◆06◆
「あー、テス・テス・テス。聞こえますか?」
俺は今、左手の小指にはめたピンクのピンキーリングに向かって話しかけている。
どう見ても怪しい奴だが、ホテルの個室で俺一人だけだから無問題だ。
つまり俺は『電波』を飛ばしているのだ。今時なら誰でもやっていること、スマホに向かって話しているのと、大差ないしょ。
どん亀で受けた指輪に関する説明の中で、「何時デモ本艦ト通話デキマス」というのがあった。しかも「海王星ノ遠日点ト太陽トノ距離クライマデナラ、十分『圏内』デス」と言われている。
それって約三十天文単位、つまり地球と太陽の距離の三十倍だぞ。
実は、あいつが言っていた『転送』というので何ができるか、もう少し詳しく知りたかったのだ。考えてみて欲しい。あのフィーンと人間を移動させるやつを利用すれば、いろんなことができるはずだ。
「なあ、あの『転送』というやつ、俺以外は『転送』できないのか?」
「転送ハ霊長類ノ脳神経系ニ、好マシクナイ副作用ヲ発症サセマスノデ、オススメデキマセン」
「副作用?」
「前頭前皮質ト海馬ニ過剰ナばいあすヲ与エ、えぴそーど記憶ヲ消去シテシマイマス」
「それって……」
「人間ナラ、記憶喪失又ハ白痴化ノ状態ニナリマス」
うーん、悪い考えだが、それって何かに使えそう。あ、だが……。
「も、もしかして、俺が『転送』された時も白痴化なるのか?」
「IDりんぐノ持チ主ノ記憶ハ、りんぐヲ通ジテばっくあっぷガ取ラレテオリマス。転送後、消去サレタ分ノ記憶ヲ書キ込ミマス。ダカラ大丈夫」
ぜんぜん大丈夫ではないじゃないか! 消去された記憶を再度書き込むって、その記憶が正しいって保証がどこにある? 全く違う人格を書き込まれても、本人には自覚できないよね。
『転送』は、極力無しの方向で、お願いします。
その後どん亀と話し合い、当面の俺の月額給与は二四金の金製品または金塊で五百グラム、ということになった。なお、実績その他によっては加算するという約束になっている。
つまり増額はありえても、減額は認めないということだ。この条件には、何度も確認を入れた。俺は『金の亡者』になる決心をしたのだ。金相場が極端に変動しない限り月平均二百五十万弱だから、年収三千万近くだよね。ただし、税務署には絶対知られてはならないお金だ。
税金を支払うつもりは端から無いし、そもそも出所を説明できないから。
この時点で俺は、税務署に察知されずに金を売却し続けることの難しさに思い至っていなかった。どん亀は今の地球人には及びも付かない知識と力を持っているにも関わらず、いろんな意味で『残念な』存在である。
だがそもそも、俺自身がとんでもなく『ポンコツ』だからこそ、どん亀を有効に利用できていないのだという自覚が、俺には欠けていた。
「金の亡者になる」とは言ったものの、たかが年収三千万程度だし。あ、俺の元の年収の八倍以上か?
それでも俺は、どん亀の奴から、他に何か利益が得られないかと思い、質問を続けた。自分の利益を得ることしか考えていない辺り、俺がいかにクズなのかがよく分かる。
どん亀の奴に、見返りを求められる段になってどうするかは失念していた。
それでも欲をかいて、俺は質問を続ける。他に何ができるのかと。
どうやら正面からぶつかることを認めれば、どん亀に勝てる国は地球上に存在しない。いや、全部が束になってかかっていっても、無理だろう。
核攻撃以外で船体に損傷を与えることはできないし、超音速ミサイルだって迎撃してしまう。そもそも地球の衛星軌道にさえ、多量の燃料を消費してやっとこさっとこよじ登っていくだけの人類には、太陽系内を自由に飛び回るどん亀に、どうやっても届きはしない。
ただ、俺の望んでいるのは、そういうことではない。『世界征服』とか『経済帝国を樹立』とか『ハーレム』とか、厨二病じゃあないから。
確かに、劣等感持ちの俺は『強み』が欲しいとは思っている。だが、自己顕示欲は無い。というか、他人に知られたくはない。『匿名』とか、憧れますから。
……思考能力が低下している。
コンビニで買ってきた缶ビールのせいだろうか?
元来俺は誰かと酒を飲むことが好きではない。独り呑みも、別に必要ないと思ってきた。
そもそも何で呑む気になったんだろう?
まさか、どん亀に思考操作されているのじゃないよね。
コンビニでは、今まで買ったことのない『牡蠣の燻製の缶詰』というやつを籠に入れ、レジでピッとしてもらった。今食べてみると、酒の肴には確かにいい。でも今まで何度も「食べてみたい」「食べたらどんな味かな」「買ってみようか」「いや、やっぱりやめよう」と迷いつつ、結局買ったことはなかった。
それがまた今日、何でこれを缶ビールと一緒に籠に入れたんだろう?
ひょっとして俺、すでに人格改造されているんじゃあ、なかろうか?