第17項 「お金好き、 逃げる」
意識が遠くにある。
俺はここにいるのにそう感じる。
おかしな感覚だ。
でも実際にそうなのだから他に言いようがない。
目の前には闇が広がっている。
再び混沌スライムの中に戻ったのかと思ったがそうじゃない。
広がっているのは闇じゃなかった。
遠くに。
本当に遠くに。
無数の輝きが見える。
例えるなら宇宙。
俺の意識は空の彼方を飛んでいるようだった。
そして気づく。
その輝きは星じゃない。
俺の、 記憶だった。
結局俺はまた死にかけ、 走馬燈を見ているのだ。
そう結論付ける事にした。
◇◆◇
前世の俺はお金が好きだった。
いや、 違う。
お金を稼ぐ行為が好きだった。
つまり仕事に没頭していたのだ。
仕事に集中していれば、 他の事に興味が湧かなくて済むからだ。
前世の俺は、 自分が何かに興味を持つ事を恐れていた。
俺は不器用だから、 一つの事しか考えられないからだ。
幼少の頃に怪獣を好きになった。
それ自体は普通の事だろう。
実際に小学生中学年ぐらいまでは同級生ともその話題で盛り上がれたのだから。
でも高学年になる頃には、 同級生は誰もそんな子供っぽい話題はしなくなっていた。
親に相談すると突き放された。
いや、 今考えるとただのアドバイスだったのかもしれない。
「そんな事より勉強をしろ」「運動でもすればいい」。
そう言われただけだから。
しかしその時の俺は、 言葉の意味を理解出来なかった。
俺は不器用だった。
一つの事に没頭するしか出来なかった。
だから怪獣好きを止める事は出来なかった。
なので周囲から浮いた。
そこまできて、 自分はズレているのだと理解出来たのだった。
今更皆の話題にはついていけない。
かと言って俺の話は誰も聞いてくれない。
だから俺は没頭するのを無理矢理やめた。
興味を持つとそればかり考えてしまう。
思考が深くなりいつまでも一人の世界から出てこれなくなる。
それを止めようとしたのだ。
だから俺は、 興味のない事に意識を向けるようになった。
興味がなければ没頭しないからだ。
それは勉強だったり仕事だったり。
さして関心のなかったものに向けられた。
他人と必要以上に関わるのも止めた。
もし話題の中に興味のある事を見つけてしまえば、
きっとそれに集中し迷惑をかけてしまう。
そう思ったからだ。
それに勉強や仕事を頑張ると親が褒めてくれた。
だから頑張れた。
義務教育を終え、 高校大学と進学し、
俺はプログラミング関係の仕事に就職した。
それなら他人と関わらずにただ仕事をこなせる。
そう思ったからだ。
しかし現実は違った。
社会に出たら他人と関わらなくちゃいけなかった。
それはどんな仕事だとかは関係ない。
会社は、 チームで成り立っているのだから。
それでも俺は一人を貫いた。
というかこの時にはもう、 他人との関わり方を忘れてしまっていたのだ。
表面的や仕事の話なら何とか会話も出来た。
能力もそれなりにあった。
だから本質を誤魔化しながらでも就職出来たし、
それなりに出世も出来た。
でも結局はそれなり止まりだ。
上に立つものは能力だけでなく、 人望も求められた。
部下を活かし、 仕事のモチベーションを上げる事を要求された。
しかしそんな事、 俺に出来る筈がなかった。
他人と関わってこなかったせいで、 部下が何を考えているか分からなかった。
勉強や仕事以外興味を持たなかったせいで、 趣味や私生活の話を出来なかった。
友人もいなかった、 恋人もいなかった。
そんな人間が他人とコミユニケーションを取れる筈がなかったのだ。
それでも俺はやれる事をやった。
影で何を言われようとやれる事をやった。
それでも上手くいかなかった。
だが、 別によかった。
俺の人との繋がりは両親だけだった。
その両親に認めて貰えればよかった。
それだけでよかったのだ。
しかしある時両親に、
「結婚はしないのか? 」「趣味はないのか? 」と聞かれた。
終いには仕事ばかりしていても家庭を持てないとまで言われた。
突き放された気分だった。
俺がこうなるきっかけを作ったのは両親だと心の中で責めた。
そのせいで心が折れ、 何もする気が起きなくなった。
そして俺は、
自ら命を絶ったのだった。
他の人が、 どういう心境でその選択を取るかは分からない。
しかし俺の場合は最低の理由だった。
結局は逃げたのだ。
この世界自分の居場所はないと、
何をしても認められないと、
逃げたのである。
思えば俺は、 怖かったのだ。
親から否定されるのが怖かった。
だから言う事を聞いていたし、 それ以上否定されたくなかった。
一人になるのが怖かった。
だから嫌われる前に自分から一人になっていた。
好きなものを理解してもらえないのが怖かった。
だから好きなものを作るを止めた。
逃げた。
逃げた。
逃げ続けたのである。
そして出来上がったのが、 何も中身の成長していない大人だった。
失敗も避け、 他人との関わりも避けていたのだ。
心に刺激が与えられず、 成長する筈もない。
頭で理解出来る事も、 心が追いつかなかった。
だから更に逃げたのだ。
この世界では、
身体は子供だけど中身は大人?
笑えない冗談である。
俺は新しい人生でも、 結局逃げていたのだ。
もしかすると、
この生まれ変わりは、
そんな逃げた俺への罰なのかもしれない。
だからあんな事件を引き起こす結果になったんだろう。
それとももっと逃げたいからと願ったからか、
もしくはやり直す機会を与えられたのか、
実際の所は分からない。
でも、 やっぱり気持ちは変わらない。
忘れていた事を思い出しても変わらない。
前世の記憶を取り戻した時と変わらないのだ。
生前叶えられなかった事を叶える。
だからもう逃げない。
俺は走馬灯を見ながらそう誓ったのだった。
しかしまぁ、 これは走馬灯だ。
今度こそチャンスはないかもしれない。
でも出来る事はやった、 悔いはない。
そんな事を思いながら、
俺の意識は宇宙の彼方へと消えて行った。
◇◆◇
どうやら俺は本当に恵まれているらしい。
あの状況から目を覚ましたのである。
視線の先には見覚えのある天井。
どうやらランラーク先生の屋敷の部屋のようだ。
既視感。
前世の記憶を取り戻した時と同じ部屋のベッドに寝かされている。
この部屋で寝ると前世の記憶を取り戻すのか?
そんな事を考えていると部屋の扉が開いた。
「あらリーブちゃん♡ 目を覚ましたのね♡ そろそろだとは思っていたけど♡ 嬉しいわぁ♡ 」
そこには厚化粧の魔物......もとい、 ランラーク先生がいた。
もうあの苦痛の表情はない。
俺はそれだけで安堵出来た。
◇◆◇
そのまま先生から話を聞いた。
どうやら俺は丸3日寝ていたらしい。
窓の外はもう真っ暗だった。
体内時計が狂いまくって変な気分だ。
俺の怪我は全治一週間。
魔力の枯渇状態で高等魔術を使い、
更に魔言語の重ねかげで、
身体の内側がボロボロらしい。
そういえば身体がほぼ動かない。
起き上がる事すらギリギリだ。
魔言語の二つ使用はここまで身体に負担をかけるのか。
それとも他の要因か。
何にせよ今後調べる必要はありそうだが、
今はそれよりもあの後どうなったかが気になっていた。
あのスライム襲撃事件に関してはほぼ解決。
襲って来たスライムは全滅し、 脅威は去ったという。
今街は、 早速復興に取り掛かっているらしい。
怪我人や魔力の枯渇で衰弱した者は出たが、
死者は一人もいないという。
それだけで、 俺は本当に嬉しかった。
勿論そんな事で片付けるつもりは無い。
死んだ人はいなかったとはいえ、 街も住民もボロボロだ。
それは全て俺の責任なのだ。
そして、 レナの事も。
俺は彼女の事を聞こうとした。
かなり勇気は必要だったが、 俺にとっては最優先事項だった。
だから何を差し置いても聞こうとしたのだが。
「ライブル!! 」
父の怒声に掻き消されてしまった。
「モードちゃんはついさっき帰って来て状況を知ったのよ♡ 」
呑気に言う先生と対照的に、
モードは鬼のような形相をこちらに向けていた。
怒られる。
一瞬でそれを理解する。
当たり前だ。
俺は彼に嘘をついていた。
そしてその結果がこのザマだ。
怒られて当然なのだ。
むしろそれだけで済むならマシな方だ。
モードの仕事は街の護衛。
それを今まで完璧にこなし、 住人の信頼を得てきた。
その息子の失態。
俺は彼の仕事や矜恃に泥を塗ったのだ。
親子の縁を切られても文句は言えない。
その時、 さっきまで見ていた前世の記憶が過ぎる。
親に迷惑をかけ、 失望される恐怖が湧き上がってきた。
それを考えるとそれ以上父の顔を見れなかった。
俯いている俺に足音が近づく。
きっと最初に殴られる。
いや、 殴られもしないかもしれない。
変な汗が出た。
俺はこの世界でも親に見離される。
前世のは勘違いだったとしても、 今回は本当に。
そんな事ばかり頭を巡った。
ベッドの横でモードが泊まる。
何も言ってこない。
俺は相変わらず顔を上げられない。
そのまま一瞬の間があったが、
先にモードが動いた。
上半身に感じる圧迫感。
鼻に届く草とオヤジ臭い匂い。
そして耳元から聞こえる絞り出すような嗚咽。
理解するのに少し時間がかかった。
理解して驚いた。
俺は、
父に抱き締められていたのだ。
そして彼は声を殺して泣いていた。
訳が分からなかった。
俺は怒られる、 失望されると思っていたのに。
この人の、 今の感情はなんなんだ。
混乱していると、 小さく声が聞こえてきた。
「よく、 よく生きていた......! 」
......ああ。
俺はまた疑ってしまっていたのだ。
この人は、 この父は。
子供に甘い男だった。
見離されるなんて、 ありはしなかったのだ。
「聞いたぞ! お前が、 俺の代わりに街を救ってくれたんだろ? 」
続く言葉を聞いて胸が締め付けられた。
そうじゃない、 そうじゃないんだ。
「だけど、 僕は......沢山の人を巻き込んで、 レナも......」
自分の罪を懺悔しようとする。
しかし言葉が続くかない。
怖い。
失望されるのが怖い。
それでも、 言わなきゃいけないのに。
俺は罪悪感に押し潰されそうだった。
だが。
「それでも! それでもだ!! 」
また父の声に遮られた。
「そんな事は関係ないんだ! お前は街を救った! 誰も死なせなかった! そして何より! お前が生きていた!! それだけで、 それだけで......いいんだ。 お前は、 よくやった!! 」
モードはそう言いながら俺を更に強く抱き締めた。
「......ぁ」
認められた。
何があったかじゃなく、
今ここにいる俺を褒めてくれた。
「あぁ......」
そこからは俺も止まらなかった。
「ああああっ!! 」
涙と声が止まらなかった。
俺は久しぶりに、
父の腕の中で、
声を出して泣いた。
そして俺は、
そんな彼の優しさに甘えて、
レナの事を聞く事から逃げた。
◇◆◇
次の日。
怪我の完治が一週間延びていた。
散々お互い泣いた後、 モードに事の原案を話すとめちゃくちゃに怒られ殴られたからだ。
あの感動はなんだったのか。
相変わらずの暴力父だ。
まぁ殴られた傷自体は『キュア』で治せる訳だが、
モードが「それは罪の証だ。 治すな」と言ってきたので自然治癒に委ねられたのである。
言ってる事は理解出来るが相変わらず理不尽である。
......まぁそれでも、 モードは俺を見限らなかった。
それは、 嬉しかった訳なのだが。
しかしだ、 これぐらいで許されるつもりはない。
俺の犯した罪は重い。
ならばと先生に重めの罰を懇願した。
そもそも彼もお仕置とか何とか言っていたしな。
「えぇ?♡ もうモードちゃんの愛の鉄槌でいいじゃない♡ 」
しかしこの人も相変わらずだった。
俺の罪悪感を和らげようとしてくれているんだろうが、 それで片付けられる問題ではない。
「というか♡ それよりも気になる事があるんじゃないかしら?♡ 」
そしてまぁこの人は相変わらずだ。
俺の心を見透かしてくる。
確かに俺の罰についても大事だ。
でもそれ以上に、 レナの事、 それが気がかりだった。
正直俺の口からは聞けなかっただろう。
相変わらず逃げ腰だったからな。
それを先生も見抜いたんだ。
本当にこの人は、 甘いのか厳しいのか。
「ただ......心して聞きなさいね? 」
そう言う先生の表情は真面目なものになる。
その時点で、 俺は事の大きさを理解してしまった。
先生の話では、
レナの意識も戻っているという。
健康状態も良好。
食事も普通に出来ている。
今すぐ命に関わるような外傷等もないそうだ。
『今すぐ』。
その言葉に引っ掛かったが、 その予想は的中する。
レナの尻尾。
その部分は元に戻っていないのだと言う。
臀部は俺の『キュア・グロウ』とスライムの肉片の効果で再生した。
しかし尻尾は、
付け根が少し再生した程度だと言う。
その時点で俺の顔から血の気が引いていた。
しかし今回の話はそれだけでは終わらない。
尻尾。
それはレナたちカゲト族にとって一番重要な身体の部位。
その部分が欠損したレナは、 もう成人として認められる事はないという。
尻尾がなければ戦えない。
それどころか尻尾がなければ生活に影響が出る。
それ程までに、 カゲト族にとって尻尾は重要な部位なのだ。
これは誰が決めた訳じゃない。
カゲト族で昔からある掟だった。
尻尾がないからと言って爪弾きになる訳ではない。
むしろ大切に保護されるらしいが、
一生一人前として扱われる事はないのだ。
つまり、 彼女はもう自分の意思では生きられない。
そんな現実を、 俺は突きつけられた。
......俺の、 せいだ。
俺が途中で気を失ってさえいなければ、
レナの尻尾を完全に治せた筈なのに。
いや、 それだけじゃない。
俺がレナを巻き込みさえしなければ......。
一気に胸が苦しくなる。
呼吸が浅くなる。
罪悪感に押し潰されそうだった。
「......ごめんなさい。 辛い話をして。 でも絶対に知る事になるだろうから。 だから、 せめて私の口から話したかったの」
そう言う先生も、 罪悪感に押し潰されそうな表情をしていた。
彼がそんな風になる理由なんてないのに。
「今回の事は、 全て領主である私の責任よ」
自分は何も出来なかった。
被害は最小限に抑えられたが、 それはリーブちゃんのおかげ。
それにレナちゃんに後遺症まで残してしまった。
先生はポツリポツリと呟く。
「死んだり辞めたりして責任を取るつもりはないわ。 この身を粉にしても働きで償うつもり。 ......街の皆やレナちゃん、 リーブちゃんが許してくれたらだけどね? 」
「そんなの! .......当たり前じゃないですか」
キッパリ言おうとして後半が詰まった。
俺は先生に責任を取ってもらおうだなんて思ってもいない。
けど、 それを決める資格なんて俺にはないんだから。
「......ありがとうリーブちゃん」
しかしそんな俺を、 先生は抱き締めてくれた。
「情けない領主として、 不甲斐ない先生として、 お礼を言うわ。 この街を救ったのは貴方。 本当に、 本当にありがとう」
「いえ、 僕は......」
「さぁ! 暗い話はここまで! いくら自分を責めたってその罪を決めるのは自分じゃないもの! アハハ! 私も国から斬首刑になったりしね! アハハハハ!! 」
そう自分に言い聞かせるように言う先生は、 無理しているように見えた。
同時に、 俺の事を気遣ってくれているのもよく分かる。
「だからリーブちゃん! 自分を責めるのは、 街の人やレナちゃんに会ってからにしなさい! だからその為には先ずは身体を治す! いいわね?♡ 」
その言葉に頷きながらも、 俺の罪悪感は消えなかった。
しかし確かに先生の言う通りだ。
何にせよ、 きちんと皆に会って謝らなくては。
俺はその時から一度思考をやめ、 療養に専念した。
逃げではなく、 皆に謝る為に。
そしてあっという間に一週間が経ち、 俺の身体も歩けるまで回復した。
結局先生は、 国から責任を問われる事はなかった。
寧ろ最低限の被害で済ませた功績を認められ、 少量だが褒美として金が贈られてきた。
先生はそれを復興の為に惜しみなく使い、 また街の人の信頼を得ていた。
この人は大丈夫だ、 街の人も責任を取れなんて言われる事もないだろう。
街は復興していき、 元の生活が戻り始める。
その中で取り残されているのは俺だけだった。
俺はまだ、
街の人にも、
レナにも、
謝る事が出来ていなかった。
結局、 怖くて逃げているのだ。
◇◆◇
先生から外出許可が出た。
歩けるようになった事により、 療育も兼ねて街を見て来いと言う話だった。
これは俺にとってチャンスだった。
なんだかんだ二の足を踏んで街の人に謝る事が出来ていない。
動けない事を理由に後回しにしていたのだ。
相変わらずの逃げ癖である。
しかしこうして半ば強制的な指示があれば、
俺だって動かざるを得ない。
先生はそれすら見越しているのかもしれない。
相変わらず優しいのか厳しいのか分からない人である。
とまぁ色々と行動する前から考えてしまうのは俺の悪い癖だ。
とにかく動こう。
そう自分に言い聞かせ身体を動かす。
けどこれがまた難儀だった。
一週間動かなかったもんだからベッドから降りる事すら一苦労だったのである。
何とか起き上がり、 部屋の外に出る。
扉の先は廊下だ。
とにかく長い廊下が続いている。
そういえば。
死にそうになって運び込まれたり、
授業の為に毎日通ったりしていたが、
思えば先生の屋敷を見て回った事がなかった。
いきなり外に出るのもアレだし、
先ずは屋敷内を歩いて身体を慣らすか。
こうして俺は長い廊下を探索する事にした。
この屋敷はかなり広い。
廊下は長いし、 部屋数も相当ある。
俺が泊まっている部屋は三階だが、
この廊下が三つ分あると思うと気が遠くなる。
健康体な時ならまだしも、 今の俺には全部回るのは不可能だろう。
少し歩いただけで息が切れて身体が重く感じるくらいだからな。
一週間動かないと人は鈍るものだ。
自分の部屋から数個扉を通り過ぎた所で、
廊下の向かい側にある窓にしがみつき、
気分転換がてらに外を見る。
そこには広い庭が広がっていた。
周りには森が見えて、 少し先にはモォトフの街が見える。
俺はその景色を見て一息ついた。
この屋敷は無駄に広い。
だからと言って無駄に広い訳じゃない。
それぞれの部屋にきちんと役割があるのだ。
例えば俺の寝ていた部屋。
あれは所謂入院用の部屋なのである。
モォトフの街には常駐の医者はいない。
勿論街医者はきちんといるのだが......それもあくまで『魔物恐怖症』の患者だ。
いつかは居なくなるし、 時期によってはいない時もある。
その為、 屋敷には先生お抱えの医者が住み込みで働いているのだ。
不満は執事やメイドとして働き、 今回のように何かあれば本職としての仕事をする。
実は、 この屋敷の使用人たちはそんな各分野のプロフェッショナルばかりなのだ。
モォトフの街は『魔物恐怖症』の患者が社会復帰する為の医療施設だ。
その為、 街に住まわせ、 以前の生活と同じ事をさせる。
商人なら商いを、 鍛冶屋なら鍛冶を、 農家なら農業を任せ元々の生活に戻れるように支援しているのだ。
同時にそれによってこの街は成り立っている。
しかし彼らはあくまでも患者だ。
患者である住人に頼りっぱなしでは有事の際に街が回らなくなるし、 彼らの治療も行えなくなる。
だから先生は、
彼らが居なくても街の機能が停止しないように、
使用人として各分野のプロフェッショナルたちを屋敷に常駐させているのだ。
だからこの屋敷に住む執事やメイドの人数は多い。
そしてそれぞれが力を発揮出来るように、 屋敷にはそれに応じた部屋があるのである。
良く考えれられたシステムだ。
それにこの屋敷は避難所になっており、
街に何かあった時は住人を住まわせられるようにもなっているらしい。
それもあって部屋数が多いのだ。
そして屋敷には魔物と戦える者もいる。
だから今回も屋敷に皆を避難させ、
スライムが襲って来たら対処するつもりだったらしい。
......しかしそう考えると疑問も出てくる。
無駄のないシステムだとは思うが、
戦える使用人がいるなら何故モードだけに魔物狩りをさせるのだろうか。
まさか先生、 モードに厄介事を押し付けてるんじゃないだろうな?
あの人なら、 有り得る。
......そんな事を考えていると、
俺はいつの間にかある部屋の扉の前で立ち止まっていた。
そして程なくして理解する。
これはレナの部屋だ。
俺と同じく、
レナも屋敷で治療を受け入院している。
それは先生から聞いていた。
どうやら無意識のうちにここを目指していたようだ。
逃げ癖のついている俺にしては上出来だ。
何よりも彼女に謝らなければ、
その気持ちが足をここに運ばせたんだろう。
だったらやる事は一つ。
顔を合わせ、 きちんと謝るのだ。
そう思いつつ扉に手をかけようとする。
しかしそこで動きが止まってしまった。
どんな顔をして会えばいいのだ。
そんな思いが頭を巡る。
何事もなかったようにいつも通り挨拶するか?
敢えて明るく振る舞ってみるか?
いや、 誠心誠意謝罪の気持ちを込めて真剣な面持ちで......。
ダメだ。
どれも不正解な気がする。
一体どうすればいい。
俺がそんな風に二の足を踏んでいると、
中から声が聞こえてきた。
すすり泣くような、
胸を掻き乱すような声が。
『尻尾が......私の尻尾が......』
「?! 」
気づけば。
俺は自室のベッドにいた。
街に向かう事もやめ。
レナに謝る事もやめ。
逃げ帰って来たのだ。
どうしようもない奴だ。
そう自分を責めつつ。
俺はそれを忘れるように眠った。
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