時の番人
マネー社会と無縁であることが出来ないと僕が思うのは現在、世界においても物々交換でコミュニティが成り立っている…というのは、まず、ない…、そんなコミュニティがあったとしても、もう僅かでは、なかろうか…。
無性に、ただナイアガラの滝を生で見たい!
アメリカまで行き、そこから滝までの道のりもあり、日本から出発して帰国したいなら飛行機の往復搭乗である。
『ありのままのアナタでいい…。』
そう聞かせてくれる他者の言葉はテレビ、ネット、書店にも溢れていた。
ナイアガラの滝を直に見ることのみでしか、
僕は己の人生観が開くことはないのか…?
ごちゃごちゃ考えれば考えるほど、
「己の好きなことを思うままに、やってみれば?」
という僕の心の声が聞こえる気がする昨今である…。
フィクション作家が
『事実は小説よりも奇なり。』を座右の銘にしているのは、僕にとってのギャグであって、
僕の空想であり、
世に言い放ったことはない。
人間一人の『想像力』『妄想力』『願望』『欲望』…、
それらは計り知れない。
長く生きていると様々なことがある。
この国においての政権交代もリアルタイムで味わっていた。
ざっくばらんに、自国の人口が一億二千万人であり、その、ほぼ一割が『東京』であるという怪奇は紛れもない事実であるが、地方に住む僕にとって法に乗っ取った取り決めにおいて僕は選挙権がない…という時分は間違いなく無かった…。
政権交代が確かにあった時代……ETCが普及したのは、そんな遠い昔ではなくて、
一度、高速道路のインターをくぐれば、
次にインターを降りるまで、
一律1000円という時代があった。
国をもってしてETCの普及を広めたい…
ETCを取り付ける業者は儲かる…
ETCを生産する業者も儲かる……
マイカーを保有している人達は、ETCを設置して
それは計画を練り高速道路を走った。
一台四人乗りで四人乗っても1000円は1000円である。
だが、その恩恵を享受できない人達がいた。
マイカーを保有していない人達である。
それに加えて時の政権は、あれこれやる…。
「本来、得れるところで収益が取れない…では、なにか別の所で税収を補てんしなくてはならない。」と…。
マイカーを持つということは、
購入費用、ガソリン代、
調子が悪くなれば修理代、
車検費用、
登録してある車には排気量に応じた車税……。
【僕は一体、今まで何処に居たのだろう……?】
みんな違って、みんなイイ♪♪
との思いの元、僕は今日を生きていたが、
どこかで線引きをしないと事は進まない世の中だろう…。
僕の敬愛する作家方々が、
【その過程にこそが大事であったのだ!】
と、それは全身全霊でメッセージを込めて
作品を描き続けてくれたのに、
僕は、
(その始まりは、しかと分かった…で、結局、最後は、どうなるんだ!?)と、
1巻と最終巻だけを読む癖が抜けなかった。
(なんだぁ……結局、チャンピオンにはなれなかったのか…。)
(意中の異性とは結ばれずに終わりかぁ…。)
僕が良い意味でも悪い意味でも大人になってしまっていたことを示唆する悪癖であった。
『連載物の業界は、飽きさせずに見せる、読ませるだよ!』
誰かの、その声にも僕は聞こえていて聞こえないふりをし、ただただ己の生活を充実させたく意義のあるものにしたくて、
貪るように己の思いがままに、誰かの血と汗と涙の作品群をハッしょって見る、読む、聞いた…。
《その結果、僕は、どうなったのか……?》
感情というのは究極、四つに分類されるらしい。
『喜怒哀楽』である。
悲しい…という感情が、もし無い人がいれば、
僕は、それは人ではないと思う。
五感というのは、
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚を言うらしい。
僕は今夜、眠りに就く…。
朝目覚めたなら、それは五感で外と接する。
もう、それは幸せな人と、
とても大変な人を僕は知る。
それは無限に、この先も広がり続けるであろう…。
予感がするんだ…
どこまで行っても、
どれだけ時が過ぎようと、
僕は、いつも己が、その中間である…と。
己の全身全霊を尽くしても、それは変わらないのでは、
ないか?……と。




