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◆222◆

 大城由唯の恋人だった女性が上海で命を落とした。彼女は死の間際に、由唯に「ロシアの暗殺者があなたたちの命を狙っている」という警告を残した。


 ロシアは東欧での紛争の後、欧米を中心とする西側自由主義諸国からの経済制裁を受け、財政的に困難な状況が続いている。


 侵攻によって支配下に入れた地域の生活(ガス・電気・水道等のインフラ維持や公務員給与・年金支給等)を支え、崩壊した地域経済の復興のために必要となる莫大な費用負担なども、ロシアの(かせ)となっていた。


 自由主義諸国との経済的繋がりをほとんど断たれたロシアは、紛争が起こって以降も中立的立場を標榜していた中共により接近し、残された主なる貿易相手として依存していく。そして今ではかつてのスターリン時代とは全く逆転し、中共に従属せざるを得ない立場にまで追い込まれていた。


 元々ロシアは『暗殺大国』だ。ソ連崩壊後の近年でも、反体制側の政治家やジャーナリストの毒殺や爆殺、あるいは銃撃による謀殺、これらへの政権の関与が報告されている事例は枚挙に暇が無い。


 これはソ連崩壊後のロシアという国家が急進的な経済改革を採用し、政治家や新興財閥、マフィアなどが勢力拡大にしのぎを削る弱肉強食の『修羅の国』となったことにも理由があるだろう。


 温和で心優しいロシア人が大多数を占めるにも拘わらず、社会が不安定で殺人事件が多発する状況では、命の値段が驚くほど安くなる。西側ジャーナリストの報告によると、殺人の相場は一人二百ドル前後と言われているのだ。


 無論それ以前の、スターリニズムを源流とする共産党国家の時代、あるいは更に遡って帝政ロシアのツァーリの時代も、ロシアの民の生命の値段は決して高価ではなかったが。


「ロシアの政権が仲介して、暗殺を請け負う人間を送り込んでくることは、あり得ると思う。中共と北の工作員は前に六角に手を出して、壊滅に近い状態に追い込まれている」


「(警察庁の)公安にですか?」


 悲しみに打ち拉がれた挙げ句表情を失った大城由唯が、力無い声でそう言う。だが上海で彼女の恋人の命を奪った者たちの所へは、東京の公安部の手は届かない。


「そうだ」


 あの時はどん亀が公安と内調を操り、その後更にボットたちを使って“事故”を起こした。組織として壊滅させたばかりでなく、結節点にいた人間を物理的に潰した結果、日本にあった北と中共の裏組織は未だに再建されていない。いざとなればどん亀は、世界中どこにいる相手の所まででも手を伸ばし、握り潰すことができるのだ。


「それで今度はロシアに、火中の栗を拾わせようとしているんですね」


 ソファに腰を下ろした桃花が、大城の側に寄って肩を抱く。場所はステファニィが貸し切った宿の、俺の続き部屋(スイート)だ。アンティークなデザインの照明器具が、天井から白熱電球の光を投げ掛けている。


「取りあえずヘックス警備保障(HSS)に、社員の身辺警護と社屋の警備を強化するよう連絡してくれ」


「もう手配済みです。間もなくこの町にも、提携している米国企業の小隊(プラトーン)が到着します」



 ヘックス警備保障は、警察官僚の大市の紹介で俺が買収した警備会社である。その当時は警察庁OBの天下り先となっており、経営陣が自然と老齢化しフットワークが弱くなった結果、新興大手に仕事を奪われ赤字経営に転落していた。


 俺は買収によりそこの経営権を得た後、管理職の大幅なリストラを行い、組織を再編した。そして六角産業製品の国内輸送警備を中心とする業態転換により、赤字基調だった経営を立て直す。現在では情報セキュリティの管理や要人警護などの分野にも手を広げ、国外の民間保安会社と提携することで、国際的な場面での業務も展開している。



「相手はロシア()連邦()保安庁()特殊部隊(ヴィンペル)にいた連中らしいが、米国(ステイツ)はアフガニスタンやチェチェンとは違う。この国で勝手は許さないから、大船に乗ったつもりでいてくれ」


 次の日、ロスに本拠を置く身辺警護(ボディ・ガード)会社から派遣されて来たのは、陸軍特殊部隊上がりだという男で、三台の高機動車(ハンヴィー)と一台の軽装甲車(エノク)を引き連れてきた。いくら米国でも、目立ち過ぎだ。


「お前たちは、戦争でも始める気なのか?」


「傭兵には傭兵の情報網がある。あんたたちを狙っている連中は“戦争屋”だぞ。毒や狙撃も使うが、RPGやM202FLASH(ナパーム)を打ち込んでこないとも限らないんだ。発注条件(リクエスト)じゃあ、予算度外視でやって良いってことだったはずだ。ここにいるのは十五人ほどだが、他に二十人くらいが交代で町の周辺を見張っている」


「つまり、奴らが最初に狙うのは俺と俺の周辺、と言うことだな?」


「分かっているじゃないか、旦那(ミスター)! 奴らも無駄な出費は押さえたいからな。頭を潰してしまえば胴体も死ぬ。それが一番効率的だ。他の標的を狙い始めるのは、どうしてもあんたを殺せないと分かった後だろうな。言っておくがこのプランは、そちら(ヘックス)の相談役とかの了承済みだぜ」


 つまり、俺は囮だ。誘蛾灯のランプみたいなものか。ヘックスの相談役というのは、どん亀のアバターの一つである。俺が問い合わせたら、確認のメッセージが心話で返って来た。


 今ではどん亀と出会った最初の頃のように、たどたどしい対話でこの“心話”を遣り取りすることはなくなっている。どだい俺とどん亀の情報処理能力は懸け離れ過ぎているから、あのやり方は効率的ではなかったのだ。直接の連絡は心話上のショートメッセージ交換で、そして情報の問い合わせに対しては俺の意識下に情報パケット(展開も意識下で行われる)が送られて来る。


 えっ、同居していても直接の接触を避けている仮面夫婦みたいだって? 余計なお世話だ!


 今回受け取ったメッセージにも、簡単などん亀の状況分析が添付されていた。相手が小規模な軍事作戦としてプランを立てているなら、攻撃目標が分岐する前に敵をはめて殲滅するという対策(カウンタープラン)は正しいのだろう。ただ、桃花たちを巻き込むのは本意じゃない。


「だからしばらく、この町から動かないでくれ。都会の人混みで襲撃されたら、周囲を巻き込んで目も当てられないことになる。()()()()()も企業イメージを守りたいなら、それは避けたいだろう?」


 この部隊指揮官(リーダー)の男は、言葉遣いは乱暴で少し訛りがあるけれど、戦争屋(ぐんじん)としては有能そうだ。三十代に見えるが、下士官ではなく尉官レベルの教育を受けている。大学教育を受けている指揮官(オフィサー)が多いのも、米国の強みだな。


 あれ、ステファニィがこの場所を選んだのは、“そのため”か? まさかな⁈ いくらトライデントの調査部でも、そこまでは無理だろう。


「分かった。移動の必要が出てきたら、君たちに相談しよう。取りあえず三日間は、この町にいるつもりだ」


「OK。旦那(あんた)がボスだ。ただその時は、早めに声を掛けてくれ。当面の作戦本部はこの宿に置くから、誰かが常駐している」


 駐車場で話していたのだが、振り返ると桃花が近づいて来ていた。黒いスリムなパンツの上にハイネック・プルオーバーのニット姿だ。パンプスとニットは、紺とベージュのツートンで揃えている。ああ、本来であればこの期間は、オフタイムだったんだな。鈴佳のメンタルケアとか、どうしよう? まだここにいる大城の方も、恋人の死で落ち込んでいる。


「外に出ていても良いのですか?」


「彼らが、この周辺の狙撃点はチェック済みだ。危険率(リスク)が高まったら、移動するさ。その時でも、俺たちは政治家のような公人じゃないから、位置情報を特定するのには相当な手間(コスト)がかかる」


「こうなると米国の高官が接触してきた理由(ウラ)が気になります。ミズ・ハーマンは国務省の人間でしたね?」


「君に説明していなかったが、防衛省に貸し出していた機材に関心があるそうだ」


「それだけでわざわざここまで、やって来たのですか? しかもアポ無しで」


 桃花の立場では、俺が説明しない事は知らない事になっているが、それは本当に知らない訳ではない。現に田中と甲斐のコンビだって出入りしていて、今回も帯同しているのだから、周辺情報を浚えば見えてくるものがあるからだ。アリス婆さんが訪れた背景だって、ある程度察しているだろう。


米国の政権(ホワイトハウス)は、独善的な南の半島国家の外交に嫌気がさしている。事大主義でどちらかにベッタリというならまだしも、日米と中共の間をふらふらして都合の良い時だけ擦り寄って来る。その器もないくせに仲介者として振る舞うと見栄を張り、偉そうにしゃしゃり出て足を引っ張る。あの国の政権は国内のことしか見ようとしないから、国際社会での自分たちへの低評価が理解できない。結局、米国に見放されても気付かず、変われない」


「それは……他山の石とするのが良いでしょう」


 俺は桃花に隣国の政治に関するこういう話をしたことが無かったから、戸惑いが見える。無論、日本にも問題点は山積みだ。ただその上でも、隣国の不都合な状況を見過ごしてしまうのは危険であり、時として自国に対する裏切りに繋がる。


あの国(みなみ)は米国を甘く見過ぎだ。“儒者の蒙昧(もうまい)、経に見ずと言いて虎狼を怖れず”というやつだな」


「何です、それは?」


「米国は中共の台湾侵攻を遅らせるために、北の軍部を暴発させ南に侵攻させようとしている。切っ掛けになるのは北の主席の爆殺だ。それが台湾侵攻より先に起こってしまえば、中共は隣国を安定させるため、数年間身動きが取れなくなる。財政負担や治安維持のための進駐で、中共の台湾侵攻は十年先送りになるだろう」


「まさか、だって北は中共の同盟国でしょう。そんな計画があるなんて本当ですか?」


 一般の日本国民は中朝の関係を、どう捉えているのだろうか? 歴史的に見れば朝鮮は属国扱いされてきたにも拘わらず、逆にその秩序を肯定することで王朝の正統性を担保して貰っていた。


「ああ、元々中共側のプランでは、台湾侵攻時に爆殺事件を起こす予定だったんだ。それを切っ掛けに北の兵士が南に攻め込むことになる。そうなったら在日米軍も自衛隊も、台湾支援どころじゃなくなるだろう。中共も、言うことを聞かない北の政権、あの王様気取りの主席を、いい加減(うと)ましく思っていたということだろう」


「つまり台湾侵攻時に起こるのが避けられないなら、米国に都合の良いその前のタイミングで起こしてしまおうということですか? どう考えても、可能とは思えませんが」


「その仕掛けは、もう中共の手によって組織化(じゅんび)されているんだ。中共から暗殺命令(あいず)がありさえすれば、事件は起こり北の軍部は暴発する。犠牲を顧みず南に攻め込めば、運が良ければ南北統一の実現だ。彼らは英雄になれると思っている」


「そう上手くいきますか?」


 桃花の声からは、まだ納得いかないことが伝わってきた。あの国のことを考えると、近くて遠い国という表現が浮かぶ。浮かばざるを得ない。


「さあ、どうだろうかな? いずれにしても、こんな組織(あんさつグループ)は不安定だ。事前に露見したら族滅にあう。メンバーはずっと不安と恐怖にさらされているはずだ。米国はそこを突こうとしているんだろう」


「でも、同盟国への侵攻を、米国自身が引き起こすなんて!」


 不条理だけれど、バレなければ良いと考える人間が、政治の世界には山盛りいるんだ。


「露見したら国際的にとんでもないことになるが、そこは元々中共の仕掛けた策謀だからな、責任は中共に(なす)り付ける予定なんだろう」


「同盟国である南が攻められたら、在日米軍には相互防衛条約で、防衛に当たる義務があるんじゃないんですか? 日韓の歴史的状況から考えると、自衛隊の進駐は無理でしょうし」


「現在米国側にある在韓国連軍や米韓連合軍の指揮権を自国に引き渡すよう、韓国側は以前から求めている。準備段階として米国は、この指揮権の移譲と在韓米軍の引き上げをセットで行うだろう」


「でも、そこで北側が南に攻め込んだら、米側が世界的に非難を浴びませんか?」


 先年の東欧の動乱でも、米国とNATOのやり方は無責任だという声が、多く上がっていた。


「元々韓国側からの希望だからな、そこは米国の巧妙な所だ。自由主義諸国も、あの国の自己中と小中華的言動には愛想が尽きていることだし、何より地理的に近いのは日本だけだ。表向きはどうあれ、米国が見放しても、あまり痛痒を感じない国ばかりだろう。そして米国の海洋覇権にとっては、台湾と日本列島の方が優先だ」


「そんなに簡単ではないと思います」


「そうだな。日本に難民が押し寄せるのは勘弁して欲しいし、米国だって自由主義国家としての南朝鮮の存続が望ましいとは思っているだろう。北鮮軍も食料・燃料は略奪で賄えても、武器弾薬はそういかない。軍隊として戦えるのは、精々三日間だろう。その間に、いやその後も、南側には多くの犠牲が出るだろうが……」


「在日米軍の反攻があるのは、その後ということですね」


「ああ。だが多分、人民解放軍が動いたことを口実に、台湾への進駐するのが優先されると思う。米国にしてみれば、自国民や東南アジア諸国への説明もしやすいからな。太平洋の西半分を中共に譲り渡したくなければ、そうするさ」


「韓国は中共への生け贄ですか?」


 だがなあ、そうしないと代わりに沖縄・台湾が犠牲になるとしても、お前は平気か?


「米軍はいずれ韓国の復権という名目で、朝鮮半島に再上陸するつもりだろう。目指すは仁川(インチョン)上陸とスレッジハンマー作戦の再現だ。それをやらないと米国が、国内外に対する面目を失うからな」


「現実性があるのでしょうか? それに自衛隊の上陸は……韓国の人たちに、ずっと拒否されていたはずね」


「当然それは台湾を守り切る目途が立った後だ。そのためには、南側の勢力がまだ朝鮮半島に残留している必要がある。南の亡命政権を国外に設立するにしても、半島内で抵抗活動が続いている方が正統性を主張しやすい」


「南の人たち、そこまで抵抗活動(レジスタンス)を続けられるかしら? 後になれば中共の軍隊も入って来るでしょうし、戦車や装甲車に火炎瓶で戦うことになるでしょう?」


「自衛隊は在日米軍と共同で、空と海から補給路を断つための攻撃に参加することを求められるはずだ。先ずやらなければならないのは中韓の海上交通の遮断、次に陸上輸送経路(道路及び鉄道)への攻撃だ」


「そこに六角(わがしゃ)が製造した兵器が、どう関わって来るのです?」


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― 新着の感想 ―
[一言] 物語の歴史状況は今の物をなぞっているのですな 日米や各国にプランはあっても具体的実際的な準備はないんだろうなと確信する今日この頃 味方も騙す奇襲なら準備不足もあるとはいえ何も考えず実行するの…
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