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【未来】は予測難だが現状、己の、在り方で、
『前向き』でありたい!と思える心境ではあった。
【内なる世界】【外なる世界】… …
僕が競技として打ち込んでいたのは、もう、かなり前で、それは自転車ロードレースだった。
トップレーサー達の、そのレースを一般の人々には知るよしはないのか…?といえば決して、そうではない。
『今』に通ずる話か、どうかは、かなり怪しいのだが、プロ達のレーサーはレースを『完走』に、あまりウエイトを置かなかった。
僕は、この島国である日本で自転車ロードレースに燃えていたわけだが、
自転車連盟に所属して、そのオフィシャルの大会にエントリーして走っていた。
【燃え盛る恋愛ほど短命である…。】
自転車連盟に所属して、そのレースを走るというのは規定に乗っ取り、なおかつ、定められたロードバイク、ユニフォームで走れるか?ということくらいでハードルは高くない。
上のカテゴリーで走ることが至難であった。
僕には至難であった。
僕が、もがいていた一番下のカテゴリーで上位にならないと上のカテゴリーでは走れないのだ。
僕には苦い経験があって、
一番下のカテゴリーで、それなりに走れていると踏んでしまった僕は連盟の関係者に一つ上のカテゴリーで走ることを懇願した過去があった。
それが叶い、
結果、その一つ上のカテゴリーでは本当に、まともに走れなかった。
『きゅうそ、ねこ、かみ』とは追いつめられた鼠は猫をも噛む、ということで、僕がしたことも、
そうであった…。
年間20レースほどあるのに全て出る。
レースによって比較的、完走しやすいレースというのがあり僕は時間と御金を使い、全国で転々と開催されるレースに全て出走したのである。
その甲斐あって僕の力でも完走できたレースにおき、自転車連盟が規定した『完走ポイント』が僕に入ったのである。
年間レースが全て終わり、
僕は取れるポイントは全て取って、
来期も今期と同じカテゴリーで走れることをほぼ確定だと信じた。
次シーズンが始まる前に連盟が公にした僕の走れるカテゴリーは……一番下であった。
間違いなくポイントにより、カテゴリー分けは行われていた。