◆21◆
金庫に現金二千百万円入れて、三十四枚の金貨を入れて、銀行印と通帳を入れて、実印と土地家屋の権利証を入れたら、一杯になった。
取りあえず、生活に困ることはなさそうだ。しかし金は使えば減る。いや、無くなる。
誠次叔父は企業年金を貰って、それを原資に暮らしていたようだ。毎月それなりの金額を受け取っていたので、家を建て直すのに貯蓄をほとんど使ってしまうなどということができたのだろう。
とは言え、叔父の晩年の金遣いの荒さには、何か捨て鉢な態度が感じられる。まるで無理矢理使い切ってしまおうとでも言うようだ。誠次叔父さん、あなたはそんな人間だったのだろうか?
どん亀と相談し、地下の大空間の一部(サーバールームと対角の位置になる)をパネルでいくつかに区切って、その中の居住環境を整えることにした。家具センターに行って、ベッドや寝具、絨毯や椅子や食卓、照明器具などを注文した。食器や調理器具を買い揃え、食器棚や箪笥、そしてカーテンや壁紙を選んだ。
「新生活ヲ始メルタメノ準備デスネ。ドンナ感ジデスカ?」
「単なる気分転換だよ。悪いかよ」
実は地上にある家の、家具什器類はほとんど叔父が選んで使っていた物だったから、自分で選ぶのは新鮮な体験だった。
どん亀が作ってくれた居住区画には、温度調節や換気の機能が備わっており、どんな季節でも快適に過ごせるようになっている。寝室、リビング、書斎、ダイニング・キッチン、倉庫の三LDKだ。
キッチンには四百五十リットルの国産、五ドア冷蔵庫を入れた。それから地下の倉庫区画に、大型の冷凍庫を買い入れようとしたら、どん亀から待ったがかかった。
冷却パネルなる物を使って、どん亀は『冷凍室』を作ってしまった。ペルチェ素子を利用している訳ではなさそうで、冷凍機能はすこぶる高い。幅四メートル、高さ二メートル奥行き二メートルの内部は三つの区画に細分され、氷点下十度、氷点下十五度、氷点下三十度と、それぞれ設定温度が違っていた。
自動霜取り装置まで備えている冷凍室の出来具合に感動した俺は、その隣に同じ大きさのワイン・セラーも作って貰うことにした。三区画に分かれた内部は、〇度から二十二度までの間で温度設定ができた。正面は三重構造のガラス張りで、内部が見える。ただ中のラックには、現在一本の酒瓶も入っていない、空っぽだ。
「金庫と一緒だ。そのうち一杯にしてみせるさ」
「単ニ、カッコツケテミタダケデスネ、分カッテマス」
ワイングラスに一杯ですぐ酔ってしまう俺には、猫に小判だ。でもやってみたかったんだよ! どうせ、スペース空いているんだから良いだろう。
「上ノ金庫ガ一杯ニナッタヨウデスカラ、ツイデニ金庫室モ作リマショウ」
「金庫『室』だって! いったいどれだけ入る金庫を作るつもりなんだ?」
「ドレダケ大キクトモ、直グニ一杯ニシテミセマス」
秋も深まってきた頃、俺は伸びてやっと実を付け始めたハウスのトマトや豆類を収穫していた。露天の作物はそろそろ盛りを過ぎていたが、まだ名残の実を付けている。実はこちらの方が味が濃く、俺の好みだったりするのだ。
家の敷地を囲う石垣の下、風通しのよい場所に作った差し掛け小屋に積んだほだ木からは椎茸が出てきていた。収穫の秋である。
どん亀の方は、FXで百五十万ほど稼いだ模様だが、「マダマダデス」とのこと。株については準備段階と言っていた。海外に進出している十二月決算の企業に目を付けているらしく、ネット経由でいろいろと探りを入れている。
地下の新居にある書斎の壁には、どん亀の工作室で作られた百四十インチの大型有機ELディスプレイが設置されている。解像度は何と十六K、つまり一五三六〇×八六四〇で、画素数は一三二七一〇四〇〇画素である。一億三千二百七十一万!
無論そんな画素数を表示できるグラフィック・カードは、秋葉原にも売ってはいなかった。ディスプレイと同様に、どん亀工房の製品である。
どうやら、どん亀の能力は、人間が開発した既存の技術をグレードアップしたり拡張したりすることには、抜群の力を発揮するように見える。だがオリジナリティという面ではどうなのだろうか?
地上に配置されたセンサーから、県道から家の私道の方に、一台のタクシーが登ってくると報告が上がった。画面には家の正面にあるカメラから見た画像が映し出されている。
俺は地下壕の中央部にある螺旋階段を昇り、その上の踊り場から隠し階段で寝室のウォークイン・クローゼットに出た。
寝室に出ると、そこに繋がった書斎にあるパソコンのディスプレイにも、家に近づいて来る車の姿が見える。どん亀が転送してくれているのだ。こいつは普通の二Kディスプレイだから、ダウン・コンバート処理(?)もしてるのか?
夕日に斜め横から照らされて南斜面を登ってきた車が玄関の前で止まると、ドアが開いて白いワンピースを着た若い女が降り立った。運転手がトランクから赤いキャリーケースを下ろす。
女と一言二言話すと、運転手は車に乗り込み、そのまま走り去ってしまった。
知らない女だ。
誰だ?
タクシーを返してしまったが、ここからどうやって帰るつもりだ? 最寄りの家まで車で三十分だぞ! ハイヒールで歩ける距離じゃない。いや……パンプスを履いてるか。うーん、そう言う問題じゃないって。
「いったい、何者だ? あの女!」
俺が呟くと、女の姿が画面でアップになった。残暑の日差しを避けるためだろう、鍔広の白い帽子の下にはサングラスをかけている。どう見ても怪しいな。
「何者だ? あの女?」
突然、女の画像の横に「身長一五七㎝、B七八㎝・W六五㎝・H八五㎝」と、データが表示された。いや、そういう意味じゃないから、どん亀。
女は玄関のインターホンの前に立つとサングラスを外した。予想通り、かなり若い顔だ。あんまり化粧は濃くないし、顔つきも悪くない。いや、どちらかと言うと美人だが、知らない顔だ。
インターホンのボタンに手を伸ばす女の姿を見て、俺はどうしようかと迷った。居留守を使うか? いや、馬鹿馬鹿しい。何で俺がそんなことしなきゃならない? 別に後ろ暗いことなど……あるかな? いや無い!
俺は決然として廊下に踏み出し、玄関に向かって歩き出した。ピンポーン、チャイムが鳴る。
「はい!」
アルミサッシュの引き戸をガラガラと開け、俺は顔を出す。半袖のポロシャツにジーンズ。いつもの格好だ。
ちょっと濃い眉毛、紅く塗られた唇。肩の下まで伸ばされた黒髪が揺れる。上目遣いにおずおずと俺を見る瞳にも、見覚えは無い。
「あ、あの、お父さん。……来ちゃった」
「はあっ!? お前、誰?」
ヒ、……ヒロイン? 登場?




