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◆81◆

 “ぜんぜん喰いついて来ませんよ。こりゃあ見込み違いじゃあないですか”と、君嶋が声に出さずに呟く。


 俺はイヤホンを通じて、“あと少し粘って、封筒を見せてから引き上げろ”と指示した。想定の範囲内とは言え、このままでは仕切り直しになりそうだ。


「本当に興味が無いのなら仕方ありません。この資料を見れば、経済産業省として、絶対放置できないと判断されるはずですがねえ」


 君嶋はそう言って、書類鞄から取り出した封筒を、テーブルの上に載せた。


「これは何だね?」


「高機能プラスチックX。GNペイントが犯罪を犯しても手に入れようとしている製品の資料です。長期耐熱温度八〇〇℃以上で強度と寸法安定性に優れ、一二〇〇メガパスカルを超える引張強度の押出形成素材。摺動性、耐摩耗性、耐薬品性などに高い使用温度でも優れた特性を示します。さらに強化フィラーの添加で性能の向上が得られる素材です」


「本当だったら大したものだが、うちの技官たちに見せてもいいか?」


 あ、この口ぶりからして、内容の専門的な意味は分かってないな。今回の作戦のためでっち上げた囮餌(ベイト)ではあるが、製品自体は実在する。この業種の企業が知ったら飛びつきそうな、かなり画期的な性能の材料なんだが。


「勿論です。ただ、これには先ほど話に出たウーラム・グループが関わっています。関係省庁、特に外務省と連携を取る場合はご注意下さい」


「注意だって? どういう意味だ?」


「あそこには前世代の親中派(チャイナ・スクール)が残した影響がまだ残っています。昔のように『魂を売る』とまでは行かなくとも、交換条件で情報が漏洩ろうえいするおそれは十分あるでしょう。ウーラムのシェアをご存じなら、あっちの国とズブズブなのはお分かりですよね」


「そんな案件なのかね?」


 松田は封筒に伸ばした手を、触れる寸前で引っ込めた。


「自分としては先生を見込んでこちらに参ったのですが、ハイ・リスクな内容であることは確かです。先生がこれに関わりたくないとお考えであれば、この資料は持ち帰ります」


 そう言って君嶋は一度置いた封筒に手を掛ける。あわてて松田がそれを押さえた。


「いや待て待て。僕が断れば、それをどうするんだ? まさか牧山さんの方に持っていく訳じゃあないだろうな」


 猜疑心を浮かべた目で、君嶋を見た。この案件をライバルの牧山が引き受け、何等かの実績をあげた場合のことを考えているのだろう。それでもまだ、松田はためらっている。


「ご心配なく。その時は先生はご存じ無かったということで、お名前を出すつもりはありません」


 ちょっと冷たい声で、君嶋が畳み掛ける。


「ありませんて、君……」と、今までの低姿勢な態度から掌返しの君嶋に、松田は絶句した。


「自分はこれでも六代続いた江戸っ子でして、先生を男と見込んでこちらに参りましたが、自分の了見違いだったようです」


 松田は出身校こそ東京六大学に属しているが、先々代からの選挙地盤は埼玉である。江戸っ子の心意気なんか理解できるはずがない。君嶋のやつ、何かはっちゃけてないか? 煽るつもりでかえって水を掛けているようなもんだ。


「いや、待った。そういうつもりじゃあない。だがねぇ君、僕が訝しむのも仕方ないと思わないか?」


 君嶋を政治ゴロ系の危険物と見て躊躇したが、このまま手を離して他所に行かれるのも拙いと考えたのだろう、なだめにかかった口調である。


「えーと、君の所は有限会社なんだよね」と、君嶋が渡した名刺を取り出して見直す。時間稼ぎだな、こりゃあ。


「六角産業は昭和三十六年創業で、小さいですが堅実な企業です。この国の産業を支えてるのは、自分の所のような中小ですよ」


 全くの嘘っぱちだ。元となった企業は有限会社で、決算報告も会計監査も必要ないから、ほとんど休眠会社と変わらない状態のまま存続してきただけである。堅実な経営とはとても言えないが、実質的な活動が無かっただけ、債務も少なくはあった。だが事業活動が無いから人件費を払う必要が無かったにしろ、存続しているだけで税金や諸経費は当然かかる。


 どん亀の雇った弁護士が老齢となった社長の親族を説得し、持ち分を持つ社員全員を集めて経営権を譲渡させたのだ。東京の大田区にあり、平成十八年の会社法施行以前から続いている特例有限会社である。


 譲渡の後定款を変更し、有限会社のままで商号を現在の六角産業に代えて登記し直してある。君嶋の名刺の肩書きは有限会社六角産業渉外部部長で、登記上の社長・代表取締役は六角康平だ。つまりどん亀の経営する会社なのである。


「すると何か、そのウーラム・グループの動きの影には中共が関わっているということかね?」


「党指導部の指示かどうかは分かりません。あそこは内部でも利権争いあるいは主導権争いがあります。右手のやっていることを左手が知らないと言うようなのは、しょっちゅうです」


「うーん」


 そうなると、どう考えても松田一人の手には負えないだろう。しかし派閥の親分である簀賀義経に相談するにしても、もう少し先の方針を詰めておきたいところである。こういう話がありましたと報告を上げるだけでは、丁稚の使いと変わらないからだ。


 ただ松田は内政畑をずっと歩んできた関係もあり、外交問題にはうといと思われる。直ぐ隣の半島にある二国と、現在その宗主国になっている中共に下手に関わって火傷をすることを考えると、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまうようだった。


「分かった、ちょっと待ってくれ」


 松田がいきなり立ち上がり、自分のデスクに向かう。インターホンに手を掛けると、個人秘書らしい相手を呼び出した。


「大市警備局長に連絡を取ってくれ。そうだ外事課の案件だと伝えれば分かると思う。それから、この前言ってた高機能素材に詳しい技官は誰だった? ああ、じゃあ、あいつをこっちに寄越して欲しい」


 矢継ぎ早に指示を出す。技官の方は分かるが、大市警備局長って誰だ?


”警察庁警備局ハ、都道府県警察ノ警備部ト公安ヲ統括シテイル警察庁の部局デス。大市善彦ハ、ソノとっぷデス。多分、松田ハ外事情報部ヲ不正競争防止法ガラミデ動カス気デショウ”


「不正競争防止法?」


”現在デハ、外国企業ヘノ秘密情報漏洩ニハ最大十億円ノ罰金ガ科サレ、関連シテ得タ不正利益モ没収サレマス。マタ非親告罪トナル等、産業すぱいニ対処シヤスクナッテイマス。GNぺいんとニ調査ヲ入レ圧力ヲカケルヨウ、依頼スルツモリダト思ワレマス”



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