◆219◆
ステファニィの顔がやけに近い。そう思ったら、いきなり正面から身体をぴったり着けて、両腕を俺の腰に廻してきた。
目の前の瞳を見つめる。これは……俺の心を覗き込もうとする眼だ。
微かな香水の残香が感じられるが、彼女の白い肌の匂いと混じって、何の系統なのかよく分からない。強いて言えばまあ、ステファニィの匂いだな。
「どう考え直すんだ?」
「えっ?」
「俺たちの関係だよ」
「そうね。あなたのことを、もっと知りたい」
「どうやって?」
「どうやってって、分かるでしょう?」
「どうかな?」
「意地悪ね」
今までのステファニィは、距離を置いているとまでは言わないが、俺からのアプローチを待っているという以上の態度は示さなかった。
それは慎みというよりも、こちらから求愛させることで優位を得ようとしていると、俺には見えた。マウントを取ろうとしている、とまでは言わないがね。
それがこの、急接近だ。接近も接近、体温が直接伝わってくるように身体を寄せて来る。
「その「知りたい」というのは、聖書に「アダムはエヴァを知った」って書いてあるのと同じ意味だと考えて良いのかい?」
ステファニィが一瞬怯むのを見て、そう言えばまだ処女だったんだなと、俺は考えた。
多分彼女は、俺に無断で仕組んだ段取りが上手くいかず、自分が何の成果も上げられなかったことに焦りを感じているのだ。そして今回のことで突き放されるのではと不安になり、俺を繋ぎ止めようとしているのだろう。
「おいおい、そんな顔をすると、俺も本気になってしまうぞ」
「いいわ」
応える前に、また間があった。こいつは何を考えているんだ?
「その代わり、あなたが何を計画しているのか教えて」
「どうしてそんなこと言い出すんだ?」
ステファニィは俺の手を取り、奥の部屋に導く。そこは寝室で、クイーン・サイズのベッドがあった。えっ、俺? のこのこと付いていったよ。
「ねえ、英次。今の私は、あなたの取り引き相手の孫娘よ。でも、それだけじゃ嫌なの」
薔薇の刺繍の入った厚地のベッドカバーの上に、俺と並んで座ってから、ステファニィはそう言った。紺と水色の大胆なプリント生地ワンピースを着ている。彼女がベッドの上に片足を投げ上げると、Aラインで折り襞のあるスカートが広がった。
「で?」
俺はウェッジソールの黒いサンダルの先からのぞく、赤いペディキュアを施したステファニィの爪先を眺め、彼女が何と答えるかを待つ。その間、このごついサンダルを履いたままでパンティを脱がすと、何だか引っ掛かりそうだな、と考えていた。
「でって……、あなたの考えていることを知りたいの」
「お前、「好奇心は猫を殺す」って諺、知らないのか?」
「猫じゃないわよ、私」
「じゃあ命は一つだけだ。なおさら大事だろう? 自殺願望は良くないぞ」
「あなたが自分の国、日本を守りたいと思っているのは理解しているし、日本は私の好きな国だから、手助けしたいと思ったの」
うん、そこから間違っている。
「日本に核兵器をシェアするというあの話は、知っていたのか?」
「知らなかった。ヒロシマ・ナガサキに対する日本人の思いを知っていれば、そんな提案なんてしない」
それも間違っている。お前の日本人に対するイメージは、アニメのそれに囚われ過ぎだ。日本にだって、必要なら核武装すべきだと考える人間は少なくない。でもステファニィ自身が言ったように現実的ではないから、そっちの方向に行かないだけだ。
「万が一日本に対し戦術核が使われた場合の報復手段として、日本も核兵器を持つべきだと考える日本の軍人も、いないことはない。しかしそれは核の応酬となるリスクを抱えるし、日本は狭い国土の中の更に一部の地域に人口が集中し過ぎている。中露にまともに対抗するには、現実的ではないほど大量の核兵器と運搬手段が必要になる。別に感傷的な理由だけで核武装しない訳ではないんだ」
核兵器を持つことは割に合わないんだが、持っている国には“持たざるを得ない歴史的理由”が、それぞれあるんだ。まあ、核がジョーカーと言われる所以だな。過去何回か、米国は日本に“ほどほどの核武装”を持ち掛けてきた。だからそれ自体は想定内と言えるが、そのカードを俺に提示してきたことが目新しいと言える。
「本当かしら?」
「ああ無論、単純に“核が強力な兵器だから”持ちたがる日本人も、それなりにいる。ミズ・ハーマンがああ言ったのも、俺がその種の人間である可能性を考えたからだろうね」
「じゃあ、今日引き下がったのも?」
「別の条件を準備して、またやって来ると思う。彼女、言っていたろう。「張り子の虎でも、中露を脅すのに利用できれば良い」って」
「現実には使い物にならないトンデモ兵器だと思っているから、付け値が低いということ?」
「そうだろうな。特撮物の小道具だとしか、評価していないんじゃないか。合衆国にとっては危険な代物じゃないと」
「ねえ」とベッドの上で、ステファニィが身体を寄せてきた。蕩けそうな表情をしている。
「何だ?」
「ホントはどうなの? アレは見せかけだけの、張りぼてなの?」
「さあ、どうだろうな?」
「もう、意地悪!」
駆け引きだと分かっていても、膨れて見せた顔は中々可愛い。首の後ろに手を伸ばして、引き寄せた。頬が少し赤くて、吐息が熱い。俺にとっては、いろんな意味で火遊びだな。
「俺たちの関係がどうとか、言ってたな」
唇に軽く唇で触れる。
「そうね。結婚するなんて、どう?」
「結婚ね」
頬から首筋に、唇を滑らせる。
「そうすれば私、日本国籍を取れるわ」
ステファニィの奴、冷静だな。
「あー、日本の法律は、二重国籍を認めていないんだよ」
「あら、米国は違う。米国籍を離脱する意志があって外国へ帰化した場合は、別だけど」
「ふーん、どうするんだ?」
「あなた次第ね」
「俺はまだ、結婚する気は無いんだけどな」
「私がその気にさせてみせるわ」
そう言って彼女は唇で、俺の唇を塞いだ。おい、まだ真っ昼間なんだけど。




