14 ②・帝王『バラム・アーネモネ・レメゲト』+槍騎士アビゴル
走っている馬車の客車には僕とアンドロ・マリウスちゃんしかいないはずだった。
その人物が乗り込んできた姿も僕らは見ていない。それなのに、彼女は客車に座っていた。
「ひさしいな。余が直々に迎えに来てやったぞ」
その人物の姿は女であった。
薄い紫色と黒色の長髪をポニーテールのようにして束ねた、20代前半くらいの見た目の女である。
服はリボンや帯などが全体とは異なって明るいカラーとなってはいたのだが、その服の全体的な闇のように暗い青色に明るさの印象すらも持っていかれている。
だが、全体的に暗いイメージというものは彼女には皆無であり、それはもうまるで雨の闇夜に咲く青薔薇のように美しい。
そんな謎の女性が僕らのいる客車に突然現れたのだ。
客車に最初からいたような気配もなく、客車に乗り込む姿もなく。まるで空間に今貼り付けられたように……。
彼女は僕らの前に現れたのである。
僕は突然姿を現した人物に警戒せずにはいられない。驚きすぎて叫びたくもなったが、その気持ちを抑えて僕はアンドロ・マリウスちゃんに視線を向けた。
この状況をどうするか?
突然現れたこの女性は敵なのかを尋ねるためである。
ただ、アンドロ・マリウスちゃんの決断は速かった。彼女は謎の人物の姿を見た瞬間に僕に向かって叫んだのだ。
「エリゴルさま。逃げるよ。今すぐ!!」
彼女の決断は逃げるという選択を選んだらしい。さいわい、僕の側にアンドロ・マリウスちゃんはいる。馬車から飛び降りるとしても、僕は怪我をするだろうが、この際躊躇はしてられない。
僕はアンドロ・マリウスちゃんを抱えて、返事を返すこともなく、急いで馬車から飛び降り……。
〜〜
……れなかった。
僕とアンドロ・マリウスちゃんの体は客車の中に乱暴にも引き戻されたのである。
謎の女性はあの場所から一歩も動いていない。それなのに、馬車が僕らを逃さないといったように、一瞬の隙もなく僕らの体は後方へと飛ばされたのだ。
「!?!?!?」
僕は荷物に紛れながら頭を起き上がらせる。側にアンドロ・マリウスちゃんはいない。
アンドロ・マリウスちゃんは謎の女性の目の前にいた。
「貴様は変わらぬな。手をかけさせる。昔からそうだった」
「……!!」
「貴様の国外追放はまだ解いてはおらぬ。それでも戻ってきたのには訳があるのか?」
「それがなんだよ。クソ野郎」
「はぁ、第一声がそれか。まぁ、良い。貴様が来ずとも迎えはよこすつもりだった。貴様から来たのは好都合だ」
そう言って、謎の女性は無理やりアンドロ・マリウスちゃんを立ち上がらせる。
「ああ、もう!!! 離せ!!!!」
アンドロ・マリウスちゃんは抵抗しながら、謎の女性の足を蹴ったり踏みつけたりするが、謎の女性はまったく気にしていない様子だ。
苦し紛れの抵抗を試みているアンドロ・マリウスちゃんは最後に僕に向かって視線を向けてきた。
「逃げて……」
その声を聞いた瞬間、僕の体は既に動いていた。恐怖に打ち勝ったカエルが蛇に向かっていくように。青き短刀を握りしめて、僕は謎の女性に向かって駆け出す。
「アンドロ・マリウスちゃんを離しやがれ!!!!」
謎の女性の腕を突き刺す勢いで僕は青き短刀を振りかざす。
「………………うそだろ!?」
その青き短刀を謎の女性は指二本で抑えた。
僕の体重も勢いも乗っているはずの短刀の刃を指二本で挟むようにして止めている。
しかも謎の女性は僕の方を見てはいない。まるで最初から僕の存在など眼中にもない様子で攻撃を止めてきたのだ。
謎の女性は僕の方を見向きもしない。
「わかるか? アンドロ・マリウス・レメゲトよ。これは我が家の問題だ。他所を見ている暇はない」
謎の女性にとってはこの客車には僕がいないも同然なのだろう。
僕はさらに短刀を押し込もうとするが、まるで岩に包丁を突き刺しているようにびくともしない。そればかりか、指に挟められた短刀が抜けない。
「お前、いったい何者なんだ!?」
僕の質問に謎の女性は答えない。
その代わりにアンドロ・マリウスちゃんがその質問に答えてくれた。
「エリゴルさま。逃げて。こいつこそが!!」
“左目が疼く”。
〜〜
次の瞬間、僕の目の前には地面があった。
僕の体は宙に浮いていたというよりも、仰向けて地面に向かって落ちそうになっていた。
まるで先程の敵であったバルバトスの末路が自分に降り掛かって来ているみたいだ。
しかし、こうなることは僕も知っている。
“左目の疼き”による未来予知がこうなることを教えてくれたからだ。
僕はすぐさま行動に出る。右手を必死に足の方へと伸ばし、少しでも馬車に掴まれる段差を探したのだ。もはや捕まることができるかは運。
そして、その運には勝った。
幸い、僕は馬車に掴まることができたので、頭から落ちることはなかったが。足と胸が地面に引き回されている状態だ。
馬に縄で足を括り付けられて、引きずり回す。そんな拷問があるみたいだが。今僕が受けているダメージは足ではなく手を縛り付けられている感じだ。
もう痛くて叫び声を上げ続けている。
そんな中、僕は腕だけの力で上半身を客車へと乗り込ませた。
運良く命は助かった状態だ。
「ほぉ、そうなるか。エリゴルよ」
謎の女性が立ったまま僕を見下している。だが、今度は僕を無視してはいない。
「余の名は帝王バラム。『バラム・アーネモネ・レメゲト』である」
つまり、謎の女性の正体はこの帝国の帝王であり、実質的な大陸の支配者ということか。
「そして、エリゴル。貴様に言いたい。貴様は期待外れだ。余は残念に思う」
「は? なぜ僕の名を?」
「フッ…………それではさらばだ。エリゴル。また会おう」
なぜバラムが僕の名を知っているのかわからないまま彼女は僕に別れを告げる。
彼女はアンドロ・マリウスちゃんを連れてここから逃げる気なのだろう。
そんなことはさせない。そう思い、僕はアンドロ・マリウスちゃんを助けるために再び青き短刀を握りしめて起き上がろうとする。
「もう諦めま 」
そんな僕にアンドロ・マリウスちゃんが静かに呟いた。
〜〜
その瞬間、馬車の客車から2人の姿が消える。
僕はアンドロ・マリウスちゃんを助けることができず、ただ目の前には2人の姿が消えていた。




