◆226◆
俺は自分が生身の人間だと告げた後、目の前のヘロルドという男の顔を見返す。
ガタイの良いタフそうな白人で、サングラスの奥に光る眼光は鋭い知性を示している。若く見えるのは兵士として鍛えているせいで、本当は見掛けよりもう少し歳がいっているのかも知れない。
こいつだって並みの人間から見れば、十分超人だろう。体力だけでなく、伝わってくる戦闘力というか威圧感からも、一般人との圧倒的な差が感じられる。多分それなりの武器を持たせれば、熊ぐらい一人で倒すに違いない。
「ねえ、どうなったの?」
階段の上から岡女史の声が掛かった。上がって行った大城と千葉妹から、銃撃戦が収まったと聞き出して、様子を見に降りてきたのだ。
「そちらは、日本政府の方かな?」
ヘロルドが短機関銃(H&K MP5)を拾い上げてから、おもむろに尋ねた。こいつ本当に大尉だろうか? 本当の階級はもっと上のような気がする。
「防衛省の岡です。あなたは?」
「合衆国特殊作戦軍所属のウィリー・ヘロルドです。ミズ・ハーマンから、あなたのお名前は聞いております。他人の意見をあまり考慮されない方だから、多分こちらに来ているだろうと」
何だ、こいつ、ちゃんと礼儀正しい口が利けるじゃないか。それに、ちっとも訛っていない。
「あら、すると私も“はめられた”っていうことかしら?」
ヘロルドは、ご婦人間の確執には関わりたくないというように、肩をすくめて見せた。軍人のくせに、女扱いではクソが付くほどスマートな奴だ。
「まあ良いわ。彼女は昔から嫌な女なのよ」
俺には似たもの同士のようにしか見えない。今回はアリス婆さんの方が一枚上手で、岡女史が利用されたってことなのだろうか。狐と狸の化かし合いだ。
岡女史だって、十分妖怪の類にみえる。ヘロルドの部下が持ってきた黒い遺体袋に、俺が撃ち殺したテロリストの屍体を押し込んでいるのを見ても、まったく気にした様子が無いし。
「で、作戦行動はすべて終了したと思って良いの?」
「戦闘行動は終了しました、マム(Ma'am)」
「じゃあ、“作戦”はまだ続いているのね?」
「それをあなたに説明することは、前線指揮官としての自分の権限を越えることになります」
「ねえ、社長?」おっと、今度はこっちに矛先が向いた。「今は日本人同士で連携する時だと思うんだけど、どうかしら?」
「何を言ってるんだ?」
おばちゃんがこんなことを言い出す時は、絶対に何か企んでいる。
そこへ桃花が、降りてきた。その背中には鈴佳が、隠れるように引っついていた。
「社長、これからどう致しましょう?」
そう言えば、脱出準備をさせておくようにと指示したんだった。今晩、銃撃戦のあった宿で過ごすのも落ち着かない。
「移動の準備はできたか?」と、俺。
「ちょっと待ってくれ。今ここから動くのは、お薦めできない。攻撃部隊は撃退したが、軍事作戦では必ずバックアップが控えている。それが、お決まりのパターンなんだ。ここへの二次攻撃は無くても、移動する途中を狙われる可能性はある」
ヘロルドが待ったを掛けた。言ってることは理解できるが、襲撃があったここに籠城するのは、うちの女性陣にとって精神的に良くないと思う。
「じゃあ、どうするんだ? 脱出するのに装甲車を用意するから、それまで待てとでも言うのか?」
常套手段では、複数の脱出経路を用意してリスクの分散を図る。ただしこれは準備に時間が必要だし、相手の手駒が読み切れない今、必ずしも最善の選択とは言い切れない。
「自分は道路脇に仕掛けられた即席爆発装置で何十人もの人間が死傷するのを、アフガンで見てきた。あるいは車両爆弾が突っ込んで来れば、装甲車だって無事では済まない。ロシアのテロリストは、どんな手を使うか分からないんだ」
「じゃあむしろ、拙速を選んで姿をくらます方が賢明だな」
「岡田社長、それは無謀じゃない?」
岡女史が、このタイミングで口を挟んだ。連携どころか、足を引っ張る気満々としか思えない。聞こえないふりの一択だな。
「桃花、ヘリをチャーターして呼び寄せろ。荷物は置いていかせるが、後で回収しやすいように荷造りして一箇所にまとめさせておけ。最悪全部買い直させても良い。でも今は、何かすることがあった方が良いだろう」
「分かりました」
鈴佳の手を引き、桃花は二階に姿を消す。しかし岡のおばちゃんは黙っていない。もう少し控えめにした方が、周りに好かれると思うんだけど、無理なんだろうな。
「ちょっと! 六角が社長を入れて五人でしょ。防衛省組が三人。パイロットを入れると九人。そんなに乗れるのって陸自のUH-60JAか要人輸送用のEC-225LP、あとは大型のCH-47ぐらいよ。そんなの、どこでチャーターするの?」
パイロット付きでチャーターできる民間のヘリは、定員六名以下が圧倒的に多い。大型の機体は、維持にも運用にも余計なコストが掛かるからである。
「あれ、一緒に来る気ですか? そうなると、シコルスキーのS-92とか、機種が限られるな。それは手配に時間が掛かりそうだ。えーと、そっちはそっちで対処してくれませんか?」
「何? あたしたちを見捨ててく気?」
突っ込み所満載だ。何でそう、俺に付きまとって来るんだ?
「いや、我々と一緒の方が危険ですよ。それに勝手に押し掛けてきて、脱出の面倒まで見ろというのは、どうなんです? だいたいさっき、岡さんは居残るつもりでしたよね?」
ここでヘロルド大尉(?)から、ストップが掛かった。
「ちょっと待ってくれ。ヘリは危険だ。対空ミサイルで狙われたら、生き残れないぞ」
何故か後出しで、テロリストの攻撃手段がエスカレートしてくる。移動をしない方が良い理由が、後から後から出て来るのは何故だ?
「ロシアは、そんな物まで持ち込んでいるんですか?」
米国のテロ対策はどうなっているんだという牽制のつもりだったが、ヘロルドは気にも留めずに聞き流した。ま、この国自体、銃器や何かやらが溢れている国である。今更か。
「ロシア製は性能が低いが、近接防空用の携帯防空ミサイルは、かなりの数が闇市場に流れている。スティンガーとかミストラルとかイグラとかな。麻薬カルテルの掃討にどこの政府もヘリを使うようになって、マフィアからの需要が多いんだ」
確か9K38って、ロシア製の携帯防空ミサイルシステムだよ。いや最初に開発したのはソ連で、ロシアはそれを継承発展させただけだった。
携帯防空ミサイルは非正規兵力組織のためのブラックマーケットでは人気のある商品で、数百ドルからの値段で不法に売り買いされているという。無論低空でだろうけど、F-16やミラージュ2000、それにMiG-27までが撃墜された実績があるそうだ。それが本当なら、ヘリなんか一発だね。
「つまりそんなものが、合衆国内で調達できる、ということですか?」
「いや、そこまでは言わないが……」
ヘロルドの顔がちょっと苦しいのは、出所が米国内の軍事基地だからだろう(海外の軍事基地からも当然流出している)。軍用品を横流しするダーティな軍人が、いるって事だ。何しろ米軍の総兵力は、陸軍約四十九万人、海軍約四十万人、空軍約三十七万人、海兵隊約十七万人、総計約百四十三万人である。数の中には、悪い奴が混じっていてもおかしくない。
「怖いわねぇ……」
うーん、何かこいつら結託して、俺たち(?)をこの宿に押し止めていようとしてないか? おばちゃんの態度が怪しい。日米両政府が協力して、俺をここに拘束しておこうとしているなら、その理由は何だ?
「もしかしてあんたら、俺が例の爆殺計画のことを、北朝鮮の主席にリークすることを怖れているのか? D-デイは、そんなに間近に迫っているのか?」
今、北の南への侵攻が開始されれば、朝鮮戦争の停戦は破れ、あの半島は戦火に見舞われる。非戦闘員にも容赦なく砲弾が降り注ぎ、犠牲になるのはまず老人や子どものような弱者からだ。
普通なら、そんな戦渦の切っ掛けになると知った人間が、暗殺計画を阻止しようと考えても不思議は無い。
「なああんた、我々がそうしなくても、中共が必ずそのボタンを押すんだ。いずれにしてもあの半島で犠牲者が出るのは変わらない。我々はそのタイミングを、少しだけ早めるだけだ。そうすれば台湾も日本も、中共の軍事侵攻を回避でき、合衆国軍の被るダメージも最小限に抑えられる」
ヘロルドが説得口調でそう語り掛けてきた。俺が彼らの意図をどの程度見透かしているか、探りながらという感じだ。こいつ、単なる軍人じゃあないな。だが多分、彼の背後にいるのはアリス婆さんだ。
「つまり、中共の気が変わらない以上避けられない朝鮮戦争の再開を、有効に利用しようというの?」
おばちゃんが、次の声を被せる。この二人、本当に初対面だろうか? どうも予め決められた方向に、話が誘導されているようにしか思えない。だとしたら、おばちゃんは最初から暗殺計画のことを承知していたことになる。ただそれにしても、何でこんな回りくどいことをする?
ああ、頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。冷静になれ! 考えろ、考えるんだ。
中共の思惑通りのタイミングで台湾侵攻と朝鮮動乱の再開が起これば、日米の受ける損害は計り知れない。だから、どうせ避けられない朝鮮半島の人々の犠牲は、ためらわず冷徹に受け容れろというのが、彼らの論理なのだ。
岡女史はミズ・ハーマンに騙されたふりをして、実は俺を騙そうとしていた。しかし彼女の意図は何だ? どこに真意がある?
中共の計画通りに進めば、一番大きなダメージを被るのが、朝鮮半島と台湾島のすぐ隣に位置する日本だ。米国はいざとなれば、日本から撤退することができる。でも日本は、今ある位置から逃げ出すことができない。日本の利益(日本国民の命と資産)を守ることを優先するなら、米国の計画に乗ろうという岡女史の選択は当然なのだ。
おばちゃんの顔を見る。汚いと言われようとも、日本の国防に携わる官僚として、これが最適解だ、そう思っている顔に見えた。これって、俺の思い込みだろうか?
しかも俺をはめ、朝鮮半島で生ずる多くの犠牲に対し罪悪感を抱かせることで、戦争に積極的に関わらせようという意図を感じる。感じてしまう。この女、俺を何だと思っているのだろうか? 米側のプランとこいつの考えが異なっているとすれば、それは俺に対する評価の部分だ。
確かに、俺は化け物である。いや正確に言えば、どん亀という真の怪異の尻尾だ。だがこの女に、俺とどん亀の正体がバレているなんて事は、あり得ない。
何も掴んでいないのに、俺に対する直感だけで俺を巻き込む事を企んでいるとしたら、女は怖い、本当に怖い。
人はこんなふうに不確かなものに、持ち金のすべてを賭けるような博打を、打てるものなのか? ベットされているのは、日本という国家とそこに住んでいる人々の命運なのである。この女がそこまでのギャンブラーなら、俺には到底敵わない相手だ。
しかし、と俺は考える。官僚とはそこまでやるものなのか? 日本の犠牲を抑えるためなら、隣国の民がどれだけ苦しんでも、目をつぶることができるのだろうか? ある意味、悪魔に魂を売るのに等しい、狂った行為である。
どん亀に魂を売り渡している、お前が言うな!
そう罵ってやって下さい。
岡女史は山本五十六並みのギャンブラーです。




