◆216◆
国務省副長官のレイニィ・アリス・ハーマンという婆さんと、話をすることになってしまった。事前の打診があれば、拒絶していたところだが、今回はステファニィにはめられた。
「俺は一介のビジネスマンでしかありません」
「でも、自分の国のことはとても深く考えておられるでしょう? 大統領は、あなたのことを、かなり評価していましたよ」
サンフランシスコでランフ大統領に会った時、俺は「米国籍を取得しないか?」という彼の誘いを断ったからな。俺が日本に対し愛国心を持っているとでも考えたのだろう。
この女の性格なのだろうが、馬鹿丁寧な言葉遣いだ。ただ「大統領が評価していた」という彼女の言葉を聞いても、俺に褒められている気がしなかった。
「コーリー副大統領は何と?」
「おや、大統領ではなくて、ですか?」
「大統領に会ったのは大分前なのでね」
少し前の事だが、俺はコーリーに大統領を退陣させる手助けを求められた。それもただ辞任させるだけではない。国内の分裂を避けるため、極力穏当に身を引いて副大統領であるコーリーにその職を継承させる、そうなるように協力しろと。
ああ言ったからには、コーリーは相当程度その段階で議会や官僚組織に根回ししていたに違いない。
大統領に就任する前のダニエル・ハート・ランフには、政治家としての経験がほとんど、いや全く無かった。
そして大統領に就任してからは、ビジネスマンだった頃の感覚的手法や大衆迎合的なパーフォーマンスを外交に持ち込み、内政では自分の支持層以外への配慮を徹底的に欠く政策に走る傾向が強かった。
そのため今では与党共和党内にさえ多くの敵がおり、真面目な官僚や軍人たちからの支持を失っている。政権発足時に身近に配された側近の諌言を聞き入れず、半年も経たない内に彼らを辞任に追い込む始末だ。まあ元々ワンマン経営者だったからな。支持基盤であった与党から付けられたスタッフの存在が、煙たくなったんだろう。
ただ国民の一部からは熱狂的に支持されているため、無理矢理辞めさせた場合には米国内の対立が激化し、下手をすると内戦が勃発する可能性さえあった。
ランフに較べてコーリーは、同じく共和党右派に属するとは言え元弁護士であり、インディアナ州知事の後に下院議員を六期務めていて、政治家としての経験が長い。
ギャンブラー体質の企業家であるランフよりも、ハーマンのような官僚には受け容れやすい相手のはずだ。
「てっきりレールガン・シップを米国に引き渡せという話だと、思っていました」
「ふふん」とハーマン婆さんは鼻を鳴らし、それからニンマリと笑った。
「岡田さん、見くびらないで下さい。そんなことをしない方が良いと、我々は知っているのですよ」
言葉は丁寧だが、慇懃無礼を感じさせる態度である。自分が世界一の大国の高官だからと、内心では俺を見下しているのだろう。それと、……我々ね?
「ほう、何を知っているんです?」
だがどう考えても、したり顔で口にする内容が明後日の方向に向かっているぞ。俺は呆れ顔を見せないようにするだけで、精一杯だった。
「米国が五億ドル以上の予算を注ぎ込んだ後、どうしてレールガンの開発を打ち切ったと思います?」
米海軍は、十七年以上に渡って艦載用レールガンの開発を進めてきたが、最近このプログラムの継続を断念し、次の会計年度では該当する軍事予算の要求を取り止めていた。
「それは貴国が、レールガンは費用対効果比から考えて、実戦で使える物ではないと判断したということですよね」
「単に開発コストの問題だけではありません。必要な電力、砲身の消耗を含む機構全体の維持管理、射撃照準管制システム等々から、結局実用にならないと判断しました。十七年掛かりましたが、それが我々の検証結果です。そのうちロシアや中共も、同じ結論を下すでしょう」
そうなのか? 人民解放軍海軍の艦船に、レールガンが搭載されたっていう写真付きの報道が、数年前に中共内であったんだが、あれはガセなのだろうか?
「では何しに来たのです?」
「日本、いえあなた方は、実験的レベルのレールガン・シップを作り上げたのでしょうね。しかし我々は知っています。あれは実戦で使えない。連続して発射するために必要な砲身の交換、大容量の電力、これらの必要性からだけでもレールガンを航空機に搭載することがいかに非現実的であるか……そこから得られる結論は明らかですから」
「つまりお国が五億ドルを費やして得ることができた知見は、その巨額の金をドブに棄てたと言う事実だけ、そう言うことですか?」
皮肉交じりに放った俺の言葉にも、彼女は反応しない。それぐらいは米国の官僚にとって、顔色を変えるほどの金額ではないということなのだろう。
「ええ、でもその五億ドルは、無駄だった訳ではありません。兵器としてのレールガンが割に合わないことの、検証に必要だった。あなたのレールガン・シップは、張り子の虎です。そうでしょう? あの試射が行われた時点で我々が十分なデータを得るだけの観測を準備できていたら、もっと早くこれが大規模なコン・ゲームだという結論に達していたでしょう」
この判断を下したのは、米国内のどこかにあるシンクタンクなのだ。レールガン実用化に必要な技術的ブレークスルーを引き起こす前提となる技術蓄積を量的に見積もり、有用な期限内にパラダイム転換を期待できる確率を計算したのだろう。
「あなたは、俺が詐欺師だと言っている訳だ」
「777八機の購入費、レールガンの開発費用……そもそもレールガン自体、どの程度本物なのですか? まあ、あなたはビジネスマンだそうですから、費用対効果比を考慮して、十分割に合うと見たのでしょうね」
「割に合うって、何のことです? それに俺は、レールガンを持っているとは、一言も言ってませんよ」
「あのレールガンの試射自体が、偽物なんじゃないかという疑問を示している部門もあるのです。何しろ、日本は特撮の国ですから」
「えーと、何をおっしゃっているか、分かりかねます」
婆さんに捲し立てられて俺は引いてしまい、言葉に詰まった。やはり何か凄い誤解に基づいて非難されているようだが、俺が悪いのか、これ?
「まあ自衛隊内に協力者がいたとしても無理があるでしょうから、レールガン自体は実在するというのが我々の判断です。でも実用に供する兵器として、どのレベルなのでしょうか? そのデータは欲しい……あー、分かっています。「敵を騙すためには、まず味方から」ですか? あなた方が、データを出す訳がないですね」
この婆ちゃん、何を言っているんだ? 何か自分で勝手に納得していながら、出してくる結論は岡女史以上にぶっ飛んでいるんだけど。あと、岡女史との違いは愛嬌が無い、可愛げが無いことだな。
「777が一機約三億ドルとして八機の調達価格は二十四億ドル。改装費用も含めれば、総額で三十億ドル程度。これはちょっとした国の、年間軍事予算レベルです」
二〇二〇年の世界各国軍事予算についての統計データによると、ニュージーランドが三十億一千百万ドル(世界五十二位)、アルゼンチンが二十九億七百万ドル(世界五十三位)の軍事費を支出している。つまりこの辺りの国の国家予算並みの資金を、どうやって調達して注ぎ込んだのかと詰問しているのだ。
「何の根拠も無いことを言われても、答えられませんね」
愛嬌なんか無い方が俺としては対処しやすい。俺はフェミニストなんかじゃないし。
「米国がマネーロンダリングに対して厳しいということは、ご存じのことと思います」
攻め口を変えて来た。俺の弱味を探っているのだろう。
「財務省の金融犯罪取締部局ですか?」
「ええ、少なくとも航空機の取引はドル建てでしょう」
米ドル建ての不審な取引については、それがアメリカ国外でのものであっても、金融犯罪取締部への報告が義務付けられている。金融機関は顧客が不審な資金操作をした場合、不審行為報告書を当局に提出しなければならない。
「議会に召喚して、我が社の内部情報を曝露すると、そう俺を脅しているつもりですか?」
外国籍の企業あるいは個人であっても、米国の司法捜査の対象になれば逃れることはできない。だから素直に言うことを聞けというんだろう。
「それを気にするのは、あなた方に後ろ暗い所があるからではないですか?」
確かにこっちは後ろ暗い所だらけだな。この女が想定しているのとはかなり違うが、公に調査が入るのは避けたい。
「株式を公開している訳ではありませんが、調査対象になったと言うだけで企業イメージが損なわれ、資金調達に支障が出ますからね。後ろ暗い所など無くても、迷惑です」
「六角グループの中枢企業は、資本市場に一度も顔を出した形跡がありません。我々が問題視している点の一つが、この事実です。ここまで大きくなるのに、どうやって資金を調達したのか……あなたはこれからも、自社の支配権を手放す気は無さそうだし」
「ああ、それは技術に関する企業秘密を防衛するためです。言わずもがなですが、うちの根幹技術を他社に譲り渡す気はありません」
どん亀の秘密は、どうしたって守らざるを得ない。俺の命に関わるから。
「我が国では、あなたの遣り口は反トラスト法に抵触するのでは、という意見もあります。あなた方はトライデント社以外に対しては、スポット売りしかしていない」
「類似の製品を製造している企業は、他にもありますよ。たまたま我が社の製品が圧倒的に優れているからと言って、不当に市場を独占し、製品の取引をコントロールしているとは言えないでしょう? 政府による恣意的な介入は、市場経済に良い結果をもたらしませんよ」
「まあ、今はこの話は止めましょう。無駄な議論です。我々が評価しているのは、あなた方の戦略です」
「と言うと?」
「日本がレールガン・シップを配備するとなると、中共やロシアは、それを無視できません。先ほど私が言ったようにそれが“張り子の虎”かも知れないと疑っていても、万が一という疑念を持つ限り、東アジアに海軍力を展開する場合のリスクを考えない訳にはいかないからです」
まあそうだろうな。例えば中共は、日本周辺に空母を接近させてレールガンの標的にされるなんて危険を、冒すわけにはいかない。ロシアだって艦隊の太平洋への出口を塞がれ、身動きできなくなることを怖れるだろう。
「ですから、在日米空軍と第七艦隊は、総力を挙げてレールガン・シップを守ります。貴国の自衛隊から求められているF-35についても今後考慮しますが、当面レールガン・シップの運用について共同歩調を取るようにしましょう。でないと、護衛の任を果たせませんからね」
「はああ?」




