◆23◆
「叔父の岡田誠次は七年前だって六十近かった。退職間際の叔父と俺を間違えるなんて……。お前、本当に叔父と会ったことがあるのか?」
うん、どう見ても動揺している顔だ。初めから変な女だと思ったが、話してみると余計怪しい。
「仕方ないでしょ! 中学一年の頃だもの、おっさんの顔なんてみんな一緒に見えたのよ。それに知らないおっさんがママ目当てに家に何度も来るなんて嫌だったから、顔なんて見たくもないし、覚えたくもなくて当然でしょ!」
「その、顔も覚えてない男の住んでる山奥まで、何しに来たんだ?」
「えっ、……そりゃあ……ママが最後まで忘れないでいた男に、ママの思いを伝えないでおくわけには……いかないと思って……」
随分殊勝なことを口では言っているが、視線は定まらず手先がそわそわしている。まあ、二十歳前の女子なんてこんなもんだろ。全部が全部、俺の昔の上司みたいだったら怖くてたまらん。若いのぉ~、おぬし。
可笑しくなって思わず緩んだ俺の口元を見て、鈴佳は勘違いしたらしい。愛想笑いを浮かべて身を乗り出した。
「それじゃあ、家に入れてくれる? 暑くて疲れちゃったぁ」
「ん、何するんだ?」
「そりゃあ、ママの話したいし」
「俺は別に聞きたくないな。だいたいお前の母親だって言うなら」と、鈴佳を見て、「どう考えても四十過ぎだろう。そんな会ったことも無い、おばさんの話をすると言われてもなぁ……」
あっ、て顔になった。そうだぞ、前提条件が全く違うんだぞ。誠次叔父はこいつの母親に惚れていたことがあるかもしれないが、俺には面識が無い。当然、何の思いも無い。もう死んでるそんな女の思いとかを、俺が何で聞かなきゃならない?
「だいたいさ、七年前に誠次叔父とお前の母親が別れたんだって、お前が拒否したからなんだろう。その後叔父だって何とか心の整理をつけて暮らしていたんだ。たとえ未だ生きていたとしても、お前の母親の話を聞きたがるかな?」
「だって、だってママは、ずっと一人を通してたんだよ!」
「それを俺に言われてもなあ。……お前のママとかの、顔も知らないし」
どんな思いを抱えていたかは分からないが、誠次叔父が亡くなってしまった今となっては、どのみち手遅れである。
「えー、でもぉ~」
何も考えないで俺に何とかしろという顔をして鈴佳は立っている。誰かが自分のために何とかしてくれるのが当然だという、甘えたガキの顔だ。
「早く帰らないと日が暮れるぞ。スマホ持ってんだろ。ここは圏内だから、さっきのタクシー呼んで帰れ」
陽が落ちたら、この辺は真っ暗になる。晴れていれば町から離れたこの辺りでは、夜空に信じられないほど多くの星が見える。県道を通る車のライトも、遠くの民家の灯りも、微かなものだ。
そんな夜道を歩いて行く勇気が、こいつにあるとは思えない。まだ夕刻とは言えないが、秋の陽はつるべ落としである。俺はこいつを早く追い返したかった。
「だって……」
「ん?」
「……無いもん……」
「何なんだ?」
予想はついたが聞き返した。しばらくモジモジしていた鈴佳が、やっと小さい声を出した。
「タクシー代無いの!」
「はあ?」
「だから、お金が無いのよ」
「あん?」
「お金も住むとこも無いの! お願いだから、お金下さい!」
えっ? そこは「貸して下さい」じゃないのかよ?
話している内に想像できたことだが、鈴佳は一文無しだった。
母親の闘病中に高校は卒業したが、進学するつもりでいたので就職希望は出していなかった。『箱入り娘』だった鈴佳は、高校生がよくやるバイトさえ、ほとんどやらせて貰えなかったそうだ。
それまで二人は、母親が雇われて店長をしていたスナックの二階で生活していた。オーナーも入院中に娘を追い出すまではしなかったが、母親が亡くなった後二十歳にならないその娘に店を引き継がせるとは、さすがに言えなかったのだろう。葬儀を終えた後は、さっさと退去するよう求められた。
鈴佳の反対で、結局誠次叔父とのことを諦めたことでも分かるように、母親という女は、随分鈴佳を甘やかしていたようだ。母娘相互依存という奴かもしれない。
そのせいか、鈴佳は経済的に自活する力を持っていないくせに自尊心が高く、しかもどこか抜けている人間に育ってしまっていた。
スナックのオーナーから、「二十歳過ぎたら店を任せるから愛人にならないか」という誘いを受け、断固拒否したと、今も自慢気に話している。
「信じられるぅ? 五十過ぎた爺さんだよぉ!」
押し切られる形で裏口から入れたダイニングのソファに座った鈴鹿は、麦茶を飲みながらそう叫んだ。ちなみに赤いキャリーケースは未だ、土間に置いてある。
まあ、二十歳過ぎたって、お前にスナックの店長は無理だ。結果としてだが、お前の判断は正しかっただろう。
コンビニでバイトした経験ぐらいしか無いガキに、勤まる仕事じゃあない。そのオーナーも分かってて言ってたろうさ。
「つまり稼ぐあても無い、住む場所も無いと」
「そうそう。だから岡田さんなら、何とかしてくれるんじゃないかと思って」
いや確かに俺は『岡田さん』だが、『岡田誠次さん』ではないんだが……。