4③・立場バトル開始ィィ+亥 戦①
白状すると、この後どうするべきかなんて僕は考えていなかった。
シトリーをこの化物から逃がし、代わりに自分が囮として彼女が逃げる時間稼ぎをする。
その時間稼ぎをする方法を考えていなかったのである。
立場バトル……なんて勝負を仕掛けて化物が挑発に乗ってくれたのはよかったが、化物が人語を聞き取れていなかったらどうしようと焦っていた。
正直、ここまでうまく挑発を成功させることができるなんて思ってもいなかったのである。
それなのに、こうもすんなりとうまくいった。
失敗する場合を考えすぎて成功した場合を考えきれていなかったのである。
ヤバい。化物が完全に殺意を向けてこちらを見てくる。この先どうすればいいんだろう。
武器なんて持っていないんぞ。
逃げるか?
森に飛び込んで逃げれば少しは時間稼ぎができるはずだ。
ネズミみたいにチョロチョロと動き回ればいいだけだ。
人類の子孫は小さな哺乳類だと聞いたことがあるし、その頃の本能が残っていてくれれば、なんとかなるんじゃないか?
「ギィィィィィィィ!!!!!」
そんなことを考えているうちに化物が動き出した。
その巨大な肉体を僕に向かってぶつける気だ。
もしも衝突してしまえば、僕の体は無事じゃすまない。死ぬ。絶対死ぬ。
だから、逃げる。
僕は化物が迫ってくる瞬間に動き出した。
真横に走り出す。
化物の背後をとろうと考えていたのだ。
なるべく、化物の尻の方へと向かう。
化物はバックでの突進はできない。
だからこそ、化物の後方を取る。
そう思って、僕は全速力で化物の後方へと走った。
その代わりに、化物が僕を狙っていた先にある森の木は完全にボッキリと折られてしまう。
樹齢50年くらいあるかもしれない5本の木が簡単に化物の突進で砕けてしまった。
「命って儚いなぁ」なんて思っている暇はない。
すぐに化物が僕に視線を合わせるように体を動かす。
「怖いなぁ~。怖い怖い」
しかし、第2撃目が来る。一息もつかないうちに化物が僕に向かって走り出したのだ。
「しまっ……!?」
油断していた。化物の突進を避けることはできたのだが、それもギリギリ。
僕の体はバランスを崩して宙を舞い、カッコ悪く地面に着陸する。
四肢は無事だ。生きてはいるようだ。僕は今の教訓を思い出して慌てて立ち上がる。
だが、汚れを気にして土を払う暇はない。
また、化物が僕を仕留めきれなかったことを把握して、再び僕に向かって襲いかかってきたのである。
幸運なことがあるとすれば、化物はすぐには止まれないことだろう。
突進を繰り返して攻撃を行うということは、対象に避けられた場合、方向転換のために必ずブレーキが必要になる。
その止まる瞬間に僕が動き出せればよかったのだが……。
こちらには体力的な問題がある。
一撃くらえばゲームオーバーの即死に対して体勢なんて持っていないし、全速力で森を往復したのだ。しかも少女も背負っていた。
もともとスポーツ選手でもなんでもない僕がここまで頑張ったのだ。
普通に限界である。
いや、そもそも万全の体勢でも勝てるとは思わないけどね。
だって、僕は素手で熊に勝てないんだから。
その熊を超える巨大な亥みたいな普通じゃない化物相手には逃げるしかない。
あんな全身武装のような化物からは逃げるしかない。
地形だってボコボロと変わっている。
先程まで草が生えていた場所は掘り返されたように土に埋もれ、足跡がクッキリと残るくらいだ。
「ウッワッ………!?」
「ッとぉ……!!」
「おわっ………!!」
そんな化物の突進を何度避けただろうか。何回死にかけただろうか。
少しでも油断してしまえば、骨折じゃすまない。早く逃げなければ……逃げながらどうするかを考えなければ…………。
───いや、いやいやなんで逃げているんだ。
全身武装の化物……?
あいつにはちゃんとした弱点があるじゃないか。弱点が露出しているじゃないか。
あの眉間に生えた大きな1つの目玉。
あそこにパンチでも与えてやれば、勝敗は決したものじゃないのか。
「へッ…………誰が食物連鎖の上位か。教えてやるよ!!!」
化物に向かって走る。
逃げるのではなく化物を相手に戦おうというのだ。
数分後、僕が小さな声で嗤う。
「ハハッ……ハ」
何を考えていたのだろう。僕はバカだった。なにやってるんだろう。
熊とも戦ったことのない僕がそれ以上の化物に勝てるわけがないじゃないか。
焦りで冷静な判断ができていなかったのだ。
僕は今、地面に横たわっている。
起き上がることはできない。
すでにあばらを数本、左腕も折れて出血もしているという重症だ。戦いきった名誉の負傷だ。
それでも、痛くて痛くて体が言うことを聞いてくれない。
泣き出しそうだった。いや、泣いてた。
そんなボロボロになった僕を化物が見ている。
僕がそこら辺の石を投げまくって当てまくったのに、ピンピンしてる。
だが、もう化物は突進しようとはしてこない。僕がボロボロになった状態だということは理解しているのだろう。
化物は口を開きながらヨダレを地面に垂らしている。
まさか、僕を食べる気なのか?
最悪だ。こんなところで死んでしまうのか。
僕がこいつに負けたなら、僕は立場バトルに負けて不審者変質者に成り下がっちゃうじゃないか。
「死んじゃうのか……」
残念だが未練もいっぱいある。それを達成できずに死んでしまうのか。大学生としてキャンパスライフを過ごすこともできなくなるのか。両親とお酒を一緒に飲むこともできなくなるのか。両親に恩返しもできなくなるのか。新しい友人と旅行にも行けなくなるのか。愛すべき人と出会って恋に落ちることもできなくなるのか。懐かしい同級生との同窓会にも行けなくなるのか。仕事帰りの飲み会にも行けなくなるのか。帰宅を迎えてくれる家族がいるという未来もなくなるのか。僕はまだ女性とデートしたことも、女性とエッチなこともしたことがなかったのに……。
ん?
それなのに死んでしまうのか。デートしたことも少しエッチなこともしたことがないのに……?
そんなのは嫌だ。死にたくない。死ねない。死んじゃいたくない。死ぬか。死ねぬ。死ねるか。死ねるわけがないだろ!!
そう、僕にはまだ死んでいる暇もない!!!
「ああああああああああああああ!!!!」
気合いをいれるように叫ぶ。これは断末魔ではない。抗う声だ。自らの死に抗う心からの叫びだ。
その声に化物の足は一瞬止まった。何事かと驚き立ち止まったのである。
だが、それも一瞬である。
「……ガッ!?」
声を張り上げて叫んだせいか、ついに体にガタが来たのだ。呼吸が詰まる。骨が痛い。体が動かない。
それでも、目だけは化物を睨み付けていた。
せめて、動けないうちでも敵意をむき出しにしておきたかったからだ。
しかし、そんな事情が化物に分かるわけがなく。
化物は立ち止まっていた足を動かしながら僕の方へと歩いてくる。
横たわって身動きが取れない僕を食い殺すために僕を見下ろしている。いや、味わう前に見た目を堪能しているといったところだろうか。
そして、そのまま化物の鋭い歯が僕の喉へ……。
【今回の成果】
・シトリーの逃げる時間稼ぎで死にかけてるよ