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「へー、謝花さんてベテランなんだ」
「はい、那覇にある二年制の専門学校を卒業後、こちらで五年勤務しております」
受け取りようによっては「若くない」と言われたと反発されかねない俺の言葉を、笑顔で聞き流して応えてみせる。
「じゃあ、最初からこの仕事を目指してたんだ。あなたなら、何でもできそうに見えるけどねぇ」
この宿泊棟専属のコンシェルジュである謝花桃花は、毎日一回は様子を見に来る。担当ゲストのご機嫌伺いというか、必要とされるサービスが無いかの、さり気ない確認なのだろう。そして今は鈴佳がビーチに行っていて、ここには俺と彼女しかいない。
あと二晩過ぎたら、二週間滞在したこのリゾートを出ることになっていた。ちょっと前俺は、この女が俺を誘惑しハニートラップを仕掛けるという情報を、どん亀から伝えられている。男の性というか、そのせいでこの女の顔を見るだけで妙に動悸が速くなってしまう。
で、まあ、それがバレないように無理して、さり気ない話題を選んでいる訳だ。どん亀が「自信アリゲデシタヨ」とか言ってたから、あと二日間でどうする気なのか興味もあった。
「そうですねぇ」と言って、ウフッと首を傾げた桃花は、「本当は昔、芸能界で仕事したいと思ってたんです」と、続けた。
「え、芸能界?」
「無理ですよねぇ、もう歳だし」
「そんなことないよ。若いし、美人だし、スタイル良いし。スカウトされてもおかしくない」
「これでも、グラビアの経験ぐらいならあるんですよ、実は」
「やっぱりね。それじゃあ、どうして?」
「中学生ぐらいまではダンスや歌のレッスンもスクールで受けてました。でも、周りを見て悟ったんですよ」
「悟った?」
「沖縄から本土に出て成功できる子たちって、二種類のタイプがあって、そのどちらにも私は当てはまらないんです。ハーフっぽい感じで歌って踊れて強く出られるタイプか、ナチュラル系で優しく誰が見ても美人……少なくともあの当時の私は、そのどちらでもありませんでした。おまけに、こちらからデビューするタレントさんは、見いだされるというか、スカウトされて東京に出る時期が早いんです。二十歳前というのが普通です」
あー、言ってる意味が何となく分かる。桃花のこの魅力というのは、大人の女になってから出てきたものかも知れない。沖縄に限らず日本の芸能界って、成熟した女性にとって最初のハードルが高いんだよね。
「それで、親の勧めもあって、専門学校に進みました。よく考えてみれば、華やかな世界に憧れていただけで、それほど才能も無かったんだと思えましたし」
いやー、意外と生真面目な子だ。おい、どん亀、この娘、本当に買収の話に乗っているのか?
「今の仕事も結構これで、旬は短いんです。早くいい人見つけて身を固めようと思ってます」
「えっ、そうなの?」
全然ハニトラっぽく無いじゃん。これはどん亀にからかわれたのか?
「リゾートのお客様の立場として、おばあちゃんのコンシェルジュに迎えられるのって、どう思います?」
その質問には、雇用の分野における機会及び待遇等を性別によって差別することを禁じる法律に抵触する可能性があるので、お答えできません。
「ただ雇用条件こそ正社員ですが、年収三百万ちょっとでは結婚資金が貯まらなくって……」
そうなんだ。職歴五年でそれって、沖縄の平均賃金が低いのか? 勤務形態から考えて、いろいろ各種手当てが付きそうなもんだが……。
「岡田様はお金持ちですよね。お仕事で大変成功していらっしゃるとか」
あれ、鈴佳がスパの最中にでも何か漏らしたのか? 仕様が無いな。まあ、こんなリゾートに連泊している時点で否定はできないけどね。
「実は私、岡田様を誘惑して弱味を握れば、かなりの金額のお金を出すという提案を受けました」
えっ?
「岡田様、この情報に対して、いくら出して頂けますか?」
この女、思った以上に強かだった。俺の敵たちからの提案を逆手に取り、俺から金をせしめようと言うのだ。
考えてみれば、残った日数の内に俺を罠にはめて手の内に収められる可能性は極めて低い。だとしたら、その情報を元に俺から金を得る方が、より確実だと言えた。
「その情報の内容次第だな」
「あ、お仕事する男の顔になりましたね。私、ホントに惚れてしまいそうです」
こいつ、目の下を赤らめて見せた。ハニトラか、寝返りか、どっちなんだ? これが演技なら、役者の才能もありそうじゃないか。
「話を混乱させるつもりなら、痛い目を見るぞ。だいたい、相手の正体が分かっているようには見えない」
言葉を出すのはゆっくりだが、俺も少し口調を変えた。
「岡田様もあの人たちも、内地人ですよね。沖縄にとってはどっちも余所者です」
「余所者なのは間違いないが、相手は本土人でもないぞ」
「GNペイントの名刺を貰いました。東京の会社でしょう。岡田様は米国の企業と取引しているそうですね。あの人たち、日本の国益に反するとか言っていましたが、そんなのは別に良いです。どうせ本土の人のすることです」
「相手がチャイニーズ・マフィアでもか?」
「私でも知っている日本の会社ですよ。まさか、そんな」と、突然与えられた情報に半信半疑ながらも表情を曇らせる。
「GNペイントの背後にシンガポールの華僑がいることは、ちょっと調べれば分かることだよ」
桃花の顔がやや青ざめた。沖縄県は日本の西端にあり、中国、台湾、東南アジアに近い。あの国々の犯罪組織や地下経済を牛耳る華僑の黒社会についての噂を、彼女が多少なりとも耳にしていないはずがなかった。
まだ迷っている内に、一気に畳み掛けるのが吉だな。そう思ったので、俺は尋ねた。
「なあ謝花さん、相手はいくら出すと言ってきたんだ?」