◆213◆
ふと気付くと、おばちゃんに色々追及されて、返す言葉が荒くなっている。まあ日頃の俺は、どん亀による付け焼き刃で取り繕っているに過ぎない凡俗だからな。こんな風に経験も能力もある相手に、懐に飛び込まれれば、防戦一方になるのも仕方ない。
「レールガンシップについてのその話、どこまで推測が混じっているんですか?」
おばちゃんが黙った。やれやれ、俺を未熟と見てのブラフか。大方おばちゃんの話には、あちらこちらからの与太話を掻き集めて構築した、虚仮威しがかなり混じっている。
だいたいレールガン・シップの戦果と言ったら、中共が日本の領空に侵入させた低速の無人機を一機撃墜しただけなのだ。米中が持つ情報だって確定したものではなく、状況証拠を元にした間接証明によるものでしかない。
「中共の軍部が、ネット上の噂程度の情報で、そうそう簡単に動くものなんですかねぇ?」
「そ、それは、ここまで話が広がっていれば、無視するわけにはいかないでしょう!」
一瞬キョドった所を見ると、中共側の動きとして彼女が喋った内容には、意図的に偏向して構築した創作(made-up tale)が入り混じっている。
「でも、それで本当に戦争にまで持ち込むことは、できないでしょう。何と言っても、そら、戦争にはお金がかかりますから」
ここ、大事ね。どこの国でも軍隊は官僚組織に支えられており、何事にも予算と決算が付きまとう。一見自由裁量を振るうことができるように見える上級司令部も、実は予算の規模が大きいというだけのことに過ぎないことが多い。
「あなたがそれを言うとはね! 777が八機で二千八百億円、それにレールガンの開発費に、機体の改装費、諸々入れて、いくら投資しているの?」
「いやあ、あの機体は中古ですよ。お役所と違って、うちは新品にこだわったりしませんし」
六角は資源の再活用を重視する企業だからね。目先の収益だけでなく、自然環境や社会システムの維持にも目を向け、長期的な視野に基づいた経営を目指しています。えっ、それは表向きのイメージ戦略だろうって? それが何か?
「米国はレールガンの開発に百億ドル近く注ぎ込んでるはずよ。それでもまだ“実戦での使用については調査研究の段階”と評価されている」
「あはは、ヴァージニア州の何とかって所で、実射実験が行われたのは何時でしたっけ? それに中共海軍はもうレールガンを、揚陸艦に搭載していると言うじゃありませんか」
「中国中央電視の報道でしょ。あれは当てにならないわ。もう四年も前のことなのに、その後の情報が無いもの」
ふーん、だったら狐と狸の化かし合いじゃあないか! そんなのに、六角グループを巻き込まないで欲しいな。
「ねぇ岡田さん。あなた何を考えているの? まさか“世界征服”とかって、どこぞの映画みたいな事、しようとしているんじゃないわよね?」
うーん、俺としてそれはないんだが……。もっとも、どん亀の意図に含まれていないとは、断言できない。いや少なくとも何かの形で、現在の世界の有り様を改変するつもりだ。今この時も人類には見えない所で、間違いなくそれを推し進めている。
俺自身知らないし、聞きたいとも思わない。しかしどん亀の正体が、異星間文明の植民開拓船団が放った探索機であり、同時に一種の惑星環境改造船でもあることを考えると、十分ありうることだ。
「もちろん経営者として、利益を上げることです」
「それは目的ではなくて、条件でしょう。意思決定における妥当性の尺度に過ぎないわ」
「おや、ドラッカーですか?」
企業の存続のためには利益が必要である。また利益は、その企業の活動が社会によって評価されているかどうかを判断する、数値的な基準ともなる。三十年以上前にドラッカーはその著作で、「利益の本質は、社会(顧客)に対してどれだけの役割を果たしているか(いけるか)の指標だ」という主張をした。
つまり利益を出している会社は、社会に貢献している「正義」の側の陣営にあるのだ。たとえ動機が「金持ちになりたい」という、私心に満ち満ちていたとしても、それが世の中の役に立つのであれば良い……というのが、彼の考えの行き着く先である。
これは福音主義的な「神の調和」の思想に基づいていると思うので、俺には必ずしも賛成できない。「儲ける」こと自体に敵意を燃やすのもどうかと思うが、効率至上主義が主導権を握る超大国に世界が右往左往させられている今の現実と、どう向き合っていけば良いのかという問題が残る。
いや凡俗の経営者としては、「企業の目的は利益ではない(キリッ!)」とか、言われてもねぇ。
俺は元来、怠惰な人間である。いかに俺がだらしないかと言うと、これだけ大変な事になっているのに、どん亀が何を考えて俺に関わっているのかの真意を、面倒臭がって聞き質したがらないことからも、分かって貰えると思う。
自分に対して、「だってそんなこと追及するの、面倒なんだもの」と、取りあえず弁解している。
しかし自尊心を保つ上でいかに不都合だろうと、とんでもない圧力の掛かっているこの蛇口を握っているのが俺だけであるという現状だけが、今俺が飛びっ切りの甘い汁を吸う立場にいる理由なのだ。
ただこの回線を俺以外の誰かに開放した場合、何が起こるかを考えれば、重責に対する余禄と言えなくもない。それこそ「我が後には氾濫来たれり(Après moi, le déluge)」で、とんでもないことが起こるのは間違いないのだ。俺自身死ぬ気はないけど、真相を知ったら、俺を謀殺しようとする人間は、間違い無く出てくるだろう。
「ねえ岡田さん、どうしたの?」
おや、考え込んでしまっていたようだ。
「いや、あなたに話すつもりはありませんね」
「煙に巻くつもりなら、甘く見ないで。あたし、しつこいから」
それは重々分かっています。そんな感想を述べようとしたところで、見計らったように桃花が姿を現す。
「ミズ・ショートから衛星通信が掛かっています」
「おや、それは? 向こうで受けるよ。岡さん、ちょっと失礼します」
俺はベッドルームへ移動することにした。まさか寝室にまで、入って来ようとはしまい。
「あれ?」
岡女史は付いて来なかったが、振り返ると桃花が後ろ手でドアを閉めるところだった。
「何なんですか、あの女?」
「おい、まさか妬いているのか?」
無駄口を叩くんじゃなかった。桃花さん、眼が怖いです。
「怒っているだけです。密航者じゃないですか!」
「だからと言ってお役人を、拘束するわけにもいかないだろう?」
桃花がズンズン進んできて、俺をベッドに押し倒す。
「ステファニィから、電話が入っているんじゃないのか?」
俺のジャケットを脱がそうとする桃花に、一応抗ってそう言う。
「今繋ぎます」
桃花はそう言って、ベッドサイドのパネルを操作した。履いていたパンプスを脱ぎ捨てながらだ。いや、色事か仕事の、どちらかに集中しろよ。
「アイ、ミギー。今、社長が出るわ」
「ハイ、英次。私よ」
パネルの位置から、声が聞こえた。
「やあ、ステファニィ」
「そこはオフィス? じゃないと思うけど?」
「ああ、ジェットの中だ」
「他に誰かいるの? 何か余所余所しい」
「いや、桃花だけだ」
まさか桃花が発情して、俺に迫っているとは言えない。まあ、振りだろうけど。
何か不満があるに違いない。その証拠に、靴を脱いでベッドに横たわっているだけで、それ以上の挑発はしてこないからな。俺はベッドの上で起き上がり、腰を下ろしている。
「何かあるの?」
「日本の役人が、ジェットに無理矢理乗り込んで来て、いろいろとな。今現在も、隣のスペースにいるよ」
「あー、じゃあ、お邪魔かしらね? こちらに着いてからの打ち合わせをと、思ったんだけど?」
「構わない。君のプランを、聞かせてくれ」
「鈴佳は?」
「大丈夫だ。一緒の機に乗っている」
「彼女の保護者は、あなたで良いのよね」
「ああ」
色々な都合を考えて、鈴佳を俺の養女にした。
年齢差は十歳もないが、俺の方が歳上だ。また少なくとも戸籍上、鈴佳は成年に達しているから、家裁の許可を得る必要もない。法律面で言えば、俺は鈴佳の後見人ではなく、そもそも彼女には管理すべき財産もない。ご記憶の方もいると思うが、俺の家にやって来た時、鈴佳はほぼ一文無しだった。
それ以来現在に至るまで、俺が彼女を扶養しているのは、単なる“好意”によるものである。「俺に何かあった時、記憶を失っている鈴佳が困窮することがないように」という理由を挙げれば、養子縁組の条件として何の問題もなかった。
俺が結婚という形を取らなかった理由も理解して貰えると思う。彼女の精神年齢は未だに中学生レベルで、肉体的には成人だとしても、そんな相手を配偶者にする気にはなれなかった。
あれ以来、鈴佳は俺にとって特別な存在ではあるが、人生の伴侶と考える相手ではなくなってしまった。酷いようだが、現実的には仕方ない。
ただしこれにはリスクも付きまとう。俺の縁者ということになれば、彼女に危険が及ぶ可能性があるからだ。その辺は、この時代の富裕層にとって、大なり小なり避けられない宿命でもある。
「じゃあ、彼女のお披露目ね」
「おい、まさか、舞踏会で踊らせるつもりじゃなかろうな?」
「あら、踊れないの?」
ステファニィのくせに、俺のことを鼻で笑うとは生意気な。
「ベッドの上でなら、お相手するがね」
「タンゴかしら?」
桃花に爪先で蹴られたので、話題を変える。
「で、結局、どうするんだ?」
「ダビッド師の礼拝に出て貰うわ」
「前にも出たろう?」
「あれは一信徒としてでしょう。今度はステージの上で、スポットライトを浴びて貰う」
「いや彼女は、キリスト教徒ではないんだが」
鈴佳を偽キリストか聖女様にでもする気だろうか? 俺には多分、その見分けはつかないと思う。
ステファニィは本来旧教徒だが、アニメ的な日本のポップカルチャーの影響を強く受けていて、少々奇矯な世界観を持っている。見方によってはそれを、厨二病と呼ぶ人間もいるだろう。そのため一見普通に見えても、何をやり出すか分からない厄介なところがあるのだ。
まあダビッド・レオナルド師は、いたって真面目な聖職者で、妻と幼い子どもたちがいる家庭持ちだ。妻は元弁護士の遣り手だが、いくら夫の成功のためとは言え、家族を危険に晒してまで、いかがわしいことに手を染めるとは思えない。
万が一ステファニィが暴走すれば、今後の俺のプランが崩れてしまいかねない。だがステファニィは、計画のキーパーソンの一人でもあるから、事前に排除してしまうわけにはいかないのである。
いささか不安だが、ここはレオナルド一家に、サーカスの綱渡り芸人が持つバランス棒の役割を期待しよう。
法曹界に身を置いていたレオナルド夫人は、法律の条文だけでなく、民衆の力とその性向について、よく知っているはずだ。民衆というものは猜疑心が強く、しばしば過去の常識に縛られ、過激な反応を示す。そして民衆の心を動かすのは、理性ではなく感情なのである。




