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ステファニィは、世界的企業であるトライデント社CEOの孫娘であり、米国富裕層の一員だ。有名人とは言えないが上流階級に属し、七光りはあるかもしれないがトライデント社幹部としての地位もある。見掛けも悪くない。
言うところの優良物件である。
ステファニィの直系の血縁者は、祖父だけらしい。いや逆か。アレン爺さんには兄弟姉妹がおらず、子どもは死んだステファニィの父親のみ、そして孫はステファニィだけ。つまりショート家の相続人は、ステファニィしかいない。
まあ、彼女の両親が亡くなった時は、遠い親族だという人間がワラワラと現れたようだが、その辺はアレン爺さんが金に物を言わせて蹴散らした。それを知ったステファニィは、ちょっと人間不信になったと言う。
彼女は本物の金持ちだ。だから交際を求めてすり寄ってくる人間には事欠かなかったろう。でも近づいて来る相手の本心を疑いながら、男と付き合うのは精神衛生上良くない。ステファニィ、結構ナイーブな女だし。富豪の一族ってのも、厄介なものだ。
たまたま、俺は彼女より金持ちだ。柵もなく、しかも今では、彼女の財産を欲しがらないほどの金持ちである。それはアレン爺さんの折り紙付きだ。トライデント社調査部の評価であるから、間違い無い。
後は相性が良いかどうかだと、爺さんから言われたらしい。彼女と俺とは、年齢的にもそこそこだからってさ。爺さんには人種的拘りはそれほど無いらしかった。米国の現状を見れば、今さらだと言う。
出会った当時彼女はまだ、日本大使館のスタッフをしていた。日本のアニメに興味を持って育ち、日本語を学んだ結果、祖父の伝手を利用して得た仕事だが、そこから俺に絡んできた。面会を求めてきた時断ったら、その後俺が渡米した時に押し掛けてきたんだ。
勘ぐってみれば、意地になって俺を追い掛けてきたとも見える。もっと悪く考えれば、爺さんに言われて俺に狙いを付けたと言ってもいい。だから俺には、ジェニファの俺に対する“好意”を、今一つ信じ切る事ができなかった。
付き合ってみれば、そんなに悪い娘だとは感じない。桃花たちとも仲良くしている。でもだからこそ、なおさらだろう? 俺にどうこう言う権利は無いことを承知の上で言うと、これは「(男が絡むと)女の間に友情は成立しない」ってやつなのか?
行き掛かりでステファニィを抱いてしまったが、俺は悪くない。その前にちょっとした行き違いがあり、お返しだという気持ちが俺に無かったとは言わない。でも合意の上だ。
途中で彼女から「結婚するのはどうか?」というお誘いがあったけれど、俺にはその気が無いと明確に意思表示した。その後の続きも、合意の上である。だから俺は悪くない。
ステファニィという女は、俺を嫌いではないと思うが、どれだけ俺が好きなのかよく分からない所が、未だにあるのだ。そこを確かめてからにしろって? いや、お互い子どもじゃないだろう。
身体の相性も悪くなかった。処女だというのも嘘ではないようだったが、それでもお互い楽しめたと思う。うん、処女伝説どうなるんだ?
お互い大人だし、彼女もそういう意味のパートナーを求めていたと割り切って良いのじゃないか? 俺には桃花がいるが、それとステファニィに対する関係は、また別の話だ。桃花に対して、後ろめたいところが無い訳じゃあないが。
で、事後の寝物語という名の情報収集だ。ダブル・オーのコードネームを持つ、ボンド氏張りにね。
「それでミギィ、彼女は何を知りたかったんだ?」
「アリスのこと?」
「直接の知り合いなのか?」
「お祖父ちゃんのね。だから面識はあった」
「君だったら、ここに来る前に、当然背景を調べたろう」
「調査部に問い合わせたわ」
「で?」
「彼女が直接私に知りたいと言ったのは、八機のレールガン・シップの内で何機が実戦配備可能な状態で、どこに隠されているかということね。どうやったのか分からないけど、千歳基地にある二機以外の六機の所在が不明だと言うの」
「ふーん」
「一番可能性の高いのは、バラバラに分解して隠すという方法だけど、十八億ドル分のスクラップをどこかに埋めるために六機の777を購入したとしたら、クレージーだと言っていた」
ハーネス・システムを組み込むことで、飛行場でなくとも大型機を離着陸させられることを知らなければ、日本各地に隠した六機の777の所在を見つけるのは無理だろう。だからアリス婆さんは俺を、無いものを存在するように見せかけている詐欺師だと、疑っている訳だ。
「私がトライデントの調査部から引き出した情報は、それとは違っている」
「?」
「CIAが、北朝鮮国家主席爆殺計画のキーマンを発見したのよ」
「ありそうなことだが……あの主席は、用心深い男だぞ。猜疑心だけで、身内まで殺してきた」
あの国の代々の最高指導者は、常に暗殺を警戒し、実際に何度もその危機に直面してきた。先々代が訪中した折りに乗っていた特別列車が、大規模な爆発事故に遭遇している。ただ、その時死亡したのは影武者だったという話だ。その後の犯人捜しと粛清は、実に苛烈なものだった。
「でもね、これは中共人民解放軍の仕込みなのよ。台湾侵攻の時、同時に北朝鮮軍を南に攻め込ませるトリガーとしてのね」
半島が南北に分断されている今の状態は、南北朝鮮を緩衝国家として利用できる中共にとっても価値があるが、台湾・沖縄諸島を占領し太平洋・南アジアに進出を果たした後は、反って望ましくない。だから台湾侵攻時、在日米軍や自衛隊を牽制するために、朝鮮半島における北から南への侵攻が、人民解放軍により計画されてもおかしくない。
「説明してくれ」
「現指導者の一族が作った王朝にとって、南への侵攻は悪手、滅びの道よ。スターリンの指示で創作された英雄伝説を起源とするあの王朝は、貧困にあえぐ国民を苛政によって抑え込むことで存続している。南北が統一され、民族融合が実現すれば、あの政権が存続することなど不可能だわ」
北側主導の半島統一が実現すれば予想される経済負担(それによる生活水準の暴落)を怖れる南側と、南の自由主義思想(と制限困難なな情報流入)により正統性を否定されることを怖れる北側支配層、この均衝が半島の分断を維持していた。
だから北の指導者は、中共が南に攻め込むよう求めても、抵抗するに違いない。それは単に軍事的に多大な犠牲が生じるからではなく、そんなことをすれば自らの王朝の存続が危うくなるからである。
人民解放軍の望む北朝鮮軍の南への侵攻のために、北朝鮮指導部の排除が必要となるとなれば、中共による暗殺計画が準備されていてもおかしくない。そしてそれは、中共以外の国が用意するより、ずっと容易だと考えられる。
「つまり北朝鮮内部に、中共の手によって国家主席暗殺のための組織が作られているのか?」
「そうね。その組織のキーマンを、CIAが突き止めたわけ」
「それで?」
「北は最近、衛星軌道に上げた機体を大気圏に再突入させて軟着水する実験を実施しようとしているの。それと核の小型化も完成していると言っている」
つまり彼らは、米国本土に核ミサイルを直接撃ち込むという恫喝を、始めようとしていることになる。『米国の敵』認定まっしぐらだな、元からではあるが。
「それでCIAは大統領の了承を受け、中共の台湾侵攻前に北朝鮮国内の暗殺組織を暴発させ、北朝鮮国内を混乱状態に落とし込もうと動いているの。多分北朝鮮軍は暴走して、南への侵攻を始めるわ」
「ちょっと待て、ランフ大統領が指示しているのか?」
過去の米国政権が、対テロ戦争と称し、敵対勢力と見なしたグループの要人を、軍に命じ暗殺させた例は珍しくない。ブッシュ、オバマ、ランフと、それは民主党共和党の区別なく、実行されてきた。
「ええ、朝鮮戦争を再開させることで、中共の台湾侵攻を遅延させようというのよ」
「うむむ、でもそれは、もともと中共も意図していたことだろう」
「タイミングの問題ね。人民解放軍が計画していたより前に起こってしまえば、北から中共側へ、難民が流入して来る。それを堰き止め、北朝鮮国内を掌握するためには、人民解放軍が動かざるを得ない。最終的には北に駐留せざるを得ないでしょうね」
中朝の間には、千四百キロメートル以上に渡る国境線がある。ほとんどは河川による自然国境だが、この全てを管理するには膨大な兵員が必要である。普段ならいざ知らず、北朝鮮側の騒乱で難民化した場合は、中共側に大きな混乱がもたらされる危険性があるだろう。
「中共は、ロシアに協力を求めるだろうというのが、うちの調査部の見解なの。つまり共同での部隊派遣ね」
ロシアと北朝鮮は、陸上では十七キロメートルしか国境を接していないが、一応隣国だからな。ロシアは現在、西側諸国から総スカンを食らって、中共に多くの面で依存しているから、求められたら嫌とは言えないだろう。
「南北間での戦争が始まっても、自衛隊の参戦はあり得ないぞ。南は自衛隊の存在自体を、ずっと拒否しているからな」
「でも、レールガン・シップなら? 日本海に米国の空母を入れるのは、無理よ。危険過ぎる。それを考えると空中からの自衛隊の参加は、必要とされるわ」
「B52がまだ現役だろう? グアムからだって届くはずだ」
そうは言っても、地上目標を遠距離から攻撃するなら、空中発射の巡航ミサイルなんかよりずっとコスパが良い。戦争ではこの、費用対効果比というのがかなり重要なのだ。
「韓国の国民は、自衛隊に助けられるなんて嫌だろう。自衛隊側としても、味方しに行って背中から物を投げつけられるような思いはしたくないさ」
「じゃあ、なおさらレールガン・シップの出番だわ。でも、何機が稼働状態なの?」
やっぱりあれ、ハニ・トラなのか? だとしたら、脱帽だな。もし天然ならこいつは、俺の手には負えない。それにしても、こいつの忠誠心がどこにあるのか読めない。そもそもそんなもの、無いのかもしれないが。
桃花の所へ泣いて逃げていって、平身低頭して謝ろう。何と言っても、桃花がいる同じ屋根の下で、ステファニィとやっちゃったからな。許して貰えるかな? 無理だろうか?
えっ、クズだって? そうだよ。最初から言ってるじゃないか。それにミスター・ボンドは、クズにしか勤まらないんだよ。




