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イヌとネコの邂逅 3

 市場を出てしばらく歩き、広いストリートに入る。ツカツカと足早に進むアントニナに、相変わらず弐郎介は同じ歩速で付いて来ていた。


 そのストリート沿いに建つ家々は古いものと新しいものとがごちゃ混ぜになっており、また外壁の色も建築様式も統一されていないので、街並みがなんだか乱雑で落ち着かない。元々の古い街に急な開発の波が押し寄せた結果だろう。

 広い道路の中央には石で造られた水槽があり、馭者は自分のカマドウマにその水槽の水を飲ませていた。どうやらカマドウマ専用の、公共の水飲み場のようだ。

 


「……あのさぁ。いつまで付いてくんの?」


 アントニナはうんざり顔で言う。


「残念だけどあたし、アンタに施せるほど裕福じゃないから」

「たかるつもりはねぇですよ……ただ、自分には行く所もねぇんで……こうやって付いて回ってるだけです」

「あたしから見たら狂人に付き纏われてて恐怖なんだけど」

「……そんな狂人狂人だって言われるもんだから、こっちだって意地になってんですよ」

「ジョーク……子どもか」

「良く言われます」


 そう言ってからナーバスに喉で笑う弐郎介。


「あぁ、それと……助けて貰ったお礼がまだでしたな」

「別にいい。お礼できるほどアンタ、物持ち良さそうに見えないし。それにアンタのおかげでスペンサーを捕まえられたから、お互い様」

「……あのぉ」

「なに?」

「お互い自己紹介したんですから、『アンタ』じゃなくて名前で呼んでくれませんかね?」


 アントニナは少し間を置いて呼んだ。


「じゃあ『イヌ』でいい?」

「……じゃあこっちは『ネコさん』でいいですかね?」

「は?」

「だって『クライキャット』って、日本語……オロト語か……それで訳したら『ネコナキ』になりますし」


 するとアントニナは足を止めて、少し驚いたような目で弐郎介を見た。

 さすがに怒ったかと弐郎介は身構えるが、彼女は呆れたように眉を寄せて溜め息を吐く。


「……気をつけてね。この帝都じゃ、そうやって人の名前を他国の言葉で直訳とかしちゃ侮辱ってことになるから」


 そう指摘され、弐郎介は「やってしまった」と口元を覆う。


「あー……いやぁ、そのつもりは……」

「アンタが来たニホンってのは礼儀がなってないのね? そんなすーぐよそ様の言葉を雑に訳しちゃってさ?」


 わざとらしく「はっはっはー」と無表情で笑うと、アントニナはしてやったり顔を見せてからまた歩き出した。

 弐郎介も不機嫌そうに眉を寄せてから彼女に続く。


「……ところでアントニナさん。あなたにとったら馬鹿な質問かもしれませんけど……その……なんか、腕から青い触腕みたいなの出していたじゃないですか。アレ……なんなんです?」

「ホントに馬鹿な質問ね。そのニホンっての魔法も使えない世界なの?」

「ご名答。その通りですよ」

「ジョーク……えぇ? マジで言ってんの?」


 ちょうど二人は古本屋の前に差し掛かっていた。ひさしの下に置かれたカートには、本が乱雑に置かれている。

 アントニナはふと目に入ったそのカートの上の一冊を手に取り、弐郎介に投げ渡す。


「ほら、なんか解剖学の本。これ読んだら多分分かる」

「……この国の文字、読めないんです」

「…………ジョーク」


 投げ渡した本をまた手に取り、アントニナは図が載せられたページを見せ付けた。そしてそのまま、荒っぽい口調で教えてやる。


「心臓の左側に魔臓がある!……でっ! 身体中に巡る聖脈を伝ってマーナが流れ込む!……んでっ! 魔臓は流れ込んだマーナを加工して、また聖脈を伝って体外で発揮させる! 常識! 分かった!?」

「ま、マゾ? せいみゃく……?」

「アンタにもあるでしょ!? 魔臓と聖脈ぐらい!」


 本を閉じ、カートに戻そうとする。その際に本の表紙を見て、「あら」とアントニナは声を漏らした。


「……この本、スペンサーのだし」

「どなた?」

「アンタが肩ぶち抜いたヤツ」

「…………あの人、本出してたんですかい」


 本のタイトルは『魔臓学入門』だった。



「しかも入門書って……どの面下げて人に教えようっての」


 アントニナは心底軽蔑したような目で、その本をカートに投げ入れる。

 一方、弐郎介はその本を興味深そうに見つめていた。








 ストリートを進めば進むほど、傍らに並び建つ家々はどんどん古いものしか残らなくなり、最後には汚れた漆喰と汚れた窓の陰気な家しか見当たらなくなった。

 またこの街に入った途端、辺りが薄暗くなる。最初は雲が太陽を隠したのだろうと弐郎介は思ったが、見上げてみれば薄紅色の煙が空を覆い、それが太陽光を遮っていた。薄紅色の煙の中はダイヤモンドダストのように、キラキラと微光が瞬いていた。


「……なんですかね。あの、身体に悪そうな煙……」

「『スチームルビー』の蒸気じゃんさ……工場地帯が近いのよ。そんでここは、その工場で働く労働者のための街」


 まずスチームルビーが分からない弐郎介。それがなにか聞こうとしたが、その前にアントニナが若干苛ついた様子で話しかけて来た。


「ねぇ? アンタマジでどこまで付いて来る気ぃ? あたしこれから、仕事の報告に行くから邪魔なんだけど?」

「仕事の報告? どんな?」

「アンタに関係ない」

「じゃあせめて……そのお仕事の見学だけさせてくださいな」

「なんでさ」

「純粋に探偵って職業が気になりましてね。個人的興味です……それに行く所もやることもないし、暇つぶしです」

「ジョーク……暇つぶしって……」

「邪魔しません。そんで見学が済んだら……今度こそどこか消えますとも」


 アントニナは少しだけ考え込む。そして溜め息を吐いてから渋々見学を承諾してやった。


「約束ね。終わったらとっとと失せて」

「はいはい」

「終わってもあたしの半径十メートル(プラルス)以内にいたらブッ飛ばすから」

「じゅ、じゅう……ぷらるすぅ?」


 聞いたことのない単位に顔を顰める弐郎介。その彼の前で、アントニナは足を止めた。

 そこは四階建てのアパートで、狭い隙間に無理やり家を捩じ込んだような細長い建物だった。

 アントニナはポケットからメモ帳を取り出し、そこに書かれている依頼人の住所を再確認する。


「……ここね。依頼人は二階に住んでいる」

「ボロっちぃですなぁ……家賃安そうだし、隣人が厄介なヤツそう」

「ウダウダ言ってないで、ホラ。見学するんだったら黙って付いて来い」


 アパートの扉を開けて、二人は中に入る。狭い上に軋みも激しい階段を登り、二階の部屋の前に着く。ここが依頼人の部屋だ。


「先に言うけど、粗相はないように」

「そこら辺の礼儀は弁えていますっての。日本人はね、めちゃくちゃ礼儀がいいことで有名なんです」

「そろそろアンタの頭の中だけにある国の話はやめて。聞いてて恥ずかしくなってくる」

「本当にあるんですっての……」


 ぼやく弐郎介を無視して、アントニナは部屋のドアを叩いた。しかし、応答も出迎えも来ない。


「……おかしいな……ちょっとー! おーいっ!!」


 今度は強めに叩きながら呼びかけてみるものの、やはり応答はない。

 少し騒ぎ過ぎたようで、向かいの部屋の住人がぎろりと、ドアから顔を出して睨んで来た。弐郎介がアントニナに代わって頭を下げる。


「まだ正午なんでしょ? 職場にいるんじゃないですか?」

「いや……お昼休憩は一旦家に帰っているって言ってたのに……ごはんでも買いに行ってんのかな……?」


 弐郎介は一応開けてみようとドアノブを掴んで回し、引いてみた。


「……開いていませんな」

「……普通、ドアって押して開けない?」

「……あぁ。海外は内開きでしたな」


 アントニナに指摘され、今度は押してみる。すると鍵がかかっているハズの扉が、微かに開いた。


「開いてる」

「え?」

「少なくとも鍵はかかってな…………ん?」


 ドアノブに妙な感触があり、弐郎介は注目する。

 どう言う訳かそのドアノブには、ノミかなにかで削ったような傷が残っていた。違和感を覚えた弐郎介はその傷を、訝しげになぞる。


「…………」

「なにやってんの? ちょっとどいて、入ってみる」

「え? いや、勝手に入っちゃ……」


 弐郎介を押し退け、扉を開けて中に入るアントニナ。

 しかし彼女の足は、玄関に入った途端に止まった。



 依頼人が──うつ伏せで倒れていたからだ。


「……ッ!? ちょっと!?」


 アントニナは倒れている依頼人の元へ駆け寄ろうとする。


「ねぇ!? 大丈夫なの!? あ、アンタ!? 医者を呼んで──」

「待った! ちょ、ちょっと自分に任せてください!」


 弐郎介が彼女を止めてから立ち位置を入れ替わり、依頼人に近寄る。

 まず首筋に指を当てて脈を確認。それから顔色と、くわっと見開いたまま閉じない彼の目の瞳孔を確認する。



「……ご臨終ですな」


 脈と体温はなく、肌も蒼白化し、瞳孔も開いたまま──手遅れだ。医者を呼んだところで仕方がない。

 弐郎介の後ろでアントニナは立ち尽くし、「そんな」と呟いて首を振っている。


 次に彼は一度手を合わせて黙祷すると、早速依頼人の手足や下顎を軽く動かし始めた。


「……死後硬直はまだ起きていない。一方、肌は蒼白化、死斑(しはん)も出来始めている……んー。死後、三十分から四十分ぐらいですかね」


 遺体の周辺に目を通す。


「争った形跡はなし。目立った外傷もない……コートと帽子を着用していることから、死んだのは家に入ってすぐ……病死か?」

「あ、アンタ……やけに慣れてるようだけど……」

「言ったでしょうに……自分は刑事ですっての」


 テキパキと検分を行う弐郎介に呆然としていると、向かいの住人が何事かと部屋から出て来た。


「なんだなんださっきからテメェら?」

「……アンタ、警察呼んで来て」

「あ?」

「アンタの隣人が死んでんのよ」


 それを聞いてすぐに住人は警察呼びに走り去った。アントニナはそれから、弐郎介と遺体に近寄る。


「……本当に病死なの?」

「専門家の見解待ちですけど、推定で。こんな感じで孤独死している人は何人も見てますんで」

「……アンタ、本当に刑事?」

「休職中でしたけどね」


 うつ伏せの遺体を少し起こしてみる。身体の下に埋まっていた左手は、苦しそうに胸倉を掴んでいた。


「胸を押さえていますな……心臓が弱かったんですかね。となると、急性心不全の可能性が──」

「……えっ!? し、心臓……!?」


 アントニナが声を荒げる。


「……どうしたんです?」

「……心臓……」


 ふと思い出すのは、依頼人の話。



 確か、彼の同僚も──心臓麻痺で亡くなっていたではないか。

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