34・猛毒の中で+戌 戦⑥
戌の遠距離攻撃が僕の足下にまで放たれていた。噛み砕かれるように抉られる床。
僕はその攻撃を避けると、すぐに戌に向かって走り出す。それはまるで特攻。蒼き短刀の刃を戌に向けて突き刺すことができるように走る。
「『ボクにその刃を突き刺そうとするのかい?」』
頭の悪い猿だとでも思っているのだろう。
だって戌には幽霊化の能力があり、どんな攻撃でも当たらないようにできるからだ。
この蒼き短刀も幽霊化の前では意味がない。
しかし、その言葉をかけられても行動を変えようとしない僕に戌は違和感を感じたようだ。
「『無駄だよ幽霊化している状況でこんな攻撃…………いや違う」』
その気づきようから見ても戌は理解したようだ。
奴は今幽霊化を行っている。いや、幽霊化を常に行わないといけない状況である。
シャックスの謎の道具によって中央の首が眠らされている状況で、奴は幽霊化を解除することができない。
「『貴様、まさか狙いを変えやがったな。ボクを殺すのではなく……」』
戌は焦っているがもう遅い。
確かに幽霊化なら僕の攻撃を避けることができる。
しかし、攻撃をするために僕は戌に特攻を行ったのではない。
道路に現れた霧のような物。道は続いてる。
僕の体は幽霊化している戌の中に入っていった。
「残念だったなクソ戌め。僕の目的はお前じゃない。ナベリウスさんさ!!」
戌の中は霧みたいな感覚でなんだか吐き気がするような空気だった。まるで物が腐ったかのような匂いが充満している。
それでも、僕は進む。
戌を倒せなくても、本体のナベリウスさんをどうにかすれば戌は消え去る。
戌=ナベリウスさんであると戌が言ったんだ。
このまま、ナベリウスさんと戌とのリンクを分離させるだけでいい。
「『させない。ご主人様には近づかせない」』
戌の声がこれまでで一番間近で聞こえてくる。
一番間近で聞こえた声が焦った状況での声だというのはなんだか清々しい。
しかし、自分の肉体に遠距離攻撃を行うこともできないし、幽霊化を解除して僕を圧死させることもできないのに何ができるだろう。
戌は何をしようと企んでいるのだろう……。
戌の中の空気が変わる。物が腐ったかのような匂いも気にならないくらいの変貌。
ピリピリと全身に走る何かの感覚。皮膚が焼け溶けそうな痛み。
「グガッ…………」
思わず口を手で覆うと、口には大量の血が吐き出された。
これは…………戌の残されていた最後の首の能力か。
「『猛毒と幽霊化だ。その肉体を汚染してやる。ボクの体内に入った時は焦ったが……これで問題はない」』
猛毒の霧のようだ。
皮膚がシューシューと音をたてて煙を出している。
全身が麻痺で思うように動かない。傷口に猛毒が染みて地獄みたいな苦しみを感じる。
「がっ………………ごっ……………だ………」
それでも僕は死なない。
それでも僕は恐怖心を感じない。
それがシャックスとの商談の結果である。
この攻撃が来ることをシャックスも僕も予想はしていた。
だから、その契約期間内でナベリウスさんを救い出せるかがこの勝負の結末を決める。
距離は数メートルなのに数キロメートル先にあるように感じる。
視界が真紅に染まって目から血が流れ落ちた。
「『死ーね。死ーね。死ーね。死ーね。死んじまえ」』
戌の声だけが聞こえてくる。
冗談じゃない。僕はまだ死ぬわけにはいかない。
「(死んでやるもんか!!)」
何度も意識が飛びそうになりながら、僕は地面を這って進む。
やる気しか湧いてこない。体が動かないのにも関わらず恐怖心を感じていないお陰だ。
そのお陰でさんざん自分の体への無理ができる。
「(くそったれが!!!!)」
痛みを感じる体を死ぬ気でたたき起こし、僕は立ち上がった。
もう全身に猛毒が回りかかっている。視界が真紅に染まりきってしまい、どちらが前か後ろかも分からない。
「『やめろ。やめるんだ猿ごときが。ボクらの夢を復讐を邪魔するんじゃない!!」』
「(うるせぇ!!!!)」
最期の最期まで抗う。
僕は真っ正面かは分からないが、一方向へと走り出した。
僕は手を伸ばす。
「(ナベリウスさんがこの先にいるのか?)」
戌のオーラ内の中央付近にたどり着いたとは思っているが。
まるで砂嵐の中に迷いこんでしまったかのように何も見えず、何も聞こえてこない。
なので、もう一か八かこの近くにナベリウスさんがいると予想するしかない。
僕は正面に向かって手を伸ばす。
「(ナベリウスさん!!)」
運に任せて僕は手を正面に伸ばす。
目の前にいてほしい。ナベリウスさんを救助するためにこの近くにいてほしい。
次第に手に力が入らなくなっていく。
手が麻痺して動かなくなっていく。
『蜉ゥ縺代※縺ゅ£繧医≧』
まただ。
あの時のように誰かが手を握ってくれている。そして引っ張ってくれている。城内で僕が暗闇の中に入った時のようだ。
「(誰だ……?)」
この状態では何も見えないのに、何故か安心感を覚えてしまう。この冷たい手には何故か安心させられる。
僕はその手を信じる。その手を信じて引っ張られていく。
「『◯様…◯……なぜ◯様◯邪魔を◯る。なぜ貴◯がそ◯に◯る?」』
戌の声が聞こえてきそうで聞こえてこない。なんだか途切れ途切れで聞こえてきた。
すると、しばらくして僕の手を握ってくれている者の握力が消えた。フッと煙のように僕の手を引っ張る者の握力が消えた。
僕は何が起こったのか?と思わず目を開けてみる。
空気が違う。
猛毒化で苦しめられてきた空気とは程遠い。新鮮な空気。
しかし、僕の全身に回ってしまった猛毒まではどうすることもできていない。
視界は真紅に染まり、全身は焼けるような痛みを感じながら煙を放出している。身体中に力が入らない。
だが、真紅に染まった視界でも分かることがあった。
僕の視線の先でナベリウスさんが眠っている。
透明の膜のような物に包まれてはいるが……彼女の体は無事だったようだ。この猛毒化にも耐えれる膜なのだろうか。
戌もご主人様ごと僕を毒殺するつもりはなかったらしい。
「ナベリウスさん!!」
僕は最期の力を振り絞ってナベリウスさんのいる場所へと向かう。
そして、膜の中へ手を伸ばした。
異物を押し出すように膜は僕の手を弾き出そうとする。
「『やめろ。ご主人様のためなんだ。やめるんだ」』
戌の最後の抵抗なのだろう。
僕がナベリウスさんに触れられないように必死に抵抗してくる。
「ナベリウスさん起きて!!」
「『もうご主人様は後戻りできない。こんなに国を破壊したんだ。外を見てみるか?
お前が眠っている間にも破壊は続いていたんだぞ。その光景を見てご主人様はどう思う?
自分のせいだと嘆き生きることになるんだぞ?」』
「それはお前がやったことだ。お前の独断の判断だ。ナベリウスさんは関係ない!!」
確かにナベリウスさんはそれをするくらいの事をこの国にされてきた。
だけど、復讐は終わり。新しく日々を始めよう。
東の魔女でもない国王でもないナベリウスさんはナベリウスさんとして自分が進みたい道を選べばいいのだ。
「ナベリウスさん行くぞ。あなたの造る平和な世界へ!!」
ナベリウスさんの手を掴んだ。いや、ナベリウスさんが伸ばした手を掴んだのだろうか。
どちらなのかは分からないけれど。
僕は掴んだナベリウスさんの手を膜の中から引きずり出そうとする。
「『やめろ。ボクからご主人様を取らないでくれ」』
「うおおおおおおおお!!!」
「『おのれお前ら。許さない。お前らだけは絶対にィィィィ!!!」』
膜が消える。
腕が引きちぎれるくらいの力を込めて、膜の中からナベリウスさんを引きずり出した。
『ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!』
それと同時に戌の断末魔が僕の耳に響いてくる。
安心した。
これで戌は倒すことができた。
僕はすべてが終わったことに安堵する。
その瞬間……僕の体は限界を迎えたようだ。
ビジッ……
─────僕の意識が消えた。




