◆224◆
防衛省の事務方である岡寛美女史が、技官である田中と甲斐を連れ、メリーランド州タルボットのオックスフォードにある我々の宿にやって来た。赤いセコイア、トヨタから発売されている北米向けフルサイズSUVワゴンの、ハンドルを自ら握ってである。
彼女の運転してきたこいつは、“V6ツインターボ+モーター”のHVユニットを搭載し、馬力443psで最大トルク790.44Nmという、モンスター・スペックだ。ワシントンDCからぶっ飛ばしてきたらしいが、真っ赤に塗装された車体の前後には大使館ナンバーが付いている。
「どう考えてもスピードオーバーでしたが、パトカーも止めそびれたんでしょう」と、青い顔して降りてきた田中が漏らした。
「ねえ、アリスが昨日来たでしょ。何て返事したの、岡田さん?」
開口一番聞かされたのが、この言葉だ。どうも彼女はミズ・ハーマンとお友達らしい。いかにも馬が合いそうだものなあ。
「ミズ・ハーマンからは何も聞いておられないのですか?」
「質問に質問で返すのは良くないわね。聞いたのは私よ」
単に勢いで押し切ろうとしているとしか見えないが?
「はー、それでは我が社としても何とも。あちらから説明をされていない内容を、迂闊にあなたに話しては、信義を問われかねません」
「うーん、あなたって変なところで口の固い男ね」
それは褒めているようには聞こえないな。しかしどうやら、米側から日本へ全ての情報がオープンになっている訳でもなさそうだ。アリス婆さんが、なあなあで岡女史に教えるほどあの話は軽くない。そう言うことだろう。
「彼女はレールガン・シップをどの場面で使いたいと言っていたのかしら?」
北の首領様を爆殺するプランについては、彼女はまだ知らされていない。でなければ、こういう聞き方はしないだろう。
同盟国の親しい官僚にも教えられない情報を、その国の一企業家に漏らす……。おい、これはどういうことだ?
甲斐がヘラヘラ笑いながら、車から降ろしたキャリーケースを転がし、近づいて来た。
「いやあ、何ですあれは?」
「どうした?」
「オックスフォードって、トレッド・エイボン川の河口に突き出した小さな半島になっているじゃないですか」
「ん?」
「ナビのマップを見たら半島のくびれのところで、オックスフォード・ロードから南モリス・ストリートに曲がって入って来るしか、進入路が無いんですよね」
よく見ると、説明を続ける顔が引き攣っている。遅れて降りてきたと思ったらもしかして、ナビを確認していたのか?
「それで?」
「丁度その曲がり角にある駐車場とその向かい側の公園に道路を挟んで、高機動車二台と軽装甲車一台が駐まっていました。それでここに来てみれば、宿の前にまた高機動車が居座っていると来た。まるで局地戦で言う封鎖線ですよ、あれ」
甲斐が手を振った先には、黒い防弾ベストに身を固めた二人の男がH&K社のM27IARを肩に掛けて、辺りを見廻しながら立っていた。
「あー、まあな」
「これって、かなり危ない状況ですか?」
「何だ、何も知らずに付いてきたのか?」
「いや、だって……岡さ~ん」
「何よ、男なんでしょ! 根性据えなさいよ!」
「岡局長は、何かご存じなんですか?」
田中が相変わらず真面目な顔で、そう尋ねる。二人とも何の説明も無しに、連れてこられたらしい。
「知り合いから、今この人に近づくのは止めておけと忠告されたけど、そういう訳にはいかないでしょう! 何と言っても、この件は日本の案件というか、うちの切り札なのよ!」
そう言うと今度は俺の方に向かい、喉首を掴まんばかりの迫力で迫ってきた。おばちゃんの突貫、怖え。……しかし、アリス婆さんとは逆で、勘で動くタイプだな、この女。しかも情報不足でも、何かを嗅ぎ付けたらブルドーザーのように突っ込んで来る。
「すると田中さんと甲斐さんが一緒なのは?」
「そう、777の件よ。いい加減詳しい条件を教えてくれないと、こちらも身動きが取れないの」
「条件ねぇ……それは?」
「岡局長も、“情報共有の仲間”に入れろと言われるのです」
「そうよ。研究会だか何だか知らないけど、一部の技官と制服が内輪で何かやっているのは、知っているのよ、皆。ただ事務方は、危ないことには近づかない方が良いと、知らないふりしてるだけ。承知の上だと思うけど、自衛隊法に抵触する可能性があるでしょ!」
「いや、それはまあ」と、田中。
「単なる防衛装備品の研究サークルですとか、通用しないから、この期に及んで! 事は米国との国防案件になっているのよ!」
「岡さんは、仲間には入りたくないけど、情報を渡せと?」
「はい! 有罪! 認めたわね、岡田社長。この件の中心にあなたが居ることは分かっていたけど、あなたから認めた。さっさと全てを、白状しなさい!」
「危険だと思わないのですか、岡さん? あなたも言われたように、これは国際的な国防案件なんですよ」
俺はそう言って、少し離れた場所に居座っている高機動車と武装した男たちの方に顎をしゃくる。
「そうね、アリスの匂わせた以上にトラブルは差し迫っているみたい。かと言って、国防に関わる人間として、座視できる問題じゃない」
しつこい! これじゃブルドーザーじゃなくて、食らい付いたら話さないブルドッグみたいだ。仕方ない、仕切り直しだ。
それから岡女史に一部屋、田中と甲斐には相部屋で一部屋、割り振ってくれるよう宿の人間にたのんだ。ステファニィはあれから姿を消している。どうもアレン爺さんから呼び出しがあったらしい。だから俺が直接だ。
それからまた、改めて俺の部屋で交渉に入ることになった。田中や甲斐たちにしてみれば、ギアスのサークルに加入させるかどうかという微妙な問題なので、外部に漏れては困るのである。
「それにしても、社長のお供は女性ばかりですね。ハーレム体質というやつですか」
それは桃花と千葉妹(華子)、鈴佳に大城由唯、今は居ないがステファニィと、みんなそれなりの美女(?)ばかりだし、端から見るとそうかも知れない。
でもなあ田中、大城は恋人が死んだばかりであの状態だし、精神年齢が四・五歳レベル(外見は二十歳過ぎ)の鈴佳に、JK気質の抜けない華子、手を出してしまったがその後の扱いに困っているステファニィ。これがハーレムか?
まあ俺には桃花が居るけど、ハーレムなんて言おうもんなら、どんな眼で睨まれるか!
「それより、下で警備会社のキャップだという男に会いました」と、甲斐。
「ああ、キャプテン・ヘロルドね。元は特殊部隊にいたそうだが」
ウィリー・ヘロルドは、ロスのボディガード・サービスから派遣されてきた連中の指揮官である。身長百八十センチ(6ft)くらい、体重は百キロ近くありそうだ。白人で茶髪をソフトモヒカンにしている。家の中でもサングラスを掛けているので、目の色は分からない。
「陸軍なら、元大尉? デルタじゃ、あの年齢で民間警備会社にいるのは辻褄が合わないから、グリーンベレー出身ですか?」
「さあて? イラクがどうとか言っていたから、見掛けより歳を食っているのかもな」
「でも何だか、あれはデルタっぽいですよ」
まさか、現役じゃなかろうな? だとしたら、俺は本格的に米国の対テロ戦闘に、囮として巻き込まれることになる。この宿に今居る、全員がだ。
「桃花!」俺は廊下に出て、叫んだ。
「何です、社長?」
「至急、ロスの警備保障会社に電話して、どんな人員を何人送ったか、確かめてくれ」
その時、遠くでくぐもったドンという音、多分爆発音、が何度か聞こえた。
やや間を置いてヘロルドの罵声と、下のラウンジに詰めていた男たちが走り出すドタドタという足音、それから高機動車とそれに続く数台の車の音が聞こえる。
「何かあったようね」
岡女史が窓を開け、外を見た。
「何でしょう?」と、田中。
「社長!」桃花がドアを開け、「ロスの警備会社の送った人員は五人だけだそうです」と叩き付けるように告げる。
「あいつら二十人、いやそれ以上いたな」これは田中。
「道路を封鎖していた連中を入れれば、もっとでしょう?」と甲斐。
「現役の、対テロ特殊部隊、一個小隊分ってところか……」
「だとすると、相手は何者です?」
「多分、ロシアの参謀本部情報総局かロシア連邦保安庁にいた連中。いやもしかしたら、彼らも現役かもしれない」
岡女史がマジマジと俺を見た。
「岡田社長。あなた、何をしたの?」




