イヌとネコの邂逅 1
身の危険を覚えた医師「スペンサー」は、隠し持っていた拳銃を向ける。しかしアントニナは冷めた目でそれを見やるだけだった。
「こんなトコでぶっ放したら往来の人たちに聞こえちゃわない?」
彼女の言う通り、すぐ外は大通りで今も人々で溢れかえっている。銃声一発でも轟けば即刻騒ぎになるだろう。スペンサーもそれに気付き、発砲を躊躇する。
そんな彼から銃を下げさせたのは、リーダー格だ。
「テメェ、『ONES』か?」
アントニナは床を蹴って苛立ちをあらわにする。
「さっきも言われたけどさぁ……あんなクズどもじゃないってば」
「じゃあ、アレか……ただの探偵か?」
「そんな感じ」
それを聞いてリーダー格は安心した。どこか大きな組織の刺客ではない──であれば、彼女を消せば万事解決だと思ったからだ。
リーダー格が「おい」と一声かけると、仲間二人は応答するように弐郎介を乱暴に手放した。
「んぐーっ!?」
そのまま硬い床に倒された弐郎介は「なにしやがんだ」と抗議の視線を送るものの、暴漢たちは無視して一列に並び構えを取っていた。間違いなく戦うつもりだ。
しかしそんなリーダー格にスペンサーは忠告する。
「待て待て! キミの魔臓はまだ馴染んじゃおらんぞ!?」
「ガキぶちのめすのにそんな時間は食わねぇよぉッ!」
その言葉を合図に、暴漢三人は揃ってアントニナの方へ突撃を開始。
途中、リーダー格の右手から質化の青い触腕が出現し、しならせた。
このゲラーレ自体、無学な者でも二十ピータ(センチメートルと同じ)ほどの長さなら出せるものだ。だが硬さがなく、ゲラーレで掴んだり殴ったりなどを可能にするには継続的な鍛錬を必要とする。鍛錬による筋力と心肺機能の強化はマーナの吸収を効率化させ、また一回の魔法で出力できるマーナの量も増加する。これによりゲラーレの硬度が高まる仕組みだ。
ところでこのリーダー格の男、発現させているゲラーレが五十ピータと平均よりも長い。長さは硬度とも比例するので、その硬さは恐らく鉄の棒ほどもあるだろう。
そこまで到達するには軍人レベルの鍛錬が必要になるハズだが、この男はとても軍人崩れには見えない。
男に対し「魔臓が馴染んでいない」と言ったスペンサーの忠告から、アントニナは悟る──分不相応な魔法を使うこの彼は、「他人の魔臓を心臓ごと自分に移植している」と。
普通の魔臓を、ではない。マーナの高出力を可能とする先天型の臓器──「肥大型魔臓」をその身へ移したようだ。だから軍人レベルのゲラーレが扱えるのだ。
突っ込んで来る彼らを前に、アントニナは慄くどころか舌打ちを一つ。
「……ジョーク」
そう呟いてから右手の手袋を引き抜き、素肌を晒した。
白肌の腕が現れるものと思っていた。しかし晒された彼女の腕の皮膚は、赤褐色だった。
それを見たリーダー格は愕然と目を開く。
「テメェ……ッ!?」
アントニナの手の甲からゲラーレの青い触腕が出現する。
暴漢らが「ゲラーレを出しやがった」、と認識した瞬間、リーダー格の隣を走っていた仲間が倒れた。
「……ッ!?」
何があったと足を止め、目を向ける。そこには仲間の顔面を殴り付けた、一本の触腕がゆらりゆらりと宙を揺蕩っていた。
それはアントニナの赤褐色の腕から繰り出されたゲラーレだが──それは男のものよりも遥かに長く、二プラルス(メートルと同じ)もあった。人間が一生を鍛錬に費やしたとしても、これほどまで長くはできない。
彼女のゲラーレは仲間を殴った後、収縮して手元まで戻る。だらんと垂らした触腕は、生きているかのようにうねっている。
殴られた仲間は鼻を押さえて、床の上で悶えていた。そんな無様な姿を見て鼻で笑ってから、アントニナはまだ立っている暴漢二人に目をやった。
ずっと余裕に満ちた態度を見せていた彼女だが、その理由が分かった。リーダー格は息を呑む。
「……異法者だったのかよ……」
アントニナはほくそ笑みながら挑発。
「降参する?」
リーダー格の髪や尻尾の毛がブワッと逆立つ。
「……ブチ殺す!」
魔臓から脚部へ、液化となったマーナが流れる。それにより増強された筋肉により、リーダー格は一足で彼女の眼前まで迫る。凄まじい速度だ。
振りかぶった腕から繰り出されるゲラーレが、アントニナに直撃しようかと思われた。しかし彼女は軽く身体を動かして避けると、彼の懐に潜り込んで、空いた腹に肘打ち。
「ぉえッ……!?」
腹を押さえる際に下がった顔面に、アントニナは回し蹴りを食らわせようとする。
しかしリーダー格のフルーメは、肥大型魔臓によって高出力で身体中の聖脈を巡っている。それによる動体視力の向上により、回し蹴りをしゃがむことで辛うじて回避。
蹴りを外し、隙ができたと嘲笑うリーダー格。
だがアントニナは蹴りの勢いを殺さずにそのまま身体を回転させ、飛びかかろうとする彼に尻尾をぶつける。
「ッ!?」
びしっと当たった彼女の尻尾は、男の目に直撃。視界を奪うのみならず、動揺を誘って攻撃を遅らせた。
その間にアントニナはまたリーダー格に向き直り、回転中に振りかぶっていた右手を勢いよく下ろした──右手からはゲラーレが発現している。斜め下へ振り下ろされたそれが、リーダー格の側頭を殴り付ける。
「ぎ……ッ!?」
殴られた衝撃に流される形で、リーダー格は地面に這いつくばる。そんな彼を見下し、アントニナはまた鼻で笑った。
だが戦闘は終わりではない。男の仲間が一人まだ立っている。
彼はリーダー格が倒れたと見るや、自身もフルーメで肉体を強化してからアントニナへ突っ込んだ。
アントニナは左手の手袋も脱ぐ。その下もやはり、赤褐色の肌色をした腕となっていた。
赤褐色の肌は異法者の証であり、また「異法が発揮される部位」を示したもの。アントニナは突っ込んで来る男に左手を向けた。
その左腕から、二本の触手が飛び出した。彼女のゲラーレ魔法だが、右手から発現しているものよりややスリムだ。
それが男の両足に絡み付き、動きを止める。
「なんだこ──」
言い終える前に絡み付いたままゲラーレは収縮し、男を転ばせる。
「うぎっ!?」
背中から倒れた男だが、すぐに立ち上がろうとした。
しかし身体を起こした際にギョッとする。自身の両足に絡み付く触手が、六本に増えていたからだ。
「お、お前……何本出せるんだぁ!? おかしいだろッ!?」
彼が驚くのも無理はない。どんな人間でもゲラーレ魔法は、右手と左手から同時に二本しか出せない──右手から一本、左手から六本も出しているアントニナが異常なのだ。
「それが『異法』なの」
アントニナはそう呟いた。
男の両足に、束にして巻き付けた六本の触手。それを左手に繋げたままアントニナは腰を落とし、フルーメを全身に巡らせ、渾身の力を込めて左腕を振り上げた。
「ウォラァアーーッッ!!」
彼女の雄叫びと共に、男の身体が浮かび上がる。
「うわぁぁあぁ!?!?」
男は足に巻き付いた触手に引っ張られる形で逆さ吊りになり、そのまま天井にぶつけられた。
その間、最初に倒された方の男がやっと回復。
アントニナの能力に一瞬慄くも、仲間を助けるべく駆け出した。
そんな彼をアントニナは睨む。闘争心ですっかり、瞳孔が縦に割れていた。
アントニナは触手を男に絡ませたまま腕を引き、身体を捻らせて振り回す。
「ぎゃぁあぁあーーーーッ!?!?」
男の情けない悲鳴が轟く。
二度ほど大きく振り回された後に、彼は駆け寄って来る仲間めがけて投げ付けられた。
直後、二人分のくぐもった声が聞こえた。揃って床をバウンドして転げた後に、すっかり気絶して伸びてしまう。
もう彼らが動けないことを察知すると、アントニナはやっと触手を消した。
一部始終を呆然と見ていたスペンサーだったが、暴漢らがやられたと悟るや否や下げていた銃口を向ける。
「ええーいッ!! もう構わんッ!! 撃ち殺してやるぅぅーーーーッ!!」
咥えていたパイプを落とし、そう宣言して撃鉄を起こす。
しかし反応できないアントニナではない。すぐさま発砲を阻止しようと、ゲラーレの触腕を発現させ振るう。
「い……っ!?」
触腕は三十プラルスも伸びてしなり、スペンサーの銃を手ごと打ち付け、放させる。そのまま銃は吹っ飛び、開けっ放しだった窓から外へ落ちて行ってしまった。
これで発砲は阻止できた。だがアントニナは舌打ちを一つ。
「……ギリギリか」
どうやら触腕が届く限界の距離だったらしい。銃はなんとか手放させたが、スペンサーにダメージは殆どない。
攻撃手段が消えたとなると、彼が取れる行動は一つ。「逃げる」のみだ。
「……ひぃーっ!?」
スペンサーは背を向け、別の出口から逃げようとする。
「待てコラクソジジ──」
すぐに追おうとしたアントニナ。
「オラァーーッ!!」
しかしリーダー格が再び立ち上がり、ゲラーレ魔法を振り回して妨害して来たのだ。
寸前で彼の攻撃は避けたものの、スペンサーはもうとっくに部屋を出た後だ。
「…………」
「はぁ……はぁあ……! 殺してやるガキぃ……!」
真っ青な顔で立ちはだかるリーダー格。なかなかの打たれ強さと執念だと認めたいところだが、アントニナはただ一際大きな舌打ちを一つ。
「チッ…………ジョークジョークジョーク……!」
飛びかかるリーダー格を、仕方なくアントニナは迎撃しようとする。
一方、拘束されて床に転がされていたハズの弐郎介は──いつの間にか消えていた。
スペンサーは階段を滑るように降り、建物の表口から大通りに出る。通りを行き交う通行人を押し退け、できるだけ遠くへ逃げようと必死だ。老人なのにやけに俊敏なのは、やはりフルーメによる肉体強化の賜物だろう。
そんな彼の後に続くように、もう一人の人物がぬらりと、表口から顔を出した。
彼は切れたロープと手術室で手に入れた血塗れのメス、そして噛まされていた布を忌々しそうに捨てながら大通りへ出て、スペンサーが逃げた方へ顔を向けた──その人物とは弐郎介であった。
ふと、自分の足元に、銃が落ちていることに気付く。窓から落ちたスペンサーの銃──三十八口径の回転式拳銃だ。
弐郎介はニヤッと笑いながら、それを嬉々として拾い上げた。
「……ほぉ? マジぃ?『ウェブリー・リボルバー』……?」
撃鉄を起こす。シリンダーが回る。それから弐郎介は躊躇なく、左手で銃を構えた。
一方のアントニナと言えば、リーダー格の背中にしがみ付きながら、その首に触手を巻き付けて引っ張っていた。締め落とすつもりだ。
「とっとと気絶しろっての……ッ……!!」
男は必死に抵抗し、暴れる。その際に背中のアントニナを開いた窓際にぶつけた。
そのままアントニナは大通りを確認。捕まえるべきスペンサーがどんどんと離れて行っている様が見れた。
「あ!? クソ……!」
「ぐっ……ぎぎ……がぼ……ッ……!」
「ジョーク……どんだけしつこいのよコイツ……!!」
なかなかしぶといリーダー格に辟易しつつ、首を締め上げ続けるアントニナ。
ふと、窓の真下に目が行った。彼女のいる建物の入口前だ。そこに、さっきまで縛られて転がされていたハズの男が立っていた。
彼はなんと、多くの通行人が行き交う大通りの中心で、スペンサー目掛けて銃を向けていたのだ。思わずアントニナは息を呑む。
「ちょ……っ!? アンタなにやってんの!?」
子どもも歩いている通りで、引き金を引くつもりだ。弐郎介とスペンサーの間には多くの通行人がいる。流れ弾が当たりでもすればどうする。
止めようと叫ぶアントニナだったが、彼女のルビーリオ語はあいにく、弐郎介には通じていない。
「…………」
弐郎介は、類稀なる「集中力」を持っていた。
感覚が研ぎ澄まされ、視野の隅の隅までの情報を詳細に捉えることができる能力──いわゆる「ゾーン」と言う状態に、すぐに入り込めた。これは彼の特技でもある。
道路を行くカマドウマ、壁を這うトカゲ、空を飛ぶ鳥、新聞売りが振り上げた腕、談笑する婦人の揺れる髪、リンゴ片手に走る子ども、杖をついて歩く老人、落ち葉、空き缶、砂埃──とにかく全て、全てだ。その状態の時、目に映る全てのものの動きがスローになる。
誰が次にどの方向に進むのか、どこで止まるか、何を落とすのかさえ、手に取るように分かる。
「…………」
行き交うその人の流れの中に、一本の隙間ができた。
その隙間の奥にして照星の先、スペンサーの背中がバッチリと見えた。
ひと思いに、引き金を引く。
撃鉄が雷管を叩き、シリンダーの中で爆発が起きる。その爆発が弾丸を吹き飛ばし、銃口から真っ直ぐと射出される。
弾丸はまず、くしゃみをする老人の鼻先を抜けた。子どもの持つリンゴを掠めた。婦人の尻尾の間、そして新聞売りの腕の間を潜った。
最後は、十メートル先にいたスペンサーの左肩に着弾。
「ぎゃあぁッ!?」
突然の激痛に驚いた彼は、無様に路上に転がる。同時に、弐郎介の見ている世界の速度が元に戻った。
往来で突然発砲したとあり、すぐに通行人らは悲鳴をあげて投げ出した。あっという間に通りには誰もいなくなる──弐郎介と、撃たれたスペンサーを除いて。
「ひ……ひぃい……! う……う……撃たれたぁーーッ!?」
血が流れる銃創を押さえ、情けなく声を上げるスペンサー。
そんな彼の近くに、銃を持った弐郎介がへらへらと近寄って行く。
「……あー……俺、おたくのことなーんにも知らないけど……まぁ、多分悪い奴ですよな?」
スペンサーには通じない言葉で語りかけながら、怯える彼を見下ろせる所まで到着。
「しっかしまぁ……アレだね? おたくやってんねぇ? 奥の部屋見たけどさぁ……女子どもも節操なしに解剖しちゃってさぁ……」
銃口を向ける。
「えぇと、ドナーカード……んふふ……この世界にあんのかな……ちゃーんと一番か二番に丸つけてますよね?」
撃鉄を上げる。
薄ら笑いを浮かべる彼の目に、光はなかった。
【異世界の歩き方 1 】
・ルビーリオの長さの単位系は、現実世界におけるメートル法と同じ。
単位の名前のみが違うので、ここに書き記す。
パッツ(ミリメートル)
ピータ (センチメートル)
プラルス(メートル)
ペリタス(デシメートル)
ポータス(キロメートル)