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俺はいつの間にか、どん亀の言う『我々』の利益代理人になっていたらしい。
混乱を避けるため、今後は奴らのことを『我々』と呼ぼう。え? 何世代か前のゲーム機械の名前みたいだって? じゃあ、どうする? ラテン語で『ノビス』? それともドイツ語の『ヴィア』? ……とにかく、奴らが自分のことを『我々』と呼んでるんだから! あー、もう括弧付きの『我々』でいいわ。
それでこの『我々』という奴らの目的は、別に地球や人類の征服ではないと、どん亀は言う。
でも俺から見れば、多分それと大差ない結果が、最終的にはもたらされると思う。
何しろこの相手は、人類の自主独立を認めるつもりは無いのだ。奴らが恣意的に決めた代理人(つまり俺のことだ)が、そのまま自動的に人類全体の代表窓口になる。しかもこいつ(俺だ)は、奴ら『我々』の利益のために判断・行動する。つまり奴らの回し者だ。
現実には、奴らの開拓・移民船団は、時間にして最低でも千年以上の距離の彼方にいた。直接連絡が取れるわけでもないので、今現在の太陽系内では、奴ら『我々』はどん亀自体と等価である。
ところが奴ら『我々』の行政システム(?)の関係で、どん亀は奴らの代理人(何度も繰り返すが、俺のことね)を全力でサポートする責務を負わされている。
最短で千年先のことになるそうだが、奴ら『我々』が引っ返してきて、この太陽系にやって来るまで、結果としてこの星系は全て奴らの手先である代理人(俺だ)の支配下に置かれることになる。
現在はまだ事前準備の段階で、表立って人類と交渉する段階ではないとどん亀が判断しているから、人類とこの代理人(俺)との間に摩擦や軋轢や対立は生じていない。だが今後の進展によっては、人類全体との全面戦争という事態も考えられるのだ。
えっ、どういう意味だって? 人類全体と俺(代理人)との全面戦争だよ!
『俺VS全人類の戦争』なんて俺は望んじゃいないが、どん亀が俺の尻を叩いてその選択肢に進ませる可能性は、零と言えるほど低くない。
どん亀には地球上の全軍事力を敵に廻しても完全勝利できる力がある。究極の話、全人類を絶滅させてしまえば良いだけのことだからだ。
ただ、どん亀が奴ら『我々』の収奪目標としているのは、人類の物質的資産ではなくて、人類の特異性に基づいた生物的=文化的資産(例えば『心的通話』のような)であるらしい。
だからどん亀の選ぶ戦略は、人類皆殺しではないと思う。多分。
俺としては、そう思いたい。
誰が己自身の『出身種族』の絶滅命令に署名したいと思うものか!
しかし、俺がその立場に立たされる可能性も皆無ではない。
状況によっては、どん亀が人類の文明を『過去の遺産として記録保存するに留める』と言い出すことだって考えられる。
俺としても、それは何としても避けたい。だって代理人として、代表する人類が絶滅してしまった後では、随分価値が下がってしまうからね。
利己的な理由だ。うん、分かってる。
だいたい奴ら『我々』のことは、どん亀にいくら聞いてみてもよく分からない。
国家とか単一種族星人とかのような政体あるいは組織ではないらしい。複数種族星人による文化的集合というか運動みたいな何からしいが、俺には理解できん。
どん亀が地球・太陽系に派遣されたのだって、開拓・移民船団の一部の構成員による独断的(更に、もしかしたら違法な)行動の結果かもしれない。地球人類の歴史でも(例えば満州事変とか)あったことだ。
知りうることも理解することもかなわないこれらの条件を放置したまま、俺にできるのは、目隠しをして骰子を振ること以外の何ものでもなかった。
奴らは、どこから来て、どこへ行くのか、そして何者なのか?
それさえ俺には分からないのだ!
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本人の記憶には無いが頭蓋骨に穴を開けられたあの日以降、鈴佳が急にしおらしくなった、わけではない。
直ぐふて腐れるのも、ブツブツ文句を言うのも健在だ。さすがに泥酔した時のように大声でわめきはしないが、「ケチ!」とか「変態!」とか普通に出てくる。
ただ時々何気なく鈴佳の方を見ると、あわてて目を逸らして顔を赤くする。
いったいこのツンデレ化は何なんだ! ストックホルム症候群? 吊り橋効果?
「違イマス。学習効果ノ向上ノタメ、アノ女ガますたーノ表情ヤ言動ニ注目スルト、微量ノどーぱみんガ分泌サレルヨウ設定シテアリマス」
モロに薬物による洗脳だった。
「全体ノぷろぐらむハ、モットはいれべるナ構造ニナッテイマス。中隔領域ニ電極ヲ挿入シタ鼠ノ実験ノヨウナ、単純ナしすてむト同一視シテハ困リマス。誘因行動を生起スル報酬刺激ヲ複数ノ脳領野カラ軸索入力ニヨッテ形成シ、状態化ノ操作ヲ正負ノ強化ヲ主トシテ実施シテイマス」
どん亀、お前の言っていることは意味不明だ!
「処罰系ノ条件付ケハ最低限ニ抑エテイルノデ、目標ヲ達成スルニハ時間ガカカルト思ワレマス。犬ニ口輪ヲハメルヨウナ行動ノ制限デハナク、被験体ノ自由度ヲ高メ、所謂『忠誠心』ヲ植エ付ケルノデス」
そこまで聞いて俺の脳裏に浮かぶのは、やっぱり戦隊ヒーロー物に出てくる悪の組織の首領とその部下だ。あいつら何であんなダサい服着させられて、闘いの度に無駄に倒されながら、無条件で首領に忠誠を誓っているのか、理解できなかったんだよね。
俺は考えるのを止めることにした。このことについては考えるだけ無駄だ。下手に考え続け、俺の抱く疑問がどん亀の目的追求に障害となると判断されれば、奴は俺まで洗脳しようとするだろう。この思考停止を選択するということ自体、すでに洗脳された結果かもしれないが……。
それにしても、『我々』が地球にやって来るまで最低でも千年と言ってたな。俺ってそんなに長生きするんだろうか? それとも、次代の『代理人』にその任務が引き継がれることになるんだろうか?
寝る前にふと浮かんだその疑問を、俺は心の奥のどこかに押し込めることにした。これも考えても無駄な項目の一つだと思いながら。
その問題の答えを、数日後の深夜に俺は知ることになった。『発情』した自分をどうにも抑えられなくなり、俺のベッドにもぐり込んで来た鈴佳を腕に抱きながら。