4①・目醒め+亥 戦①
痛みよりも先に意識が消えた。
気絶でもしたのだろうか。
木の根っこが突き刺さってしまった左目はやはり機能していない。
深淵を覗いているかのように暗く黒い景色が見える。
『莠、謠帙@縺セ縺励g縲ゅ◎縺�@縺セ縺励g縺�らァ√�驛ィ蛻�→螟峨∴縺セ縺励g縺��縺斐a繧薙↑縺輔>縺ュ蜈郁シゥ』
幻聴が聞こえる。何の声かも、何語かも分からない。
所々、聞こえない虫食い文のように聞き取れない。
文字化けさせられているみたいに聞こえる。
その声もどこの誰から発せられているのか分からない。
今、暗い暗い暗い暗い深淵の世界を僕は見ている。
はぁ…………。ため息が出る。
こんな、若くして左目を失ってしまった。もしも元の世界に帰れたとしても、左目がないまま生活しなければならないのか。
いや、そもそも僕は生きているのか?
左目に木の根っこが突き刺さったんだ。
左目を貫通して脳まで突き刺さっていたら、それは死に繋がる。
ああ、嫌だなぁ。死にたくないなぁ。
こんな風に死ぬなんて僕は思ってもみなかった。
死ぬのなら、幸せな家庭と仕事をしながら定年まで働いて、定年後は田舎でのんびりと過ごし、寿命で死にたかった。
病室で月を見ながら、死にたかった。
そんな願いさえも叶わないのか。
僕はまだ大学生にもなっていないというのに……。こんな若くして僕は死ぬのか。
大学デビューすらしていないんぞ。
ああ、悲しい。ああ、悔しい。これは悪夢だ。これは夢だ。
───────────────
「お兄さん…………?
お兄さん………?」
少女の声が僕の目を覚まさせた。
少女の声が聞こえたということはどうやら僕は生きているらしい。
木の根っこが脳まで貫通するような事故は起きていなかったようだ。
右目を見開くと、少女が1m先で地面に倒れたまま、僕を呼んでくれていた。
良かった。少女はどうやら無事だったようだ。僕が犠牲になることで少女を救うことができた。
その少女は地面に倒れたまま、顔をあげて僕の顔を見てくる。
「………………ああ、大丈夫だよ。あっ、いや……」
正確には大丈夫ではないことを思い出して言葉が詰まった。
少女も僕の顔を見て、この異常に気づいているはずだ。そして、怖がっているはずだ。
左目が死んでいる。きっと左目が血に染まり空洞のようになっている。血が止まっていないのかもしれない。
グロい見た目になっているのは明らかだ。
ただの空洞になっているのは明らかだ。
だから、僕は思わず、左目を隠すようにして顔を隠す。
「とにかく、お前は大丈夫なのか?
ここからだと怪我はなさそうに見えるんだけど、問題はないか?
痛いところとかないか?」
「あっ、はい。大丈夫だよ……お兄さん」
少女はゆっくりと立ち上がる。先程転けた時に危ないと突き飛ばしたから、怪我をしてないかと心配していたが、大丈夫そうなのは何よりだ。安心している僕に少女は話しかけてくれた。
「お兄さん……あの……お兄さんの名前を教えてくれませんか?
私、まだ聞いてない」
少女の言葉にハッとなる。そういえば、自己紹介を少女にしていないままであった。
少女にして見れば、知らない人に助けられて、知らない人と走り、知らない人の背中におんぶされていた。
僕は知らない人で、僕も少女のことを知らない人であった。
お互いに知らないのにここまで一緒に来れたのか。いや、そんな暇もなかったというのが正解である。
「あっ、そうだったな。僕たち自己紹介もせずにいたのか。僕の名前は『エリゴル・ヴァスター』。誰にでも優しい完全純潔なお兄さんだよ」
「エリゴルお兄さんだね。わっ、私は『シトリー・バートリー』です。よろしく……お願いいたしますお兄さん」
少女に見下されながらの自己紹介。シトリーと名乗る少女は少し恥ずかしそうにしながら自己紹介を行ってくれた。
そろそろ、僕も立ち上がらなければいけないだろうか。
そう思って、立ち上がろうとした時、少女が口を開く。
「あの……お兄さん。こんな見ず知らずの私をどうして助けに来てくれたんですか?」
「そうだな。助けを求められたんだよ。キユリーっていう子がお前がこの森に2人で入っていく所を見たんだって。町のみんなに助けを求めてたんだぜ。だから、僕が助けに来たんだよ」
「そうだったんですか……」
自分のせいで僕を巻き込んだことを重く感じているのだろうか。ならば、それは否定しなければいけない。
「いやぁ~僕も不安だったんだ。実は僕、朝に布教活動みたいなのを行っていてさ。子供達に読み聞かせを行っているんだよ。そうだ!!
今度、シトリーも来てみてくれよ。朝に噴水の近くでやってるからさ。
まぁ、話を戻すけど、その子供たちが被害者だったらどうしようって感じで、居ても立っても居られなくなってさ。こうして来たと言うわけだ」
「なるほど、キユリーという方が第一発見者だったお陰で助けに来てくれたのですね。本当に感謝しかないです」
どうやら、その口調からしてもキユリーとシトリーは知り合いではないらしい。そういえば、キユリーも「少女が……」としか言っていなかった。同じ国の子供同士だからといって、知人ではないのは当たり前なのは分かっているが、それなら紹介しやすいかもしれない。
「じゃあ、今度紹介してあげようか?
キユリーはちょっと変わってる奴なんだが、いい奴なんだよ」
「そうですね。今度……。またお兄さんと会えますかね?」
なにか、思うことがあるのだろうか。
シトリーは暗い表情ではあるが、口を緩ませて僕に語りかける。
「連絡先でも交換しておけばいつでも会えるだろう」と考えた僕であったが、携帯電話がないことを忘れていた。文明の利器に頼りすぎていた。
「…………きっと、会えるだろ。そうだ。住所とか教えてくれよ?
この森を抜けたら今度会いに行きたいしさ」
「じゅじゅじゅじゅ住所!?
家に会いに来てくれるの!?!?」
慌てて早口になっているシトリー。
そんなに驚かなくてもいいと思うのだけれど、シトリーは興奮して慌てている。
「……う~ん。だっ駄目だよ。お父さんとお母さんに大人の男の人を連れてきたと知れたら、お兄さん殺されちゃうよ。千歯扱きされちゃうよ」
「いや、千歯扱きじゃなくて千枚下ろしだろ!!」というツッコミを入れたかったが、どうやら本物の千歯扱きらしい。
千歯扱きで刺されるらしい。千歯扱きのあの尖った部分で突き刺されるらしい。千歯扱き殺人である。千歯扱きはそんな風に使う道具ではない。
親は子離れできないんだろうなぁ。男を家に呼ぶだけでも、千歯扱きなのだ。結婚相手が来たら何をするんだろうな。タンクローリーでも投げつけるのだろうか。
そもそも、千枚下ろしもなんか違う気がするけどね。
「…………まぁ、嘘だけどね」
嘘だった。シトリーは嘘をついていた。嘘かよ。お茶目なやつだ。それにしても、千歯扱きで刺されなくて本当によかった。危うく殺されにいかなければならなかったかもしれない。しかし、さすがに千歯扱きは言い過ぎでも、そんな事が起こるのだろう。
まぁ、確かにこの子の親だったら納得できるな。
こんな少女は守りたくなる見た目だ。守りたくなる特徴を摘めてミキサーでドロドロにした感じだ。保護欲がわき出てきそうになる。
いや、しかし、それにしても…………。
「ん? どうしたのお兄さん。
私の体に何がついてるの?」
こうして見るとかわいらしいじゃないか。
こうやって面と向かって見たことがなかったから分からなかったけど、かわいらしい少女がそこにはいた。保護欲が掻き立てられそうだぜ。
そんな保護欲を掻き立てるシトリーの体を眺める(いやらしい意味ではない)。
やっぱり怪我はなさそうだ。
最初に転んだ足の怪我も今では血が止まっているようだ。
シトリーの無事をちゃんと確認できて本当によかった。僕もここまで体を張って頑張った甲斐があるってもん…………ん?
───おかしい。
待て待て待て、何かがおかしい。
今までのように当たり前なことが疑問に思う。
左目の痛みはどうした?
僕の左目は木の根が突き刺さって見えないはず。
見えないとしても痛みはあるはずだ。だが、それがない。
それにシトリーのように血が止まるには速すぎる。
「どうなって…………?」
僕は震える手を顔に当てる。
ここに鏡があれば、自分自身の顔がどうなっているか判断できるのだが、手持ちにはない。
だから、本来左目があった場所の前に手を持っていく。
そして、指を使って数字を示す。何本の指をまっすぐに伸ばしているかを問う遊びだ。それを今になってしようと思ったのは少し恥ずかしかったけれど、これでハッキリとするはずだ。
────3本。
僕が指を伸ばした本数は3本である。
そして、それは僕の左目で確認することができた本数と一致した。
“左目が疼く”。
「えっ…………?」
訳がわからなくなった。
僕の左目は転倒したときに、木の根によって貫通したはずである。
その左目が何事もなかったかのように機能しているのだ。
無いはずの、つぶれたはずの左目はちゃんとそこにあった。何事もなかったかのようにそこにあった。
僕は自分の左目が木の根に突き刺される幻覚でも見ていたのだろうか ?
さっきまでのは転倒時にショックで起きた幻覚……?
「お兄さん?
大丈夫?
どうしたの?」
急に真っ青になった僕の顔を見たシトリーが心配して駆け寄ってきてくれる。
僕に手を差しのべてくれる。
自分も今は不安なはずだろうに、僕の心配をしてくれている。
なんて、優しい娘なんだ。
守らなきゃ……僕がこの森を抜ける最後までシトリーを守ってあげなければいけない。
「────あっ、ああ、情けない所を見せちまったかもな。すまないシトリー」
そう言って、僕はシトリーが伸ばしてくれる手を握る。握手だ。
僕の冷静さを主張するために握手をする。不安に呑まれて手を振り払うなんてことはしない。
きっと幻覚だったのだろう。そう思うことにしよう。
さて、シトリーの手を握っているこの瞬間にも、あの化物は追ってきているはずだ。
速くこの禁忌の森を脱出しなければいけない。
時間は残されていないのだ。
「よし、行こうか。もうすぐ森を抜けられるからな!!」
おしゃべりに時間を使いすぎてしまったかもしれない。シトリーもきっと速くこの森を出たいと考えているはずだ。僕の使命はまだ終わっていない。さぁ、出発だ。
そして、そろそろシトリーとの握手を終了しようと手を引こうと考えていた。
ドッン!!!!グビッ……
耳に聞こえてきた嫌な音。
僕はただまっすぐに呆然と前を見ている。
ただその方向は少し先程までよりはずれていた。腕を持っていかれそうになった。
それでも、僕の体はこうして耐えていた。耐えてしまっていた。
ただ立ち尽くす。
その目線の先には化物だ。
亥のようで体がトラックよりも大きい獣。
そいつは僕とシトリーの間を引き裂くようにして現れた。
狙っていたのは僕だったのだろう。
それなのに、シトリーが駆け寄ってきてくれたから……。
「…………ああ」
僕の無傷で無事だった左目もそれを見ている。
その瞬間を……この現状を……。
僕の体にはベタリと血がついていた。
痛みはない。僕のではない。
では誰の血か?
化物か?
いや、違う。
僕のものでもなく化物のものでもない。
そう、シトリーのものだ。
僕はいまだに行い続けている。やめられていない。
僕はまだシトリーと握手をし続けている。
僕の両目はそれを見ている。
事のすべてを見ている。記憶している。
「…………あああ。ハァハァ…………ハァ………ハァハァハアハアハアハアハア!!!」
「シトリー大丈夫か!?」なんて言えない。
歯がガタガタと揺れて使い物にならなくなっている。
僕のせいだ。僕がもっと速く動けていれば……。僕が躓いて転ぶことがなければ……。
あの少女は救われていたはずなんだ。
守りたくなる保護欲を掻き立てる少女はちゃんと守られていたはずなんだ。
化物に怨み辛みを吐き捨てる事ができるほどの正気もない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
そこから先は覚えていない。
森全体に響くような大きな声で泣きすぎて発狂しすぎて記憶が飛んだのか。
覚えていない。分からない。
それでも、僕の手はちゃんとシトリーの手と握手を交わし続けていたのはハッキリと覚えている。それだけは忘れなかった。
【今回の成果】
・助けた少女シトリーという名前だったよ
・…………………