◆211◆
「いやー、岡さん、何であなたが、この飛行機に乗っておられるのでしょうね?」
関空を発って、ベルトを外して良いよという機長のアナウンスがあった数分後、ネイビーのスーツにヒールを履いた岡女史が、ラウンジに入ってきて俺に手を振った。ポーカーフェイスを保った俺を、褒めて欲しい。
「甲斐くんと田中くんが、あなたと一緒に行くと聞いたから、ついでに私もと思いついたのよ」
ニッコリ笑ってそう宣うが、……相手はおばちゃんだからな。言っておくが、俺は決して熟女趣味の男ではない。
「いやいや、思いついたって……。だいたい、通関とか、どうなっているんですか?」
「そりゃあ、あたしだって融通を利かせて貰おうと思えば、それなりの知り合いはいるのよ」
こう見えてもこの人、防衛省のお偉いさんだ。誰だか知らないけど気の毒に、たのまれて嫌と言えなかったんだろう。それにしても、ビジネス・ジェットの税関・出入国・検疫がユルいってのは、本当だったんだ。今まで自分が利用していて、それは重々承知のはずだった。
安全問題は、どん亀がチェックしてるという意識が、俺にはあった。さすがに爆弾なんか持ち込んではいないと思う。問題は、どん亀と俺の“安全審査基準”が、違うということだ。このおばちゃんは俺にとって、まったくもって“安全”なんかではない。
「あなたも官僚の端くれなら、常識ってものがあると思ったんだが」
「おたくの秘書さんたちが悪いのよ。いくら電話しても、来年まで予定は空いてないなんて言うから」
この人、既婚者だよな。この歳で視線を背けてもじもじして見せて、俺を納得させられるとでも、思っているのか? いやいかん、そんなこと考えること自体が、この女の策術はまっている。
「秘書室長の謝花ならサブ・ラウンジにおりますが?」
「嫌ね、そういう意味じゃないでしょ」
じゃあ、どういう意味だよ? カウチにドスンと腰を落として拗ねて見せても、ちっとも可愛くない、おばちゃんである。
「結局、何がしたいんです?」
フーッと溜め息をついて見せてから、おばちゃんはこっちに向き直った。いや、突撃されたのは俺だから。あんたに溜め息つかれる筋合いは無いと思うよ。
「777を、追加で六機買ったでしょう。米側から、戦略航空団でも作る気なのかと、問い合わせがあったわ」
「ほー、流石に耳聡いですね」
「国防情報局を馬鹿にしてるの? バレないはず、無いでしょう。だいたいあんな目立つ物、どこに置くつもり?」
「千歳のハンガーには……入り切れないですね」
六角が買ったと知って、米側が防衛省に探りを入れてきたか。まあ、いくら同盟国でも開発中の防衛装備について露骨に聞き質す訳にはいかないから、個人的な伝手をたどっての打診だろう。
「無理ー! それに露天で駐機したら、どんな空港でもスポッターが寄ってきて、ネットに写真が流出するわ。あの外見だもの」
空港などで航空機の写真を撮る人間のことを、その筋ではスポッターと呼ぶらしい。元々は航空機の機体を待機させておく場所をスポットと言うことから名付けられたもののようだ。この場合、飛行機専門のパパラッチみたいなものであろう。
「バレたら国会で取り上げられるわ。日の丸が胴体にペイントされているし」
「いやあ、国籍マークは無いと拙いと思ったんですよね。一応、目立たないように、白の縁取りとかはしていませんが」
「全然、低視認とかになってません! おまけに、機体の上に太くて長いあんな物を載せている航空機なんて、世界中どこにも無いでしょ!」
レールガン・シップの塗装は濃いグレーで、胴体側面に暗い灰緋の日の丸の国籍標識が描かれている。試用中であり正規の国有財産ではないため、必ずしも空自の技術指令書に則ってはいないが、軍用機として運用する以上、国籍を明らかにする必要があった。
なお、岡田女史が言う“あんな物”とは、レールガンの砲身及び付属装置を覆うカウリングのことで、機体の上部前方から垂直尾翼を挟んでその後ろまで伸びた、細長いシリンダー状の構造物である。一見すると機体の上に、長いストローが二本平行にくっ付いているように見える。
確かに外径は一メートルほどあるが、「太くて長い」という表現は、適さないはずだ。おばちゃん、もっとスマートな言い方は無いのかよ!
「アレって、流体力学的には、どうなの? 何でまともに飛ぶわけ?」
「何でと言われても、実際に飛んでますからね」
「こっちには、アレがマッハ〇・八以上で飛行しているって、情報が入っているのよ! でも技官が言うには、普通に離着陸していること自体が不思議だそうなんですけど、説明する気は無いの?」
「まあ、そこは操縦士の技術じゃないでしょうか?」
必要も無いのに、彼女に技術情報を渡すつもりなどありはしないが、あのシリンダー自体が推進力を持ち、飛行特性による負荷を補っている。動力源は、レールガンにもエネルギーを供給している、小型核融合炉だ。
砲身を冷却するため前から吸い込んでいる空気を、電磁加速してシリンダー尾部から噴射し、補助的な推進力を得ているのである。この推進力は、レールガンの反動を打ち消す役割も受け持っていた。
「ふーん、あくまでしらばっくれる気なのね」
推進力を使って強引に離陸させていると説明したら、今度はそのリソースは何かとか、また踏み込んで来るに違いない。おばちゃんは、相手にすればするだけ入り込んで来ようとする、厄介な存在なのだ。
「岡さんに少しでも話すと、どこまでその情報が広がるか、分かりませんから」
「やーね、ここだけの話に決まっているじゃない」
そんな言葉、信用できるかい! と、思う。口には出さないけどな。
「で、米国にはどんな御用が? 何なら、とんぼ返りで日本まで、折り返しこの機で戻っていただきますが」
「大丈夫。海外出張扱いにして貰ったから」
受け取り拒否の宅急便みたいに、送り返してやろうかと言ったんだが、ボケで返された。
「えーと、荷物とかは?」
さすがに、手回り品以上の物は持ち込めなかったはずである。
「別便で送らせたわ」
強かだ。計画的犯行だから、当然か。
「出張ですか? 何の名目で?」
「あなた、向こうの当局者と交渉するんでしょ? そのサポートをします」
いや、絶対口を差し挟んで、それを自分の成果とする気満々だろう。それともその過程で、情報を得られれば良しとするだけだろうか? いずれにしても、俺には何のメリットも無い話だ。ここは煙に巻くに限る。
「当局って、何ですか? そんな方にお会いするスケジュールは入っていませんよ」
「じゃあ、田中と甲斐は、何で一緒に来ているの?」
「たまたま米国に行かれると言うんで、お誘いしただけですが」
「私企業のプライベートジェットを利用するなんて、公務員の服務規程に違反しているわね」
自分のやってることを棚に上げて、そこを突っついてくるか。もっとも俺としては、痛くも痒くもないが。
「岡さん、あなたにそれを言う権利がありますか? あなたのしていることは、明らかな密航・密出国ですよ」
「通関手続きは済んでいる。一応」
正規の手続きで無いのは明らかだ。まあ、それは置いておこう。
「この機の機長が、あなたの搭乗を許可していません」
「搭乗に機長の許可が必要だというのは、航空法七十三条の問題ではなく、単なる運行規定でしょ。それに安全阻害行為に当たるとは言えないわ」
このおばちゃん、こういう時だけ官僚っぽいわ。重箱の隅を突くような追及には手強い。まあ、屁理屈の応酬みたいなもんだがね。
「機長には、搭乗するすべての人物が適切に記録され、正当な理由での搭乗を許可されていることを確実にする責任があります。あなたは明らかな不審人物です」
「……ねえ、もうやめない?」
「密航者は、当局に引き渡すことになっています。これを怠れば、少なくとも過怠金が課せられるんです。密航者の方は、拘留または送還です」
俺はやめたくない。つまり、あんたのペースに巻き込まれたくない。
「岡田さん、そんな人だとは思っていなかったわ」
俺はそこで、「そんなら俺のこと、どんな人間だと思っていたんだ?」と、突っ込みを入れそうになって、あわてて口を閉じた。
何のことはない。このおばちゃんは俺が、どの程度“甘い”人間か探っているだけなのだ。その証拠に、レールガン自体の性能とか現段階での製造能力のような、米政府側が最も知りたがっていることを聞いてこない。その前段階、つまりどれだけ俺の懐に入り込むことが可能かを、探り出そうとしているのである。
その強かさと日米官僚組織に関する経験値は評価すべきだが、いかんせん“米国依存信仰”が強すぎる。長く続いた“アメリカ最強”の時代が中共によって揺るがせられている現状を見てもなお、太平洋戦争後に日本の官僚に深く根付いてしまった、あの国への依存心は変わらない。それがこのおばちゃんからも感じられる。何と言っても官僚の基本は“長いものには巻かれろ”だからな。
「喉が渇いたから、そのサブ・ラウンジにいるという秘書さんに、お茶でも出して貰えないかしら? あ、もっと強い飲物でも良いわよ」
うーん、「機内サービスは有料です」と言ったら、どう返す気だ?




