26②・墨+『カイム・カラストリロ』
国王を撃ち殺そうとした悪党Uの体を黒い波が襲いかかる。
ふと我に返った悪党Uに黒い液体の波が降りかかった。
「ナベリウスさん危ない!!」
大量の黒い液体は悪党Uの体に襲いかかっただけではなく、扉の方へと流れ込んできたのだ。
僕はあわてて、全身を使ってナベリウスさんを突き飛ばす。
ただ結局、黒い液体の波は廊下にまで侵蝕してきたが、僕らにかかることはなかった。
「…………すみませんエリゴル君。まさか怪我人に助けられるとは」
ナベリウスさんはその黒い液体から離れるように後退すると、立ち上がって僕の腕を肩にかけて立ち上がらせてくれた。
「気にしないで。それより悪党Uは?」
ナベリウスさんと僕は警戒しながらも、部屋を見る。
廊下にまで侵蝕してきた黒い液体はスースーと嫌な音を立てていた。まるで何かの科学的な毒薬のような印象を受ける。
「東の……魔女……様。助け」
部屋の入り口付近から声が聞こえてきた。
その声の主はナベリウスさんに助けを求めようと廊下まで這ってきたのだ。
「大丈夫ですか!?」
それは謎の液体によって黒く染まった悪党U。
ナベリウスさんは伸ばされた手を掴もうと手を伸ばしたのだが……。
「ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ」
まるで壊れた機械のように奇怪な音を発し始めた悪党U。
ナベリウスさんはその声が聞こえてきたことに恐怖してしまい伸ばした手を引っ込める。
もちろん、この光景は僕にとっても怖かった。
僕もナベリウスさんも突然の出来事にどうすればいいか分からないまま、彼を助け出すことができない。
そして、僕らに奇異の目で見られながら、悪党Uは黒い水の中に呑み込まれていった。
訳がわからない。
黒い液体を全身に浴びた悪党Uが僕たちの目の前で黒い液体の中で消えていった。
「ナベリウスさん……これは?」
「わからない。私には何が起こったの?」
目の前で行われた光景に恐怖してしまう。
だが、銃声が聞こえてきた事とこの液体によって中に誰かがいるのは確定している。
あの部屋に入るしかない。
そのためにはこの液体の上に足を踏み入れるしかない。
今、僕はナベリウスさんのお陰で立てていられるようなものであり、言えば重傷の怪我人。
ナベリウスさんの判断に任せるしかない。
「行くよ……」
ナベリウスさんは僕の腕を肩に回してくれている状態である。
そのため、ナベリウスさんの判断が正しくなくても僕はその判断を信じるしかないのである。
あの悪党Uのようにならないことを祈るしかないのだ。
ついに、ナベリウスさんは黒い液体の上に足を踏み出した。
「…………」
ナベリウスさんは問題なく黒い液体の上に立てている。
理由はよくわからないけれど、僕もその上に乗ることができる。別に問題はない。
「「ほっ……」」
胸を撫で下ろして2人で安堵した。
「「「あっ……」」」
だが、扉ごと黒い液体によって消えてしまったので、入り口付近に立ってしまっている。
こちらから部屋の中を確認することもできるし、向こうから僕たちの姿を見ることもできる。
悪党Uをこんな目に合わせた犯人とのご対面。
そして、アナクフス国国王とのご対面である。
その男。灰色の刈り上げた髪に灰色の瞳の好青年。まるで毛皮のようなモフモフのコートを身に纏っている。年齢はおそらく若く、礼儀正しい印象ではある。ただ、そのコートには少量の彼の血が付着していた。
「なんだよ……もうーーまた侵入者かよーー、
なぁ、お前らも見てただろ?
こうなりたくなければ降伏した方がいいぜ?」
ただ、不満を言ってくる彼の手のひらは銃弾が貫通して穴が開いている。
それに疲れきっている様子である。
確かに、あの黒い液体は危険だろう。
ただし、「液体さえなければ彼を取り押さえるのに苦労しないのだろう」なんて想像してしまう。それほど強そうな人には見えなかった。
そんな彼にナベリウスさんは尋ねる。
「やはりお前がやったんだな。アナクフス国の元国王『カイム・カラストリロ』」
「ひどいな貴様。僕を“元”呼ばわりとはね……。
どうやら僕の力を分かっていないらしい。
いいの? 君も黒に呑まれさせてやるよ」
「黒に呑まれる?
なるほど、あの液体はお前の能力か?」
「そうだ。王に相応しい僕が授かった超能力だ。シャックスは【墨の付喪人】とか言ってたが……。
僕の能力は【液体に呑まれた部分を黒と同化させる】能力なんだぞ!!」
墨。古来より文字などを書く時に使われていた液体の道具。
墨は文字を書くことも、潰すこともできる。
つまり塗り潰す。文字の上から黒い墨で塗りつぶせば、文字は消えて墨の跡だけが残る。
その超能力者……付喪人であるということは道具にちなんだ超能力が使えるということ。
だから、あの場の悪党Uは全身に液体を浴びたことで黒に塗り潰されたのだろう。
仮に悪党Uの存在を紙の上に書かれた文字として考えると、その効果も理解しやすい。
カイムにはそうやって人を消すことができる能力がある。
まさに、彼にピッタリな独裁者向けの超能力なのかもしれない。
ただし、その液体も僕の前では無意味であると言っておこう。せっかく来た活躍のチャンスだ。
重傷の怪我人である僕だが、無能力者のナベリウスさんを危険な目にあわせるわけにはいかない。
「ナベリウスさん下がってください。危険ですよ……あいつは付喪人。武器もない人間が敵う相手ではないです。僕が取り押さえます」
「いやいや何を言うんだい。君があいつの相手をするのか?
無茶をいうなよ。君の腹には深い刺傷があることを忘れているのかい?」
「ナベリウスさん僕の左目の事を忘れたんですか?」
僕の左目は予知することができる特殊な左目。
マルバスたちにも誰にもバレてはいけないはずだった僕だけの秘密の目だったが、なぜかナベリウスさんにはバレてしまっている。
その左目で予知を見ることで、僕がその攻撃を避けることができるかを確認していくつもりなのである。
過去にはその方法で暗殺者を殺すことだって出来ているのだ。
僕はナベリウスさんから離れて気合いを振り絞りながら自力で立つ。
「いくぞ左目。僕に見せてくれよ」
予知は僕がピンチの時や強く念じた時に見ることができる。今も絶賛ピンチの真っ只中。
これはもう予知を見ることができる絶好の機会なのである。
強く念じる。これまでのように強く予知が見たいと念じる。
左目が疼けばそれは予知の合図。
念じる。これまでのように強く念じる。左目が疼き始めるまで念じ続ける。念じる。念じる。念じ……。
「……………え?」
上手くいかない。これまでと同じなら、もう予知が出来ているのだ。
未来を見れているのだ。
だが、左目がまったく疼かない。まるで超能力が使えなくなったみたいだ……。
「なんで使えない?」
このままでは本当に僕はカイムに殺される。
絶好の的状態の僕。すぐにでもカイムの超能力の墨で黒に呑み込める。
本当にピンチの真っ只中なのに、僕の予知が発動しない。
これまでのようにいくらやっても予知が発動しない。
「どう言うことだ?
僕はもう予知が見れないのか?」
『霑代¥縺ォ蜊ア髯コ』
予知が見れなくてショックを受けている僕の耳元で何かが囁く。
ナベリウスさんの声ではない。
謎の声。前にも聞こえたことがある謎の声が僕の耳に聞こえた。
周囲の反応から見ても、僕にだけ聞こえるのであろう。
例えば、何らかの理由で使えないだけとか……?
何らかの理由。
その原因は分からない。だが、今優先するべきことは1つだけ。
この状況でどうやってカイムと闘うか。
それだけである。
失敗を引きずることなく顔をあげた僕は床に倒れそうになる。
だが、再びナベリウスさんがその体を受け止めてくれた。
本当にありがたい。
今、僕の頭の中ではナベリウスさんへの感謝の想いが渦巻いている。
ただ、1つだけ気になることがあった。
カイムがなにもしてこなかったのである。
予知が使えないと焦る僕に攻撃することはできたはず。
そんなチャンスを逃している彼を不思議に思っているのだ。
僕は不思議に思ってカイムの様子を伺おうと、視線を向ける。
すると、彼は頭を抱えて小声で自問自答をしていた。攻撃どころではないほど焦っている様子である。
「いやいや、違う。まさかそんなはずはない。左目……。あり得ない。そんなわけがない」
何かに気づいたように……。何かを思い出したように……。
彼は冷静ではない態度で、焦りだしていたのだ。




