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◆38◆

 俺は間もなく二十九歳、日本人、四流大学卒、個人投資家、胴長短足、籍は入れてないけど本人が嫁だと思い込んでる女あり、友達無し(多分どん亀は友達じゃない)、この頃少しイケてる気もしないではない男だ。健康で、この前、熊を一騎打ちで倒した。


 北国の僻地に自宅がある。大卒後三年半務めた会社を二年ほど前に辞めた。その後ネットを利用して個人投資で収入を得ている。預金は一億超えだが、もうすぐ税金で二〇パーセントは持って行かれるはずだ。


 十歳歳下の鈴佳という女を連れて、家から車、新幹線と乗り継いで、東京に出て来た。どん亀がネットで見つけ出したある男に、直接会って感触を確かめるためだ。


 鈴佳を同伴したのは、例の施術の予後がどうなるか不安だったからだ。頭蓋の中に注入された『マイクロ・マシン』が彼女をどう変容させるか、予測できない実験的な部分があるという、どん亀の説明コメントがあったからな。


 ちなみに、どん亀が鈴佳の額に穴を開けたのは嗜虐趣味からではない。注入したのが『マイクロ』なマシンだからだ。つまり一ミリよりは小さいが、その千分の一よりは大きいサイズのメカなんだそうである。


 千ナノで一マイクロだから、マイクロ・マシンは細菌レベルより大きい。ブドウ球菌で一マイクロ位だからね。酵母で十マイクロ、カビの胞子だと百マイクロの物もあるから、微生物レベルである。


 実際にどん亀が鈴佳に使用した『マイクロ・マシン』は、最大一ミリ弱のやつも混じっていたらしかった。脳には血液脳関門という機構があって、脳(及び脊髄を含む中枢神経系)の組織液と血液の間の物質交換を制限しているから、こんなサイズの物を血管経由で送り込むことはできなかった。


 それに対して、俺が飲んでいるサプリに混ぜられているのは『ナノ・マシン』である。こいつはマイクロなやつと違って、小さい。だが何かを組み立てるのに、部品を一個一個運んでから目的地で組み立てるより、完成品を一気にそこまで運ぶ方が早いし確実だ。


 『ナノ・マシン』を経口投与するなら、移送時の損失も考慮し冗長性も確保しなければならない。俺の場合は段階的に試行錯誤でシステムを構築している面もあり、完成品を送り込むのではなく、部品としてのナノ・マシンを送り込んでいるのだそうだ。


 それに対して最終設計が出来上がっている鈴佳のためのシステムの構築には、大きな(マイクロ・サイズの)ユニットが利用された。ただし終わっているのは設計だけであり、それが実際に稼働した結果がどう出るかは、未知数の部分を抱えているのだった。


 そんな俺の心配を他所に、嫁になる覚悟を決めた鈴佳は、俺との旅行にるんるん気分である。今もほっぺたにご飯粒を着けながら、駅で購入した林檎弁当なる物を食べてご機嫌だ。こいつ、どれだけ食うんだろう?


「ねえねえ、東京に着いたら、服買ってくれるってホント?」


「ああ、今度はジークロとかじゃなくて、ブランドの店で買ってやる。ただし、選ぶのはお前じゃなくてコーディネーターだ。それから全身エステとヘアサロンにも連れて行く」


「えー、全身脱毛もしてもらえるかなぁ?」


「全身ってことになると、最短三ヶ月かかるらしいぞ」


 こいつも何気に自分が毛深いことを気にしてるみたいだ。まあ、毛深い女は情が深いとも言うから、悪いことばかりじゃないと思うんだが。


「何日かしたら一緒に人に会うことになるから、少し磨き上げておこう」


「えーっ、あたし農家の嫁じゃないの?」


「それはそれで良いと思うが、女はいろんな顔を持たなきゃな。昼間は淑女、夜は娼婦……とか‥‥いいだろ」


「うっふっふ、いーの?」


 新幹線の客席で、あんまり周囲の人間に聞かせるような話題じゃなくなりそうだな。話題変更っと。


「ところで鈴佳、お前、どこの大学で何勉強するつもりだったんだ?」


「え? それはもう良いよ」


「まあ、言って見ろよ。一応、合格したんだろ」


「T女の英語」


「へーっ、英語得意なのか? それにあそこの偏差値六〇位なかったか?」


「余裕余裕、TOEIC八〇〇点超えよ」


「ふーん。かなりできるんだな」


「でもねー、あそこ入学金と一年目の学費だけで百五十万くらいかかるのよ。無理よねー」


 鈴佳が試すように俺を見る。危ない危ない、思わず甘い顔を見せるところだった。


「まあ、英語が得意なら、それを生かしてみろ。今度会う相手とな」


「外人さんなの?」


「そうだ。ただ訛りがあるかもな。ヤンキーだぞ」


「?」


「相手はビジネスマンだから、全く聞き取れないなんてことは無いだろう。心配するな」


 鈴佳がちょっと不安そうな表情を見せた頃、新幹線は東京駅に滑り込んだ。ここからメトロに乗り換え赤坂見附で降りる。改札口にどん亀が依頼した、コーディネーターの君嶋という男が待っていた。


「あーら、かわいいカップルね。それであなたがたが?」


「俺が岡田英二でこっちが鈴佳だ。それで俺はもう直ぐ三十で、かわいいなんて柄じゃあない。田舎者だが、ちょっとブラッシュ・アップする必要があってな。よろしくたのむ」


「おや、これは失礼いたしました、岡田様」


 チャコールのテーラージャケットに細身のパンツという姿の君嶋は、耳に付けた小さなリング・ピアスを見せて深く頭を下げる。それから鈴佳を見て、若いわね、という感じで。


「それでこちらは?」と聞いた。


「見ての通り二十歳になったばかりだよ。俺の女だが、こいつを連れて外国の会社の偉いさんに会わなきゃならない。中三日なんだが、何とかなるか?」


「あー、ランチ? ディナー? フォーマル?」


「ディナーだ。でもセミフォーマルでいいと思う」


 君嶋は石なしの指輪をした右手で自分の顎を揉んでから聞いた。


「ご予算は?」


「別に命が掛かっているわけじゃないから、二人でトータル二百万以内だな。エステに髪のカットにメイクのプランもたのむ。それに着る物と靴な。ジュエリーは別に買ってやるつもりだから、入れなくていい」


「入れなくっていいたって、バランスがあるのよ!」


「面倒臭いな。じゃあ、後で銀座に連れてってパールのピアス買ってやるから、それに合わせてくれ。あと、ネックレスな。指輪リングはしばらくさせない」


「?」目で聞いてきた。鈴佳は隣で話を聞き、一喜一憂している。


「こいつの仕事は、畑仕事と掃除だからな」


「プッ、……ピグマリオンなの?」


「どうかな? 後、俺の一式と靴もたのむぞ」


「どういうコンセプトなの?」


「ビジネスの交渉相手に侮られなきゃいい。ステイツのエグゼクティブだからな、あんまりみすぼらしいと、足元を見てくるぞ。こいつは最近できた俺の恋人って役回りだ。アジア人の女は若く見られるそうだが、ガキに見られては困る」


「外資の重役相手のディナーならパートナーが必要だってのは分かるけど……このねぇ……」


「そこそこ英会話はできるそうだから、試してみるさ」


「じゃあ、まず銀座ね」


 タクシーを拾って移動することになった。



 『ピグマリオン』はバーナード・ショウの戯曲の題名で映画『マイ・フェア・レディ』の種本として有名です。で、語尾で分かってそうなもんですが、野乃は子どもの頃「ピグマリオン」を女性の名前だと勘違いしてしまい、今回改めてググった結果、衝撃の事実にぶち当たりました。こいつ、男でした! 理想の女性の彫像を製作し、それに恋した彫刻家の名前でした。ちなみに、アプロディティに生命を与えられ、生身となった彫刻は女の身になり、ガラテアの名で呼ばれます。

 思い込みって、怖い。

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