イヌとネコの邂逅 2
スペンサーからすれば、自分たちに殺されかけた男が報復をしに現れたようにしか思えないだろう。
また抵抗できるほど、彼は魔法の達人ではなかった。銃口を向けられ、「殺される」とただただ怯える他ない。
「──……!……────!」
「助けて」と懇願しても、彼にルビーリオ語は通じない。
弐郎介は薄ら笑いのまま、引き金に指をかけた。
「────!!」
その時、後ろから声がかかる。言葉は分からずとも、直感的に「そこまでだ」と制止を促す言葉だとは気付けた。
あくまで銃口はスペンサーに向けたまま、弐郎介は振り返る。そこに立っていたのは、アントニナだった。
「──!」
「……あー……えー……確か、助けてくださった女の子でしたっけね……その右手のヤツ、どうなってんです?」
右手から発現させたゲラーレで、気絶状態の暴漢三人をまとめて縛り上げている。そのままアントニナは彼らをズルズル引きずりながら、弐郎介に歩み寄った。
「──?」
「言語の壁ってホント、困ったなぁ……落ち着いてくださいってどう言ったっけ……えー……プリーズ! カーム! ダウン!」
「アンタ、オロトの人間?」
途端、アントニナから流暢な日本語──もとい、オロト語が飛び出す。
弐郎介は一瞬驚き、それから「話が通じる人だ」と安堵する。
「えぇ、まぁ……オロトって言うか、日本と言うんですがね……」
「は? ニホン? なに言っての?」
「こっちの話です……」
「……とにかく、その銃を下ろして。殺す必要はないじゃんさ」
アントニナがそう言うと、弐郎介はあっさり銃を下げた。肩を竦めて困ったように笑うその仕草から、元より射殺する気はなかった事が伺える。ただ怖がらせたかったようだ。
彼に殺意がないと確認すると、アントニナは足元でぶるぶる震えるスペンサーに、ルビーリオ語で話す。
「さっさとフルーメで傷口を治して。医者だったんだから、フルーメ適正はあるんでしょ?」
「た……弾……入っているんじゃが──」
アントニナは空いている左手から細めのゲラーレを二本出現させ、スペンサーの銃創に無理やりねじ込む。そしてまたねじ込んだ触手で弾を無理やり抜いた。もちろん、かなりの激痛が発生する。
「うぎゃあぁーーッ!? も、もう少し丁寧にできんのかぁーッ!?」
「どの立場で言ってんのさ」
抜いた血だらけの弾を路上に捨てながら、激痛に悶える彼に冷たく忠告する。
「いいからとっととフルーメ使え。逃げようとか、次アタシに上から目線でモノ言ったりとかしたら即ボコすかんね」
「…………」
「分かったクソジジイ?」
「……はい。すみませんでした」
すっかり縮こまってしおらしくなったスペンサーは、自分の銃創に手を当てフルーメを流し込み、粛々と応急処置を始めた。
それを確認してからまたアントニナは弐郎介と向き直る。
第一印象は、「変なヤツ」だった。
黒い髪はもじゃっとしており、また前髪は右に流され垂れていた。その前髪は毛先でくるっとカールし、右目を薄く隠している。
掛けている眼鏡は少しヒビが入っていた。その眼鏡はツルが横にある「コルヌー人用」の形状をしていたが、髪の中から覗く彼の耳はコルヌー人のものではなく、丸っこく見たことない形をしていた。そのせいで彼がどの人種なのか判別できずにいる。
着ている黒いスーツはヨレヨレ、履いている革靴も霞んでいて、全体的に安っぽい。身なりは小綺麗なので中流の人間かと思ったが、先ほどの射撃スキルはその界隈の人間が身に付けられるものではない。
とにかく変なヤツだ。人種も立場も、社会的地位も読めない。また軽薄そうに微笑むその表情が、考えさえも読めなくさせている。
一方でただヘラヘラしているだけの男、と言う訳でもなさそうだ。アントニナは一度振り返り、彼が発砲した十プラルス先を見る。
「アンタ……あそこから撃ったんだっけ?」
「え?……えぇ。どっかで見てらして?」
「上の窓から。しっかしアンタ……あんだけ通行人いたのによくぶっ放せたね」
しかも上手く隙間を狙って、と感心する。正直、誤射を考慮しない彼の豪胆さに対する呆気の方が強いが。
しかし弐郎介は褒められていると思ったようで、ヘラヘラと笑いながら気恥ずかしそうに後頭部を掻いている。
「いやぁ……訓練の賜物ってヤツです」
「訓練? なに……アンタ軍人?」
「あー……いや。自分は──」
職業を言おうとした時、遠くから警笛の音が聞こえた。これだけの騒ぎを起こしたのだから警察が来て然るべきだ。
「……警察はアタシが応対してあげる。アンタ、この先にある広場で待ってて」
「え? なんでそんな……て言うか、いやいや……関係者として、きっちり自分も説明責任を果たしま──」
アントニナは舌打ちをして彼の言葉を遮る。
「アンタみたいな見るからに怪しいヤツ、速攻でしょっ引かれるに決まってんじゃんか。現場にいる外国人はとりあえず牢屋ってのが奴らのやり口なの」
「えぇ〜? そりゃ酷いですな…………いや気持ちは分かる。自分もやる」
「分かったならとっとと行って!」
小突かれて急かされる弐郎介。仕方なくその場を後にしようと彼女から背を向け、走り去った。
そのすぐ後、竈馬車に乗った警官隊が現場に到着した。
──魔臓を持つ生物は、人間だけではない。動物、虫、魚と、魔臓を有する生物は自然界にも存在する。
そう言った魔臓を持つ生物は総じて「有魔臓生物」──通称「魔物」と分類される。
魔物もまた、人間と同じく質化、液化、風化と言った魔法を扱える。
しかし人間と違って、魔物はいずれか一つの魔法しか使えない──その使える一つだけの魔法を、「人間が使うものとは全く違う様相」で繰り出して来るのだ。
例えば「アカメタチオオカミ」と呼ばれる魔物がいる。この魔物はゲラーレのみを使えるのだが、人間は触腕のような形にして鞭のように扱うのに対し、アカメタチオオカミはこれを鋭く長く伸ばし、全てを切り裂く爪として行使する。人間には到底再現のできないゲラーレの使い方だ。
次に「ヒトツメコウモリ」と呼ばれる魔物。この魔物は特殊なフルーメの使い手であり、自らの目にそのフルーメを流し込んで視神経を活性化させ、通常なら見ることのできない空気中のマーナの流れを見ることができる。こちらも人間の魔臓で生み出せるフルーメではできない芸当だ。
このように自然界には、人智を超えた魔法能力を生来備え持つ魔物が数多いる。これは人間と魔臓の構造が違っているからこそ得られた能力だ。
もし、この魔物が使える魔法を、人間も扱うことができるとすればどうだ。得られるものなら誰だって欲しいだろう。
結論から言えば、「可能」だ。そしてその方法は数千年も前に既に発見されている。
その方法を使い、「代償」を負うことで、人間は魔物の使う魔法を手に入れることができる。
人間の魔法とは違う、異種の魔法──それは「異法」と呼ばれ、その異法を手にした者を「異法者」と呼ぶ。
(魔石学者リリアン・アンライバルドの著者『異法と要素』より)
弐郎介は言われた通り、広場で待っていた。
そこは教会の高い尖塔が見下ろす市場で、あちらこちらの露店で野菜やら魚やらが売られている。そのため、辺りは商人の呼び込みで非常に騒がしくなっている。
暫く待っていると、鐘の音が広場に降り注ぐ。教会から鳴らされているのかと見上げたが、ブローチ形式の尖塔に鐘楼はなかった。代わりに、その塔の屋根に嵌め込まれた大きなアメジストがピカピカと瞬いている。
「……鐘もないのに鐘の音……? どうなってんだ?」
近くに別の教会でもあるのかと思ったが、どう耳を澄ましても音源はその教会の尖塔だ。
不思議そうに首を捻る弐郎介だったが、後ろから腰を叩かれて踵を返す。
後ろに立っていたのは、アントニナだった。
「ホントに待っているとは思わなかったわ」
「いや……おたくが言ったんじゃないですか……」
「ふーん……律儀に待ってたってことは、なんか悪いことはやってないっぽいね。犯罪者だったら『見逃されてラッキー!』つって逃げてただろうし」
微妙に待たされている理由が分からなかった弐郎介だが、彼女のその言葉で「ヤバいヤツだったか否か」を図られていたのだと気付く。
「後ろめたいことがないなら職務質問は断らない、みたいなやり方ですなぁ……」
「まぁ、アタシも興味があっただけ。仕事柄、ちょっとでも引っかかったことは質問しておきたいの」
「仕事?」
「私立探偵ってヤツ。開業してから一年目だけど……で?」
「……へ?『で?』、とは?」
「アンタの仕事よ。あと名前」
その質問を受け、言いにくそうに口ごもる。
「あ? なに? やっぱなんか悪いことやってんの?」
「いやいやいや! 生まれてこの方、犯罪とは無縁の人生を送って来てます!」
「だったら言えよ」
「ただ……まぁ……信じてもらえる話じゃないかと……」
「めんどくさいなアンタ……だったらとりあえず名前だけ言ってさ。アタシも名乗るから」
少し安心したようにため息を吐いてから、弐郎介はスーツの襟を正しながら自己紹介。
「自分、戌吠弐郎介と言います。よろしくさんです」
アントニナは黒い手袋を嵌めた右手を差し出し、手短に名乗った。
「アントニナ・クライキャット」
握手を求められていると気付き、弐郎介も右手を差し出す。二人の手はギュッと握られた。
「……で。アンタの身の上は?」
握手が済んだと同時にまた彼女からの質問。どう言ったものかと、弐郎介は耳を掻く。
「……そう、その耳よ」
「え?」
「変な耳のせいでアンタの人種が分かんないのさ。カニス人なら犬耳だし、フェリア人ならアタシと同じだし。『ロデン人』も耳は側頭部だし、コルヌー人は顔の横だけど長いし……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいな……カニ? だとか、コルムー? だとかなんのこっちゃで……」
「…………アンタ、あたしおちょくってる?」
アントニナにジトリと睨まれ、「おちょくってない」と首を振る。
怒られるのも無理はない。弐郎介目線で言えば、「あなたはアメリカ人ですか? イギリス人ですか?」と聞いて、「アメリカもイギリスも知りません」と答えられるようなもの。誰だって「馬鹿にしてるのか」と思うハズだ。
ただこのアントニナは案外、面倒見のいい性格らしい。市場にいる人間を指差し、誰がなに人なのか教えてくれた。
「あれがロデン!」
露店商と値段交渉で揉めている者がいる。その人物の耳は大きく真ん丸な、灰色の耳をしていた。服の尻尾穴から、薄紅色の毛のない尻尾が垂れている。
「……ネズミ?」
「んで! あれがコルヌー!」
教会から聖職者と思わしき老人が出て来た。その人物の耳は顔の横にあったが、確かに横へピンと尖ったような耳をしている。それよりも目に付いたのは、側頭部から生えるうずまきのツノだ。
「……ひ、ひつじ?」
「カニスはさっきアンタ攫ったヤツ! フェリアはあたし! あと『ケトス族』がいるけど、まずアンタは見るからに違う!……分かった?」
アントニナは腕を組み、「教えてやったのだから自分の人種を言えるよな?」と言わんばかりに睨み付ける。
すっかり圧をかけられ、はぐらかしもできないと諦める。弐郎介は仕方なく、そして意を決して打ち明けることにした。
「……分かりました。言いますけど……えーっと……し、信じてくれます?」
「内容による」
「じゃあ信じてくれないだろうなぁ……まぁまぁまぁ言います、言いますよ……」
弐郎介は自身のこと、自身の身に起きたことを話し始める。
「……自分は、日本と言う国から来た異世界人なんです」
「…………」
アントニナが引いた表情を見せたが、構わずヤケクソ気味に話を続けた。
「生まれと育ちは首都である東京の奥多摩! 現在は足立区住まい! 車に轢かれそうになっている男の子を助けたと思ったら、なぜかこの世界にいたんです! ちなみに自分が話しているのはオロト語とやらじゃなく、全く同じ言語の日本語!」
「…………それで?」
「自分はその世界で刑事をやっていました! 階級は巡査部長! ちなみにノンキャリ! 所属は組織犯罪対策部の薬物銃器対策課!」
「…………」
「そしてこの異世界に流れ着いて途方に暮れていたところ、さっきのヤツらに捕まって、あなたに助けられて今ココって感じです! 現在、なんとか帰る方法を探しているんですが、なにか知りません!?」
帰る方法を突然聞かれたアントニナ。彼から少し目を逸らすと、聞いた話を頭の中で咀嚼しているようでうんうんと頷いている。それからなにか知っているのか、向かいにある通りの方を指差した。
「帰り方? 知ってる。そこのストリートの右手の道をまず真っ直ぐ行くの」
「ま、真っ直ぐ行くと?」
「進んだら途中で大きなデパートの前に着く。派手な服飾ってるショーウィンドウがあるからすぐに分かるわ」
「デパートがあって……」
「で、そのデパートの横に別のストリートがあるから、またそれを真っ直ぐ行く。進んで行ったら道が二股になってる所があるから、左の方を行く。そしたらコーヒースタンドがあって、その向かいに建物があるの」
「向かいに建物……」
「その中に入ったら帰れるハズよ」
「そこはなんて所なんです?」
「病院」
伝え終えると、アントニナはすごすごと立ち去ろうとし始める。
弐郎介は思わず失笑してから、必死の形相ですぐに彼女に駆け寄った。
「待ってくださいぃ!」
「待たない」
「頭がおかしいんじゃないんですぅ!? マジなんですって!?」
「あたしとしたことが、ただの狂人に時間を割いたなんて……」
「狂人じゃないッ!」
「でも作り話にしては面白かった。紙にしたためて出版社に送り付けたら?」
「ファンタジーじゃないですってのッ!」
完全にアントニナから弐郎介への興味が失せている。スペンサーを撃ったあの射撃もまぐれだったのではないかと思い始めてきた。
横からワーワーと訴え縋る弐郎介を無視しながら歩いていると、新聞売りの少年に声をかけられた。
「号外だよ! ねぇ奥さん! 買ってくれよぉ!」
「買わない。あと奥さんじゃない」
「コルヌーの国、『スタウロ』で誘拐事件!『天使教』の大司教が行方不明だよ! 護衛も謎の死を遂げて──」
「黙らないと殴るよクソガキ」
少年から「そっちだってガキじゃん!」と罵られるが、無視して歩く。なおも弐郎介は隣で喚いていた。
「ホントもう、今マジ……途方に暮れているんです! 戸籍もないし、お金もないし! このままじゃ野垂れ死にですって!?」
「救貧院に行ったらいい。さもなくば債務者監獄」
「だったらなにか、自分に働き口を斡旋してもらえたらと──うぉおッ!?!?」
突然、弐郎介は耳を押さえて驚き声をあげた。辺りをキョロキョロし、なにかを探す仕草を取っている。
「どした?」
「み、耳元で誰かに囁かれたんです……! なんて言ってんのか分かんなかったですけど……」
「……そんくらいで大袈裟に騒ぐな、恥ずかしい……『アエール』流し込まれただけでしょっての!」
弐郎介が「声が流れて来た」と思った方を向くと、離れた所にいた中年の女がチャーミングに笑って手招きしている。彼女は野菜を売っていた。弐郎介は苦笑いを見せてから、手をヒラヒラして断った。
【異世界の歩き方 2 】
・この世界の人間は、二つの種族と六つの人種に分けられる。その内獣人種だけでも、四種類存在する。
獣人族(ベスティア族)
・カニス人……イヌ科の獣人。
・フェリア人……ネコ科の獣人。
・コルヌー人……羊や鹿といった、角のある動物の獣人。
・ロデン人……ネズミやリスと言った、齧歯類の獣人。
他に「海人族(ケトス族)」と呼ばれる人種も存在する。