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止まる心臓 2

【異世界の歩き方 4 】

・この世界の人間にとってマーナとは魔法の源である以上に、「第二の血液」と呼ばれるほど生命活動においても重要な物質である。と言うのも心臓の半分を占めている魔臓は、マーナによって駆動しているからだ。


 またそう言った所以か、この世界の人間の身体は、体表や肺からマーナを延々と取り込めるような構造となっている。これは聖脈や魔臓によるものではなく、「暑くなれば汗が出る」ことと同じ、自然な生理現象だ。

「……うそ……ッ!」


 アントニナは悔しげに俯き、床を蹴る。

 しかし自身の不甲斐なさに怒る暇はない。すぐに彼女は廊下を出て叫ぶ。


「ちょっと!! 誰かいないの!?」


 彼女に呼びかけに、ちょうど休憩室に向かう途中だった一人の男が応じる。


「なんだ!? てか……嬢ちゃん誰だ!?」

「説明は後! すぐに医者を呼んで! 二人心臓が止まってんのよ!」

「は……はぁ!?」


 男は休憩室を覗き、倒れている仲間の姿を確認。アントニナに目配せすると、急いで医者を呼びに行った。

 一人残ったアントニナは、もう動かない二人の表情を見る。苦しみで歪んでいた。


「……もっと早く着いていれば……ッ!」


 遅かった──その事実が彼女を責め立てる。荒く冷たい口調に反し、彼女は義理固い人間だった。だからこそ、ここまで胸を痛められる。

 床に拳銃が転がっていることに気付く。二人の内、どちらかが所持していた物だろう。


 自らでオリビオの仇を取ろうとしたのだろうか。その事実に気付けば、余計に心が苦しくなる。どうしてそんな高潔で仲間思いのある人間が、このように苦しみ抜いて死ななくてはならないのかと、アントニナは見えざる敵に怒り、拳を握り締めた。


 二人の目は、開かれたままだ。せめてそれを閉じさせてやろうとアントニナは近付き、手を伸ばす。

 指先が、男の瞼に触れようとした。


「…………」


 投げ出されている男の手は、洗った後なのか少し濡れていた。しかしその手を見た時に、彼女はふと思い出す。

 脳裏に現れたのは、廊下ですれ違った作業員の姿だ。ハンチング帽と汚れたシャツ、そしてツギハギが目立ったジャケットと言う、典型的な労働者の服装をしていた。それ自体はこの工事にいる多くの作業員と似た服装なので、おかしいことではない。


 引っかかったのは、両手に「皮の手袋」を着けていたこと──皮や絹の手袋は「貴族の証」とされ、労働者から嫌われている。



「……あいつか……!!」


 依頼人の仲間は三人。しかし二人はここで死に、残りはあと一人。刺客はその一人の元へ向かっているハズだ。

 すぐにアントニナは休憩室を飛び出す。先ほど見た男の容姿を、必死に頭の中で反芻していた。


 彼女が触れようとしていた死体の瞼に一瞬、青い筋が浮かんで消えた。









 倉庫で資材の整理をしている、一人の若いフェニスの男。リストを見てどれがどの部品なのかを確認しつつ、疲れた顔で仕分けている。

 そんな彼の背後から近付く、怪しい男。辺りに誰もいないことを確認しながら、出来るだけ光を避けて一歩一歩と足を進める。


 手袋を片方外し、赤褐色の左腕を晒した──異法者の証だ。

 男が手を広げると、手の甲から一本のゲラーレが出現。それは触手の形ではなく、鋭い鉤爪となった。


 刺客は腕を突き出し、彼の背にそのゲラーレの先を向ける。これから斬り付けると宣言しているかのようだ。

 作業員は気付いていない。あと一足で鉤爪が届く距離まで迫られてしまった。

 刺客は突き出していた腕を引き、刺そうとする。



 その腕が止まった。彼の耳が、風を切る音を聞き取ったからだ。

 直後、顔の横をゲラーレの触腕が殴る。刺客は殴られた衝撃で、横に吹き飛んだ。


「──ッ!?」


 資材が保管された棚にぶつかり、その棚と一緒に倒れる。その音に驚いて、やっと作業員は何事かと振り向いた。


「な、なに!?」

「アンタは逃げて」


 彼を守るように立つ、一人の少女──アントニナだった。さっき刺客の男を殴ったゲラーレを宙で揺蕩わせ、激情を宿らせた瞳で睨み据える。

 壊れた棚の破片や資材を掻き分けながら、男が身体を起こす。側頭部を殴られたのだから脳震盪を起こしても良いハズだが、彼は余裕を含ませた様子で困ったように首を振っている。


「……直前でガードしたか」


 アントニナの言う通り。触腕に殴り付けられる直前で察知した彼は腕を立てて防御し、頭を守ったようだ。動体視力はフルーメによる強化の賜物だろうが、それを差し引いても高い判断能力を有している。ただ者ではない。


 男はゆっくりと立ち上がる。そしてゲラーレで作った鉤爪の先を、アントニナに向けた。



「……イッテェなこのヤロー。あー、イテェ。仕事の邪魔は駄目なんだよ、嬢ちゃん」


 男は帽子を目深に被り、また口元を布で覆っている。そのせいで顔が見えない。帽子から飛び出た猫耳から、フェニス人であることは辛うじて分かった。

 アントニナは作業員を一瞥して「逃げろ」と合図し、その場から離脱させた。それから刺客の男に話しかける。


「……スペンサーは捕まった。アンタの所業が明るみになるのも時間の問題……もう負けてんのさ」


 しかし男は身体を震わせて笑うだけ。


「あいつはただの下請けだ。それにヤツは……喋らんよ」

「まぁ、スペンサーがゲロしまいがどうだっていいけど」

「うん?」


 腰を落とし、アントニナは構えを取った。



「……ブチ殺す」


 逃すつもりはない──彼女のその意志を前に、彼は鼻で笑った。

 アントニナが飛び上がったのは、その鼻笑いと同時だった。両腕から二本ずつの触腕を出し、殴りかかる。


 男はバックステップで回避する。先ほどまで彼がいた場所に触腕は叩き付けられ、倒れていた棚が破裂でもしたように粉々となった。

 逃げた彼に触腕を伸ばして捕らえようとするも、差し向けたそれは男の鉤爪によって弾かれる。そのまま彼は距離を取り、搬入口から外へ飛び出した。


「逃がすかクソッ!!


 アントニナも後に続いて倉庫から出た。










 一方でアントニナを追っていた弐郎介と馭者。途中で彼女を見失ってしまい、工場近くの道路をさまよっていた。


「えーっと……確か! 確かそこの道を入って行ったような気がする!」

「バカ言うなダンナ! 俺の勘はその反対の道に入ったって言ってるぜ!」

「勘なんて非効率的なモノに頼るんじゃねぇですよ!! それで間違いだったらどう責任取るんですかい!?」

「行かなきゃ分かんねぇだろ!」

「いいからそこの道を行ってっての!」

「だったら金だけ置いて、テメェで勝手に行きゃあいいじゃねぇかッ!!」

「なんだおたく!? やるかッ!?」


 竈馬車の上でギャーギャーと言い合いをする二人。

 ふと顔を逸らした弐郎介だが、その先でアントニナを発見して二度見する。そこは大きな工場で、彼女はその工場三階の外廊下を駆けている。どうやら何者かを追いかけているようだ。


「見っけたっ!?」


 弐郎介は「金払え!」と怒鳴る馭者を無視して竈馬車を降り、敷地内へと駆け込んだ。




 

 倉庫から出た男は、右手から伸ばすゲラーレの触手で手摺りや縁を掴み、工場の上へ上へと登る。フルーメによる身体能力の向上も手伝って、凄まじいスピードで逃げて行く。

 そんな彼を、アントニナもまたフルーメと複数の触手を使って追い縋る。ちらりと後方を確認した男の目には、八本の触手であちらこちらを掴みながら徐々に距離を詰めて来るアントニナの姿が写った。


「……ありゃなんの異法だ」


 このままでは逃げ切れないと判断した男は外廊下に着地する。そして異法が発揮できる左手からゲラーレの鉤爪を出し、アントニナを迎撃せんと方向転換した。

 迎え撃つ姿勢を見せた彼を、アントニナは縦に割れた瞳孔で睨む。


「上等じゃんさ……!」


 前方の手摺りを掴んでいた触手を縮小させ、その弾力で以て飛び出し、触手を広げながら男の手前で降り立った。

 彼を捕らえよう伸ばされる、八本の触手。男は冷静にその触手の動きを見ながら、鉤爪を振るっていなす。硬さ故に切断は出来ないものの、驚異的な動体視力と反射神経で上手く弾いている。


 その動体視力も反射神経も、フルーメによる強化の賜物だろう。しかしここまで能力を向上させられるのは達人の域だ。ただのチンピラにこれほどまでの出力は出せない。


「ジョーク……!」


 明らかに男は、訓練されている。

 触手を細かく迫らせても仕方ないと踏んだアントニナは出している本数を減らし、太く強固な触腕を出す。それを勢いよく振るい、男に叩き付けようとした。


「おおっと、それは危ない」


 男もその触腕による一撃が危険なものだと気付いていたようだ。腰を落として触腕を回避すると、鉤爪の先を向け、アントニナを刺そうと突撃した。


「ッ……!」


 その鉤爪は危険だ。恐らく少しでも刺されれば、何らかの効力で心臓麻痺が起こされる。

 アントニナは倒れ込みながら男の腕を蹴り、鉤爪が刺さらぬよう逸らす。


 それでも男は鉤爪で切ろうと振りかぶる。すぐにアントニナは二本の触手を彼の左腕に巻き付けて一瞬だけ制止させた。その隙に伸ばしたもう一本の触手を後方にある手摺りにも巻き付けて縮小させ、距離を取った。

 

 遅れて先ほどまで自分がいた場所を、鉤爪がすくうように通り抜ける。耳障りな金属音を響かせ、男の隣にあった手摺りに大きな爪痕を残す。

 アントニナは姿勢を整え、左腕に巻き付けたままの触手を引っ張る。それで男を床に叩き付けてやろうとしたものの、巻き付けた二本の触手ではびくともしない。強化された男の筋力のせいだ。


「硬くして殴る分にはいいが、一本一本は弱いんだな? 嬢ちゃん?」

「……黙れ……! 今からアンタ跪かせてやる……!」


 口では強がるものの、アントニナは内心焦っていた。完全に、相手との相性が悪いからだ。

 男が扱うのは、まだ全貌が分からない未知の異法。それだけに距離を取ることに考えが向き過ぎてしまい、上手く立ち回れないのだ。

 しかも向こうは異法以外にも、通常魔法の力量も高いと来た。それがまた厄介であり、訓練を受けていない殺し屋だと思っていたアントニナにとって、痛過ぎる誤算だった。


 アントニナは出せるだけの触手、残り六本を差し向けようとした──しかし目が霞んだことでそれを取りやめ、巻き付けている二本も消失させる羽目になった。


「……ジョーク……」


 せっかく男を捕まえていた触手さえも消してしまう。

 顔色も悪くなった彼女を見て、男は察したようにせせら笑った。



「『マーナ欠乏症』か。さてはここに来るまでに、体内マーナを消費しまくったな?」


 男のその読みは当たっている。アントニナは朝から悪党と戦い続けの上、工場に急行する為にフルーメでマーナ使い倒してしまった。


 マーナとは、自然界に発生する不可視の物体だ。通常、空気と共に満ちている。

 しかし空気だって、空に近ければ近いほど薄くなるだろう──マーナも同じだ。マーナは森林や湖畔と言った生命に溢れた場所に多く、一方で砂漠や山頂と言った場所では少なくなる。


 それは、人間が切り拓いて発展させた「都市」も同様だ。マーナからすれば、人間が作った都市は砂漠と同じ「生命力のない場所」なのだろう。体内マーナを放出し過ぎた状態から回復するまで、そのマーナが薄い都市内では二十分、酷い時で一時間以上はかかる。


 体内マーナが少ない状態だと魔臓が活性化せず、心臓機能が低下──それによる一時的な心不全の状態を、通称「マーナ欠乏症」と呼ぶ。



 息苦しさと動悸、そしてじわりと強まって行く倦怠感と眩暈。それらに苛まれながらもアントニナは何とか立ち続け、構えを解かない。

 男からすれば、そんな彼女の姿は滑稽でしかない。


「俺を跪かせる前に、嬢ちゃんが跪いちまうぞ?」

「うっさい……ちょっと疲れただけっての……!」


 男はまた鉤爪の先を向ける。


「お察しの通り、俺は嬢ちゃんが追っている事件に近付いたヤツを殺している……しかしもう、いいかなぁ。正直そこまでする必要ないって思っていたからな。それに他の仲間がみんな死んだとあっちゃ、あと一人ももうビビって動かんだろうし……うん。もう見逃してやってもいいな」

「…………」

「嬢ちゃんも見逃してやってもいいんだがな?」


 男はそう言って後ろに下がり始めた。

 逃すまいとアントニナは一歩踏み出すも、ふらついてしまい手摺りにもたれてしまう。その様を見て、男は鼻で笑った。


「どうした? ん? 俺をブチ殺すんじゃなかったのか?」


 挑発しながら、一歩と一歩と後ろに下がる。それを追うようにして、アントニナも手摺り伝いに一歩一歩と迫る。

 男の目がちらりと、さっき自分が付けた、手摺りの爪痕に見る。彼女はその爪痕に、近付きつつあった。


「……あと少しだぞ。ほれ……」


 アントニナは深呼吸を早い間隔で行っている──マーナは体表からも取り入れられるが、空気を通じて肺からも吸収できる。「ハイパーベンチレーション」と言う呼吸法だが、彼女はそれを行いながら出来る限りマーナ欠乏症の早期回復に努めている。


 アントニナの指先が、爪痕に触れようとする。男の目が、一層愉悦に歪んだ。





 工場を走る弐郎介。見上げると、工場の外廊下に立つアントニナと、怪しい人物の姿があった。


「アンさんッ!?」


 躊躇せず、弐郎介は懐から抜いた拳銃で、その怪しい人物を撃った。


「誰だッ!?」


 突然耳に入り込んで来た銃声に驚き、男は左腕で頭部を守る。銃弾は男のその左腕に直撃したものの──どう言う訳かその赤褐色の皮膚を、貫くことも傷を付けることも出来なかった。


「うぐ……ッ!」


 それでも反動と痛覚はあるのか、男は仰け反って後退りする。



 アントニナにとっては好機だ。


「……ナぁ〜イス……!!」


 手摺りから手を離し、なけなしの体内マーナで作り出した触手をしならせる。

 距離が少し足らなかったものの、触手は男の胸倉を掴んで引っ張り、辛うじて足を止めさせた。


「……ッ!? 仲間いるとか聞いてねぇぞ!!」


 悪態吐く彼に、弐郎介は階下から撃ち続ける。

 動きを止められた状態で、この状況はマズい。飛んで来る銃弾を避けたり、傷付かない左腕で受け止めながら、鉤爪で伸びた胸倉を切った。


 それによって晒された男の胸板を見て、アントニナは目を細める。心臓の位置に、手術痕があったからだ。

 また動けるようになった途端、男は一目散に逃げ始めた。


「……絶対に逃がすか……ッ!!」


 ありったけの気力を奮い立たせ、追い縋るアントニナ。




 誰もいなくなった外廊下の手摺りに、カラスが一匹止まった。その足は、爪痕のある場所をがっしりと掴んでいる。

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