第150話 深層心理
落ちていく、落ちていく。
深く、深く、まるで底のない湖に落ちているかのように沈んでいく。
私はそれにただ従うだけ。
何も考えることなく、流れに任せる。
いや、考える気力が湧かないんだ。
だって、ここは暖かくて、優しくて、信じられないくらい居心地が良いのだから。
「初めまして」
!?
声をかけられた。
あんなに朧げになっていた思考が、視界がクリアになる。
気がついたら、私は王城の園庭にいた。
イツキさんにシロツメクサの指輪を教えてもらったあの園庭だ。
最高で理想的な未来を見せてやる。そう私に言って手を差し伸べてくれた場所。
時間は夜。
園庭の白い花は光を放ちとても幻想的だった。
声をかけた張本人は目の前に置かれた白いテーブルを囲む椅子の一つに腰掛け、正面の席を手で指して私に座るように催促してくる。
白いワンピースを着た髪ボブカットほどの髪の長さの少女。
髪の色は私と反対の銀紫色で、容姿は私より幼く見える。
でもどこか余裕を持っているように感じる。
「ああ、すいません。人と話すのは随分久しびりなものですから、自己紹介を忘れていました」
そう言って目の前の幼女は席から立ち上がった。
「申し遅れました。私、原初の悪魔の一柱カミジナと申します」
「あ、ど、どうも……えっと私はー」
「キャメロット王国第一王女エレナ・フォン・キャメロットさんですよね? 存じておりますよ」
名乗ろうとしたらそう笑顔で返されてしまった。
ど、どうして……私の名前を?
「彼に関することならなんでも知っていますので」
カミジナさん? はそう言いながら椅子に座り直した。
なんだかその表情は……なんというかこう……自信に満ち溢れているというか、自慢げに見える。
心の奥が少しもやっとした。
ひとまず、私も椅子に座る。
「あの……ここは? 城の園庭ですよね? 私、イツキさんに蘇生魔法をかけていて……そこから記憶が……」
「……なるほど、あなたにはここが園庭に見えるんですね。確かにあそこはあなたにとっても大切な場所ですからそう見えていてもおかしくはありません」
その言い方だとカミジナさんにはここが別の場所に見えているのだろうか?
「蘇生魔法は互いに深くまで繋がる魔法ですから、エレナさんは今、イツキさんと魂がつながっている状態になっているのです」
魂が……繋がっている。
そしてカミジナさんは自分のことを原始の悪魔と言った。
原始の悪魔……ウリエルと戦っている時、イツキさんが言っていたような。
どうしよう。わからないことがたくさんある。
……そういえば、私はイツキさんのことどれくらい理解しているのだろう。
表面上のこと……性格とかはある程度知っていると思う。
そういえば、彼は自分の事を転換ではなく、イレギュラーな方法でこの世界に来たと言っていた。
彼は何者で、どんな力を持っていて、どんな過去があるのか、私は何も知らない。
「深く、深くまでつながり、あなたはこの場所……双葉イツキの深層心理までたどり着いたのです」
「えっと、ここがイツキさんの深層心理だとして、どうしてあなたがいるんですか? それと原始の悪魔ってなんですか?」
「それは、私と彼の繋がりがそれほど深いからです。深層心理といえど、丸裸というわけではありません。私のように外敵から守るための防衛システムが必要なんです」
「それと原始の悪魔とは何かですが……そうですね。あなた方でいう四大天使と同じようなものです」
そう説明しながらカミジナさんは湯気の立つティーカップを私の前に置いてくれた。
それと同時にクッキが並べられた皿も。
そのクッキーは少し焦げていて、形も不恰好だった。
このクッキー……もしかして。
「気が付きましたか? これははあなたが作ったクッキーですよ。彼はあなたのクッキーを気に入っていたようですよ」
深層心理に出てくるくらいにはね。
とカミジナさんはそう付け加えた。
このクッキーは以前、一人で本を見ながら作ったクッキー。
お父様やお世話になっているメイドや使用人の皆さんにプレゼントするつもりだった。
でも見た目が不恰好だし、誰にも渡さず自分一人で食べようとしたのをイツキさんが食べちゃったんだっけ。
私にとっては失敗作で苦い思い出のこのクッキーがイツキさんにとっては……
「会いたくなりましたか? 彼に」
心を読むかのようにカミジナさんがそう言った。
「……そうですね。会いたいです」
不恰好なクッキを食べる。
すこし、甘すぎたかもしれないと思った瞬間視界が一変した。
「ーえ?」
先ほどまで園庭でカミジナさんとお茶をしていたはずなのにその空間が消失し、代わりに展開されたのは夕焼け空の河川敷。
電車が鉄の橋をの上を走り、川を横断している。
全て始めて見たものはずなのに、まるで知っていたかのように理解できる。
不意に柔かい香りがする暖かい風が吹いた。
そして目の前には
「……エレナ?」
イツキさんが立っていた。
その姿はいつも見ている姿じゃない。
制服を着ているその容姿は幼く感じる。
私と同じくらいの年かな?
それでも目の前にいるのは双葉イツキだった。
なんだか、随分と久しぶりな感じがした。
視界がぼやける。
なぜかわからないけど、涙が出た。
言いたいことは沢山あった。
だけど、言葉より、体が動いた。
気がついたら、私はイツキさんに抱きついていた。