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巡査部長・戌吠弐郎介

 巡査部長の「(いぬ)(ぼえ)()()(すけ)」は、窮地に陥っていた。



「停職だ」

「嘘でしょ」


 今し方、執務机を隔てた先に座る組織犯罪対策部長に、停職処分を言い渡されたからだ。


「これまでは捜査能力を見込んで目をつぶってやったが、今回でもう我慢の限界だ」


 声こそ張ってはいないが、その言葉の節々に宿る刺々しさと寄るだけ寄った眉間の皺が、彼に宿る怒りの大きさを十分分かりやすくしていた。


「期間中、一切警視庁の敷居を跨ぐな」

「ウッソ……マジで……」

「所轄の刑事との連絡も禁止だ」

「……お言葉ですがねぇ?」


 しかし弐郎介は一切臆することなく、むしろ半笑い顔で自分の苛つきと不服な様を見せ付けながら談判を始める。


「なんだ」

「銃器売買の現場を押さえたんですよ? 自分、本当なら賞状の一枚貰ってもいいって快挙じゃないですかねぇ? 東京にばら撒かれる寸前だった銃器二百挺ちょっと、全部回収したんすよ?」

「あぁ」

「ちょっとしたトラブルはありましたけど、それも解決した。そんな功労者を停職って、訳が分からな──」

「なにが『ちょっとした』だ」


 部長は食い気味に吐き捨ててから、手元の資料に目を落とす。

 そこに書かれている報告を読み進めるたびに、また眉間の皺は深く寄って行く。


「……犯行現場へ突入時、銃器売買組織の構成員数名が抵抗」

「全員、我々でいなしてやりましたよ」

「その内、拳銃を所持していた一人が発砲しながら現場より逃走」

「ヘッタクソな撃ち方でしたなぁ」

「逃走した犯人を十メートルほど追いかけた後、犯人は偶然通りかかった女性を捕まえ、人質にした」

「あれはさすがに肝が冷えましたなぁ」


 ヘラヘラとした態度で相槌のようにペラペラ解説を入れる弐郎介を、部長はぎろりと睨んだ。

 それからまた、資料に目を向ける。


「犯人は銃口を女性の顎下に突き付け、追跡をやめるよう要求」

「ワルモノのテンプレートみたいな事言ってましたよぉ。『動くなー! 動いたらこのアマ殺すー!』……って」

「お前ここからァ、なにをした?」


 資料を机上に投げ捨てながら聞く。巻き舌混じりだが、部長がその巻き舌混じりとなるのは本気で怒る一歩前の証でもあった。

 そして部長の言う「なにをした」は、「私は知らないので教えてくれませんか?」と言う意味ではない。これは質問ではなく確認でもあり、ここから彼に「なんてことしやがったんだ」と怒鳴るための導入でもある。


 弐郎介もそれは察していた。煩わしそうに眼鏡の位置を直してから、小さな溜め息の後に話し始める。


「……動くなと言われたんで、だいたい犯人から五、六メートルちょっと離れたとこで立ち止まりまして」

「立ち止まって? それから?」

「……一応前置きしますけどね? あの犯人だいぶビビりな感じでしたし、ちょっと痛い目に遭わせりゃ拳銃放って地べたで泣き叫ぶような奴だって分かっていたんで──」

「いいからァ、さっさと……」

「はいはい……銃を捨てろと言われたんで、支給品のサクラを明後日の方に投げ捨てました」

「それから?」

「…………撃ちました」


 ずっとヘラヘラとしていた弐郎介だが、やっとここでばつが悪そうな様子を見せた。

 対する部長も「撃ちました」と聞いた途端、理解不能だと言わんばかりに額を指で押さえた。


「……捨てたのにどうやって撃った?」

「……捨てたのは持っていたサクラなんです。実はもう一挺、上着の内ポケットに突っ込んでいまして……」

「二挺以上の携帯は許可していないが?」

「…………犯人追いかける前に、現場にあったピストルを……んまぁ、拝借しまして……」

「お前……」

「サクラを投げたのはぁ……犯人の視線誘導のためで……で、犯人がそっち見ている内にサッとそのピストルを出して、バーンって……」

「…………お前……」


 つまりこの弐郎介は、証拠品の拳銃で犯人を撃ったのだ。しかも人質がいる状況で、興奮状態の犯人を騙くらかすと言うリスキーな方法で。一歩間違えれば人質が死んでいてもおかしくはない。

 弐郎介も、自分の取った行動が警察官らしからぬものだと理解はしていた。しかしそれでもと、彼は弁明する。


「でも! 成功したんです! 放った銃弾は人質にも誰にも当たらず! 犯人の左顎だけを削って倒れさせるだけに留められ──」

「なんてことしやがったんだァッ!!!!」


 机を殴り付け、部長は怒鳴った。怒鳴られることは察していたものの、思わず弐郎介の身体はビクッと跳ねた。

 部長は椅子から勢いよく立ち上がり、弐郎介に詰め寄る。ただ、座っていようが立っていようが、一八◯の長身者である弐郎介の前ではどうやっても見上げる姿勢になってしまう。

 しかし部長の真っ赤に染まった怒りの形相は、近付かれただけでもなかなかの迫力を放っていた。


「朝刊は読んだだろッ!?」

「いやまぁ……新聞読まないんで……」

「だったら教えてやるッ!『人質を取る犯人。警官、容赦なく発砲』ッ!」


 その見出し自体は弐郎介も知っている。新聞は読まないとは言え、件のニュースはネットやSNSのトレンドに上がっているので嫌でも目に付く。だからと言ってそれを今、激昂するアナログ派の部長に訂正を入れる気はないが。


「しかもどこから漏れたのか……発砲に使った銃器が、証拠品の密輸拳銃だったのも報じられている……!」

「人質の女の子が言っちゃったんですかねぇ」

「バカヤロウッ!! なんにせよ! 世間からは非難殺到だッ!!」

「見出しが悪いだけですよぉ。ちゃんと記事読んだら、全然……実際は賛否両論なんです」

「賛否両論は非難と同じだッ!!」


 部長の完璧主義者っぷりに辟易し、弐郎介は苛ついたように頭を掻いた。ボサッとした、天然パーマ気味な髪がガシガシと鳴る。



「……本件でのお前の行動は、警察としての規範に反するものだ」


 一度深呼吸をし、感情をある程度鎮めてから、部長は改めて彼の処遇を言い渡す。


「停職期間は半年。復帰後は、交通局の交通規制課に送ってやる」

「こ、交通局ぅ!? しかも規制課ぁ!? 自分に交通整備やれっつーんですかぁ!?」

「これ以上の談判は認めん。話は終わりだ。すみやかに出て行け」


「分かったな」と念押すように睨むと、部長はまた席に着こうと踵を返した。

 その彼の背中になにか言おうと弐郎介は口を開くが、もうなに言っても無駄だと悟り、諦めて部屋を出ようと同じく踵を返す。



「おい」


 部長に呼び止められる。


「手帳は置いていけ」

「……あーもう……チクチョー……」


 もう一度踵を返し、椅子にぶんぞり返っている部長の前まで戻る。

 そしていつも肌身離さず持っていた警察手帳を取り出し、せめてもの仕返しと言わんばかりに机へそれを強く叩きつけた。




 部長の執務室を出た弐郎介は、ポケットに手を突っ込み、背中を丸め、柄の悪い態度で廊下を歩いていた。

 ふと目についたオフィス用のゴミ箱に向けて足を振りかぶらせたが、すぐに緩い蹴りにしてゴミ箱を掠らせた。


「物に当たるなってカーチャンが言ってたー!」


 そう一人で喋る弐郎介の奇行を通りかかった刑事たちが引いた目で見ていたが、彼は気にすることなく廊下を歩き去って行った。








 戌吠弐郎介は、変わった男だった。

 彼は名門大学を出ている。なのでそのまま警察官を目指すのであれば、国家公務員総合試験を受験し、合格し、キャリア組として将来安泰な出世街道を歩めたハズだ。合格できるのかは別としても、少なくともそれを目指せる才覚はあった。



 しかし彼は大学卒業後すぐ警察学校に入り、一般的な地方公務員として警察官となった。

 理由は誰にも話していない。だが、「現場に出る」ことに並々ならない拘りがあったようだ。



 警察官となった彼の活躍は目覚ましいものだった。

 高い検挙率もそうだったが、逃げた犯人をどこまでも追うその執念も評価された。


 そしてその活躍が警視庁刑事局の目に留まったことで、組織犯罪対策部にある薬物銃器対策課に配属。若干二十三歳にして、彼は刑事となった。

 さらに二十五歳で昇任試験を突破し、巡査部長に。


 

 この経歴だけ見れば、ノンキャリアとは言え彼は順風満帆な刑事人生を歩めていると思えるだろう。




 実際は違う。この戌吠弐郎介は、かなりの「不良刑事」だ。


 殴る蹴るは当たり前。おかげで何人も犯罪者を病院送りにしている。

 まだ疑惑段階の人物に対しても、神経を逆撫でするような話し口で怒らせ、公務執行妨害でとりあえず逮捕すると言った行動もしょっちゅう。これが交番勤務時代の検挙率の高さの正体ではないかと言われたこともある。情報屋を使っている噂もあった。


 またなによりも、彼は引き金が軽い。「俺はアメリカの刑事だ」と言わんばかりにバンバンと撃つ。射殺したことは辛うじてないが。



 以上の凶暴性と、また名前に「(いぬ)」が入っていることから、彼はもっぱら「狂犬刑事」と呼ばれている。




 問題行動は目立つが、その気質は暴力団や、時に海外マフィアを相手取ることもある組織犯罪対策部では大いに役に立った。

 なので世間からなにも言われない限り、彼の問題行動はある程度見逃されてはいた。何度か謹慎は食らっていたが。






 

 それも、シデカシが堂々とその世間のタイムラインに乗ってしまった今、全部おしまいである。元々、部長が彼のことを快く思っていなかったのも良くなかった。

 戌吠弐郎介、巡査部長、二十八歳、独身、彼女なし。警察官七年目にして、人生最大の窮地である。



『発砲の暴力警官! 関係者が明かす、その狂気……』


 コンビニにてそんな見出しの記事が載った週刊誌を読み、弐郎介はうんざり顔ですぐ本棚に戻す。

 おにぎりを買った後、秋風が冷たい路上へと出る。足元を風に乗ったイチョウが滑って行く。


「……誰だよ関係者って……てかなんだチクチョー……俺が悪いのかよぉ……」


 おにぎりを食べながら、片手間にスマートフォンを操作し、SNSを確認する。


『刺又を使え』

「んなモン銃持ってるヤツに意味ねぇでしょうよ」

『鍛えているんだから筋肉で解決しろ』

「だから人質いるんだっつの。あーヤダヤダ……筋肉出せば面白いと思ってるヤツ嫌い」


 事件に関するネット記事に寄せられたコメントを読んでみる。


『私は警官の発砲に関しては致し方ない時もあると思っていますが、人質がいる上で撃つのは正気の沙汰ではありません』

「……んー……そうなのかなぁ……そうかも……」

『証拠品の銃使うとかヤバ過ぎwww』

「ワラ・ワラ・ワラ……確かにヤバかったかなぁ……」


 弐郎介はスマートフォンを消した。


「あー駄目だ。真っ当なコメント見ると心がキツい」


 ふと視線を感じて横を見ると、危ない人を見る目で弐郎介を見る通りすがりの老人がいた。

 弐郎介はにこりと笑いかける。


「独り言が多い性格なんです」


 納得したようなしてないような顔をする老人をそのままに、弐郎介は残ったおにぎりを口の中に押し込めながら歩く。

 目指しているのは駅。とりあえず家に帰り、今後どうするかを考えるつもりだ。





 おにぎりを咀嚼している間、横断歩道で立ち止まる。歩行者信号は、今は赤だ。

 通り過ぎる車を、ぼんやり目で追う。

 それから、霞んだ雲が浮かぶ切ない秋空を見上げる。

 飛んで来た枯葉が髪に付いたので、首を振って落とす。

 振り終えると、死んだ目で視線を落とす。

 おにぎりを飲み下した。



「…………」


 脳裏に、嫌な記憶が浮かぶ。

 大学時代の記憶──と言うより、トラウマだ。

 

 暴漢が一人、ナイフを持って走っている。

 その先に、悲鳴をあげる若い女性。


 自分は、走れば暴漢の前に立ち、彼女を守れると言う位置にいた。

 自分の他にも、何人か人がいた。


 誰も動かない。

 そのくせして、スマートフォンを出すのは早い。

 でも彼らを馬鹿には出来ない。

 自分も、動けなかったからだ。



 暴漢が女性に追い付き、刺した。

 深々と刃は、彼女の腹に刺さった。


 血が路上に流れ、外野の悲鳴があちこちで上がる。

 倒れる女性と、彼女に刺したままのナイフを手放し、逃げようとする暴漢。


 その背を自分はただ──呆然と眺めるしかできなかった。






 バイクが眼前を横切り、やっと記憶から解放される。

 ハッとした顔で目をぱちくり瞬かせ、溜め息と一緒に頭を掻いた。


「…………嫌だねホント」


 俯き、暗く小さな声でぼやく。


「……助けられる人間助けられねぇで、価値なんてねぇのよ俺に……」


 固く目を瞑った後、ふぅっと息を吹いてからまた前を見た。






 道路上を、ゴムボールが横断している。

 向こうからそのボールを追っかける、小学校低学年くらいの少年。学校はどうしたのかと思ったが、小学校低学年ぐらいならもう放課後になっている時間帯だと思い出す。


 少年が道路上に出る。

 歩行者信号はまだ赤い。

 左耳が、車の走行音を捉える。


 目を向けると、こちらへ向かう一台のトラック。

 ブレーキを踏めば間に合う距離。

 だけど運転席の男はうつらうつらとしている。


 少年がトラックに気付き、立ち止まる。

 身体が膠着し、動けない。



 弐郎介は状況を確認すると、道路上に飛び出た。

 そして颯爽と駆け寄り、少年を強く突き飛ばす。


 突き飛ばされた少年は歩道に転がる。

 しかし弐郎介は間に合わない。

 もうトラックが、目と鼻の先まで迫っている。



「…………ッ!!」


 身体が膠着する、足が止まる。

 迫るトラックの顔を見ながら、弐郎介は身構え叫ぶ。



「うぉわああああーーーーッ!?!?」



 トラックは弐郎介の一メートル前で急停止した。


「……止まれるのかオぉーイッ!!」


 トラックが急停止したことで、半分寝ていた運転手はやっと覚醒する。

 何が起きたのかと呆然とするその運転手の元に、怒り心頭の弐郎介が近寄った。


「おーい! あんたぁ!」


 ドアを叩きながら呼びかけると、運転手が窓ガラスを降ろした。


「ど、どうしたぁ?」

「どうしたじゃねぇよぉッ!! おたく今、そこの少年と自分を轢きかけたんだぞぉッ!?」

「え……ま、マジで?」

「てか、踏めるんなら初めからブレーキ踏んどけ!!」

「よかった……自動ブレーキサポートが搭載されていて……」

「文明の利器かよッ! 最近はトラックにも付いてんのか……もう異世界転生は無理だな」


 結果的とは言えみっともない姿を見せてしまい、弐郎介は苛立ちからまた髪を掻く。


「……大事にならなかったとは言え、あんた居眠り運転してたでしょ? 自分は警察だぁ。免許証持って降りて来てなさいな」

「え!? け、警察ぅ!?」

「あぁ、マジに警察だ。手帳も…………は、今はないが。とにかく降りて来るよーに!」


 運転手は「終わった」と言いたげな顔で天を仰ぎ、それから免許証を取ろうとグローブボックスに目を向けた。


 その間、弐郎介は少年の方を見た。

 腕に軽く擦り傷が出来ている。不可抗力とは言え突き飛ばしてしまい、怪我を負わせてしまった。少年は涙目で弐郎介を見ていた。


 事情を説明してやる必要がある。

 他の警官を呼ぶためにスマホを取り出しながら、少年を怖がらせないよう満面の笑みで歩み寄る。


「いやぁ、災難でしたなぁ! でも君もアレだよぉ? 道路に飛び出したら駄目って学校で習わな──」


 突如、弐郎介は少年の目の前で、「落ちた」。

 穴もなにもないハズの道路上で、満面の笑みのまま「落ちた」。


「あー、やっと見つかった……お、お巡りさん。ちょっと俺も最近夜勤続きで……」


 免許証を手に持った運転手がトラックから降りる。

 しかし先ほどまで弐郎介がいた場所を見て、唖然とする。彼がいなくなっていたからだ。

 歩道で座り込んでいる少年に運転手は尋ねた。


「……アレ? あのお巡りさんは?」


 少年は呆然としたまま指を差す。






 そこには、弐郎介の持っていたスマートフォンだけが落ちていた。

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