◆05◆
俺が『宇宙船』改め『どん亀』に捕らえられてから一日が過ぎた。
あんな大きい物が空中に浮かんでいたら、近くの村落からでも目撃されて、大騒ぎになっているはずだと俺は思っていた。
ところが角度の関係で光学迷彩が仕事をして、こいつを目視したのは俺だけだったらしい。
近隣の村落と言っても、そう大した人口があるわけでもないし、この暑い季節の真っ昼間から外へ出て仕事をする人間はそう多くはなかったんだろう。住民はほぼ年寄りばっかだし、自家消費用以外の畑仕事はここ数年やめているという家が多いと聞いた。他人のことは俺も言えないが、どうやって生計を立てているのだろうか?
まあ、屋外へ出ていても、丁度その時空を見上げていなかったのかもしれない。それにビニールハウスの屋根なんて、結構汚れてたり結露していたりで、空なんかよく見えないもんね。
俺はクレパスマーカーとは違うポケットに入っていた携帯食で一時飢えをしのいだ。だが、それもすでに食べ尽くし、空腹に耐えられなくなっていた。なお、蒸留水らしい無味無臭の水とトイレは、すでに『どん亀』に提供してもらっている。
「なあ、食う物が無いなら、家へ帰してもらえないか?」
俺はダメ元で奴に頼んでみた。
「イイデスヨ」
「えっ、いいの?」
「ハイ、ソノ指輪ガアレバ、イツデモ呼ビ出セマスカラ」
「呼び出せる?」
「『IDまーかー』ヲ利用シテ、短距離転送サセラレマス」
サセラレマスって? 転送? それって宇宙物のSF映画なんかで、宇宙船の変な部屋の中でフイーンって姿を消した主人公たちが、惑星の上にフィーンって姿を現すあれか?
「そ、それで短距離って、どれくらい?」
「地球ト、ソノ衛星ノ距離クライ、マデデスネ」
どうやらこの指輪がある限り、どん亀から逃げることはできないらしい。俺は乗組員扱いなので、何時でも招集される心構えを期待されている模様だ。
乗組員なら給与は無いのかと聞いたら、いろいろ質問された後で金のインゴッドを渡された。五百グラムで現在の買い取り相場は二百五十万円程度とのことだ。正直実感が湧かない。
「これ、本物?」
「中味ハ九九・九九ノ本物ノ金デスガ、海外ノ貴金属製造会社ノ製品ノ『模造品』デス。デモ刻印モ正確ニ複製シテアルノデ、誰ニモ区別ハツケラレマセン」
いや、製造番号とかあるだろう。
「金ハ流通経路ヲとれーすシナイノガ原則デス」
あー、まあいいのか。
道具が置きっ放しになっているので、牽引光線で元の山の上に下ろしてもらった。そして道具を回収した俺は、空きっ腹を抱えて家に戻った。
家に着いた俺は、『チンご飯パック』二つをレンジで温めてからレトルトカレーに生卵をぶち込んだものをかけ、腹を満たした。
食器を流し台のシンクに入れてうるかし、テーブルの上の金塊を見つめる。触って、持ち上げてみた。どん亀によると五百グラムだと言うんだが、結構ズッシリ感じられる。
夢では、なかったようだ。
二百五十万か。この報酬を受け取ってしまった俺は、どん亀に何をさせられるのだろうか? これって悪魔に魂を売り渡してしまったことにならないのか?
次の日、俺は軽自動車を運転して秋田市まで出かけた。途中で路を間違え、到着までに六時間半かかったよ。金が無くてナビを付けてなかったからだ。後でスマホのアプリを使えばよかったということに気がついたが、文字通り後の祭りだった。
秋田市に着いてからスマホで検索し、見つけた店で例の金塊を換金した。手数料を引かれて、二百四十七万三千二百円の現金が手に入った。
百万円の札束二つには、それぞれ銀行の帯封がしてあった。それを金塊を入れるため持って行ったビジネスバッグにしまい、端数の四十七万なにがしは封筒に入れてスーツのポケットに収めた。
俺は何となくその方が信用されるだろうと考え、前に勤めていた頃のグレーのスーツを着て、ネクタイを締めて家を出てきたのだ。自分の小心さが嫌になる。
それから市の中心部に近いビジネスホテルに部屋を取り、そこの駐車場に車を入れた。途中のコンビニで買った弁当とお茶で、遅い昼食を済ませる。
セミダブルのベッドに服を着たままひっくり返って、自分が『悪魔に魂を売った』ことを考えた。
「なんだ、大したこと無いじゃん」というのが、その時の俺の気持ちだった。
あいつは、「金ハ海水カラ抽出シマシタ」と言っていた。
上手くすれば、もっと多くの金を、どん亀から手に入れることができる、そう思えてきた。もし都合が悪くなれば逃げ出せばいい。何とかなる。
『どん亀』というのはスッポンの別名であり、スッポンは一度喰いついたら離さないと言われていることを考えておくべきだったと、俺は後悔することになる。