかった。


 わたしは、しばらく考えると、「今日は、もうやめにします」、と返した。


 綾さんは納得し、文具をまとめてバッグに仕舞うなどし、帰り支度を始めた。わたしは、勉強机の上をサッと片付けた。


「そういえば」、とわたしは呟く。「綾さんって、一人暮らしなんですね」


「うん。そうだよ」、と、バッグを腿の上に置き、片腕を机上にのせている綾さんが答える。「ご飯、どうしようかなぁ」


「夜ご飯、ですね」


「そう。帰って作るか、スーパーとかに寄って、御惣菜を買って帰るか」



 綾さんが一人暮らししているというのは、彼女が家庭教師として家に来るようになった当初、会話を通じて知ったことだった。


 わたしは密かに、綾さんという存在を、ひとつの将来像として見ていた。わたしが進学して、その先が遠方で、一人暮らしするようになった時の自分のモデルとして。確かに、例として参考になる部分はあった。



「自炊されるんですか?」


「うん。する時はする。いつもじゃないけどね」


「すごいですね」


「全然、大したことないよ。わたし、簡単なものしか作れないし、それに、鈴ちゃんだって、自炊出来るっていう点ではいっしょでしょ?」


「自炊は、出来なくはないですけど、やっぱりお父さんに任せちゃうことが多いです」


「いいの、いいの。鈴ちゃんは勉強に集中して。家のことは、お父さんに任せちゃいなさい」


「あ、そうだ」、とわたしは、あることを思い付いて発する。「綾先生、何かおかずでも持って帰りますか?」


「え?」


 突然の提案に、先生はきょとんとする。


「何か持って帰ってもらえるものがあると思います。ちょっと見てきます」


 と言って、わたしはキッチンへと向かうため、立ち上がったが、綾さんがわたしの肩を持って制止する。


「いいの、鈴ちゃん。気を遣わないで」


「……」


 肩に触れる先生の手に、気迫が滲んでいる。


 わたしはその意が自然に汲み取られ、再び椅子に座り直す。


「ありがとう。帰るわ。お疲れ様、おやすみなさい」


 先生は立ち上がって手を振り、辞去する。


 わたしも立ち上がって一礼し、挨拶を返す。


「こちらこそ、ありがとうございました。また次回も、よろしくお願いします」




 わたしは、綾先生に階下まで随伴した。途中、お父さんのいるダイニングに向かって、彼女は大声で帰りの挨拶をすると、お父さんが現れて、じかに「ありがとうございました。お疲れさまでした」、と礼を述べた。


 玄関を開けると、厳しい冷気が入り込み、綾先生の着る中綿コートはとても暖かそうだった。季節はずいぶん冬めいてきたものだ。最近まで、台風の影響が続いていたというのに。


 バックグラウンドは、街路灯が辛うじて明るい、真っ暗闇。




 PM9時過ぎ。




***

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