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クライキャット事務所

 渇いた靴音が、静かな街路に響く。

 所狭しと立ち並ぶ灰色のテラスハウスからは、まだ明かりはない。一方の人間にとってまだ起きるには早い時間で、もう一方の人間にとっては既に仕事で家を発っている頃合いだからだ。


 ストリート傍に並ぶ家々の隙間より覗く空は、額縁に飾られた絵のようだ。

 青く暗い夜明けの空には、遠く工場の煙突より立ち昇る「赤い魔蒸気」が見えた。



 靴音の主は自分の部屋があるテラスハウス前に着くと一度立ち止まり、首からぶら下げていたポシェットを開く。中には数枚の貨幣が入っていた。

 金を数える彼女の表情は無表情に近いが、微かに渋さがあった。


「……一ギール二デベルと三シエロ(一二三,◯◯◯円)と、細かいの少々……家賃にガス代、水道電気諸々抜いたら……」


 ポシェットを締めた彼女の目は、かなり死んでいた。


「……ジョーク。今月こそ死んだかも」


 再び歩き出し、テラスハウスの玄関扉に手を掛ける。

 出来るだけ他の住人や大家に会いたくない彼女は、扉の軋みに慎重に気を払いながら、そろっとエントランスに身体を滑り込ませた。


 エントランスは、階段沿いに据え付けられた燭台型のライトのみが灯っているだけで薄暗い。

 大家が起きているなら、天井のライトが点いているハズ。それが点いていないと言うことはまだ起きていないと安心し、彼女はコソコソ移動するのをやめて、堂々と階段の方へとロビーを横切った。



 途端、パチッとロビーが明るくなる。天井のライトが点いた。

 安心しきっていた彼女はライトの点灯で全てを察し、溜め息を吐きながら足を止めた。



「『アントニナ』さん」


 背後から声がかけられる。

 振り返るとそこには、ナイトキャップとネグリジェ姿の老女が呆れ顔で立っていた。このテラスハウスの大家さんだ。


「……家賃、ですよね。今払います……オールドデベル(五万円)ですよね」


 大家は首を振る。


「先月分滞納されてます。合わせて、一ギール(十万円)」

「……ジョーク。忘れてた」

「忘れては困ります」

「となると残りは……二デベル三シエロ(二三,◯◯◯円)……ヤッベ」


 光熱費のどれかが払えなくなる。

 困り果てた彼女──こと、アントニナは交渉を図ろうとする。


「……三、デベルにして貰っても」

「はい?」

「なんでもないです」


 圧をかけられ、渋々元の値段通りに家賃を払う。

 すっかり死んだ表情で部屋に戻ろうかと背を向けた時、受け取ったお金を自身のポシェットにしまいながら大家がまた声をかける。


「そうそう。二十分前からお客様がお見えでしたので、お部屋に通しておきました」

「……客? ジョーク……こんな時間に? あたしも仕事終わりなんですけど……」

「貧乏暇なし灰まみれ、ですわよ?」


 大家は自分の部屋に戻って行った。

 その背中を憎たらしげに見送った後、アントニナはぶつくさ文句を言いながら階段を登り始める。


「……なにが貧乏暇なし灰まみれよ……こちとら日夜『異法者(いほうしゃ)』相手に死ぬ気で戦ってんのよ……」


 彼女の部屋はテラスハウスの最上階である四階。

 部屋の扉には、「クライキャット事務所」と書かれた札が吊るされている。

 また、扉の横には「マットの上で靴を脱いでください」と注意書きのある札も。


 行きしなに鍵はかけたが、大家が客を入れる際にマスターキーで開けていた。アントニナは鍵を取り出さず、そのままドアノブを引いて中に入った。



 扉を開けるとすぐリビングに入る。

 暖炉の前に置いていたソファに、客が座っていた。彼女が入って来たことに気付くと、被っていた帽子を握り締めながらおずおずと立ち上がった。労働者風の、窶れた中年男だ。



 ふと床に付いた靴跡と、彼が靴を履いているのを見て、アントニナは顔を顰めた。


「…………ジョーク、ジョーク、ジョーク……」


 乱暴に扉を閉めると、彼女は玄関に敷いた泥落としマットの上で靴を脱いで部屋に入った。

 男は待ち望んでいた彼女の到着にぎこちない笑みを浮かべ、握手を求めようとする。


「あ、あの……お、おはようございま──」


 しかしアントニナは彼の手を無視し、不機嫌な表情でポシェットを窓際のチェストに投げ捨て、そのままマフラーやコートを脱ごうとする。


「靴脱げ」

「……え?」

「靴。いいから。とっとと」


 男にそう命じる。すぐに彼は困惑した様子で、履いていた靴を脱いだ。


「脱いだのは入り口のマットの上」

「ど、どうして脱ぐんですか……?」

「『オロト』式なの。オロトじゃ家に入る時はみんな靴を脱ぐ」

「ここは『ルビーリオ』ですよ?」

「違う、あたしの事務所。つまりあたしのやり方が正しい。いいからマットの上に置け」


 彼女の醸す怒気に押され、男はソファに足をぶつけて転びかけながらも、大急ぎで靴をマットの上に置く。


「靴脱ぐこと大家さん言ってなかった?」

「い、いえ……」

「滞納していた嫌がらせかクソッ、ババア……じゃあドアの横の注意書きは?」

「暗かったので気付かなかった……」

「ホントクソ、ホント……後でモップかけないと……」


 苛立たしげに脱いだマフラーとコートを床に放り投げると、窓際のロッキングチェアにかける。

 椅子は彼女が座るとゆらゆらと優しく揺れ出す。その優しい揺れで気分を落ち着かせているようだが、まだ怒りで鼻息が荒い。


 アントニナの人殺しのような目に刺されながら、男は若干怯えた様子で再びソファに腰掛けた。


「……んで? こんな早朝に来てまでご用件は?」


 椅子の上であぐらをかきながら、アントニナは威圧的に聞く。

 男は肩を窄めながら、緊張した面持ちで話し始めた。


「へ、へい……実は──」

「ちょっと待って」


 今度は椅子から立ち上がったかと思うと、ドタドタとリビングを横切って隣の部屋に行ってしまった。なにがなんだかと困惑する男。

 アントニナはすぐに戻って来たが、その腕には「マイマイ」を抱えていた。


「チュっ♡ チュっ♡ チュっ♡ んん〜〜!『ユラちゃん』ったらホント可愛いんだからぁ♡」

「…………」


 ユラと呼ばれるマイマイを愛でながらまた椅子に腰掛け、あぐらをかく。

 その組んだ足の上にユラを置いて撫でながら、さっきの厳しい形相に戻して改めて男の話を聞く。


「続けて」

「は、はぁ……実は、私は代表者として来ました……同じ工場に勤める作業員たちでお金を出し合い、こうしてご依頼に……」

「金が出せるなら経緯はいい。用件は?」

「はい……実は先月、仲間が一人、心臓麻痺で亡くなりまして……」

「……それはお気の毒」

「でも……でも、妙なんです!」

「妙?」


 男は「はい」と言って、深く頷いた。


「そいつはまだ十九歳です。特別、心臓に病気を持っている奴でもなくて……でも、突然心臓麻痺で!」

「疾患を隠していたんじゃないの? 心配されたくないとか」

「だとしてもあり得ないです! あいつは、重い荷物も軽々と運べるほど頑強でした。心臓の弱い人間にそんなことはできないでしょう?」

「で、心臓麻痺って診断は医者が?」

「えぇ……一応、色々と遺体を見て貰いましたが……毒物だとかの類はなかったみたいです。正真正銘、心臓だけが止まったようで……」

「どんなに若くて健康的でも、病気は突然来るもんでしょ?」


 それは分かっているとまた頷いた上で、男は続けた。


「それだけだったら私たちも疑いませんでしたよ……でもそいつからある話を聞いていたもんで……」

「ある話?」

「どうやらあいつには従姉妹がいたようです」

「それがなんなのさ」

「その従姉妹が……一年前に行方不明になったそうで……それで私らに『見つけたら教えてくれ』って、頼んでおりまして」

「従姉妹の失踪とお仲間さんの心臓麻痺、なんか関係あんの?」


 すると男は、一層声を潜めた。




「その従姉妹……『肥大型魔臓(ひだいがたまぞう)』だったんですって」


 肥大型魔臓と聞いた途端、ユラを撫でる手が止まった。


「…………」

「ご存知の通り、肥大型魔臓を狙う臓器売買のシンジケートは多い……そんでそいつ、従姉妹はそのシンジケートに誘拐されたんじゃないかって、ずっと探っていたようで……」

「……それでお仲間さんはなにかを掴んだが、調べていたことがバレて、口封じにあった……って?」

「はい、そうです。実際、そう言ったのがいる繁華街だとか移民街とかにも足を運んでいたようです」

「ふぅーん……」

「心臓麻痺も、もしかしたら……誰かに仕組まれたものかも……」

「…………なるほどね」


 アントニナは一層椅子を強く揺らしながら、頭の中で話を整理しているかのように天井を見上げた。

 外はやっと陽光が強まり始め、白い光が窓から差し込み部屋を照らす。ロッキングチェアの揺れる音と共に、鳥の声が聞こえる。


「……仲間で出し合って、なんとか十オールドシエロ(五万円)ほど用意しました。これで引き受けてくださるのはここぐらいだと聞いて──」

「いいよ」


 男は驚き、俯けていた顔を上げた。

 アントニナはユラを抱きかかえたまま、椅子から立っていた。


「前金は半分の四オールド五シエロ(二五,◯◯◯円)。仮にあんたらの勘違いだとしても、これは返せない。了承できる?」


 光を背に立つアントニナは、神々しささえあった。

 白絹のような髪はきらりと照り、それを掻き分けて側頭から生える「猫耳」がぴこりと動く。

 腰部から伸びた長い「尻尾」が、ゆらりと揺れる。



 彼女からの快諾を受けた男も感極まった様子で、灰色の毛に覆われた「自身の猫耳」をぴこぴこと動かした。


「それと条件追加するけど」

「え? は、はい?」

「床に付いたあんたの靴跡。掃除しといて」


 部屋の隅にあるモップを指差した後、アントニナはユラを連れて隣室に消えた。

 男は呆然とその背中を見送ると、モップを手に取って大急ぎで掃除を始めた。






 ここは帝国「ルビーリオ」の首都、「ベルアンバー」。

 ルビーリオは獣人種──猫系獣人「フェリア人」が興した国家である。


 そして、工場の煙突から昇る赤い魔蒸気を動力源とした「魔蒸気機関」によって、産業革命を迎えた「世界最高の国家」である。







 そのベルアンバーの、とある場所。

 気絶していた一人の青年が、朝日に当てられ目を覚ます。


「……う……うぅ……うん……?」


 巡査部長の戌吠弐郎介だ。

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