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中共政府は人民解放軍に関する情報公開に積極的ではなく、国防白書に類する物の刊行も不定期だ。
二〇一三年中国国務院が公表した『中国国防白書・中国の武装力の多様な運用』に示された概数によると、陸軍機動作戦部隊八十五万人、海軍二十三万五千人、空軍三十九万八千人となっている。ただしこれには、人民解放軍ロケット軍・国境警備部隊・海岸防衛部隊・軍事施設警備部隊の兵員数が含まれていないし、予備役の数も明らかにされていない。
英国に本部を置くシンクタンク国際戦略研究所が発行する軍事データベース『ザ・ミリタリー・バランス 二〇一三』は、人民解放軍の現役兵数を二百二十八万五千人、予備役数を五十一万人と推定している。この他に準軍事組織として存在する人民武装警察(約六十六万人)を含めなくとも、明らかに世界最大の常備軍だ。
これは少し古い情報である。しかし二〇一九年の|ストックホルム国際平和研究所《SIPRI》の報告でも、中国の総兵力は二百万人以上で、米軍の約百三十五万人を大きく上回っていた。
兵員数だけでなく、近年は兵器・軍事システム・戦闘様式の改革による近代化も進められ、核戦力以外の、通常戦に投入できる軍事力も強力になっている。二十世紀末から二十一世紀初頭にかけての、中東における合衆国軍の軍事的成果に、危機感を持った結果だろうな。
中華人民共和国憲法で『国家の常備軍』と規定されている人民解放軍だが、国防法に「中華人民共和国の武装力は中国共産党の領導を受ける」とあることから、実際には『党の軍隊』であると言える。
この国の内閣府に当たる国務院の国防部が、海外との軍事交流を担当しているだけで、解放軍に対する指揮権を有さないことからも、それは明らかだ。第一次・第二次の天安門事件の経緯を見ると、解放軍の指揮権は党中央軍事委員会主席、つまり現共産党総書記兼国家主席である人物の手にあることが分かる。
これは『暴力装置』である国家を運営すべき共産党が、その最大の『暴力装置』である軍を人民に代わって差配するのは当然であるという、中共建国に際しての基本的な考えに基づいている。その歴史的経緯から見て、中共は軍によって作られた国家という事ができるが、これは別に珍しいことではない。
日本の明治維新、合衆国の独立戦争等々を顧みると良い。西側先進諸国では『民主化』により、軍隊が国民の管理下に移行されている例が多いけれども、それは現在でも世界の大勢というわけではないのである。結局これは、『国家の主権がどこに在るか』という問題なのだ。
このような事情ではあるが、それでも中共における政治と軍事が完全に一体という訳では無論ない。政治には政治の都合があり、軍事には軍事の事情がある。『上 有 政策 下 有 对策(上に政策あれば下に対策あり)』とまでは言わないが、実際に前線に立って戦うのは軍人であり、党の幹部や官僚ではない。
また装備や軍事システムの近代化は進んでいるとしても、それを活用し戦うのは現場の兵士なのである。実戦経験豊富な米軍兵士の士気については、解放軍幹部もそれなりに把握していた。だが世界第五位の軍事大国と言われながら、創設以来一度も戦闘を経験していない珍しい軍隊である日本の自衛隊についての評価を下すことは、難しい。
自衛隊が日米連合の弱点となれば、今の解放軍幹部にとって、これほど喜ばしいことはないだろう。だが、日本には正面切って米英に喧嘩を売った前歴があった。しかも緒戦では、この二大国を圧倒しさえしたのである。日本人は平和ボケしていると甘く見て、火傷をしてはと躊躇うのは、理由の無いことではなかった。
「何でそんなこと知りたいんですか?」
甲斐、この酔っ払いめ! お気楽にほろ酔いの顔して、聞きやがった。
「俺がどこに何しに行くか、考えてみろ! 「自衛隊は戦えるのか?」って、聞かれるに決まっているじゃないか!」
「えっ、そこを聞きますか?」
「表っ面の外交交渉とは違うんだ。奴らが遠慮なんかしてくる訳がない」
「はあ、米側との近接戦闘になると? そういう想定なんですかぁ?」
何だよ、それは? まあ、普通こいつらが交流するのは技術職だろうから、他国の政治家や高級官僚のことを、あまり知らなくても仕方ないか。いずれにしろ、甘い予想は立てられない。
「相手にしてみればレールガン・シップのデータが欲しいだろう。交渉材料として聞いてくるさ。俺は政治関係の利害とは一歩置いているから、むこうの切り口は直截なものにならざるを得ない。つまり「自衛隊に使えない物を持たせるくらいなら、こっちへ寄越せ」ということさ」
「ええっ、そんな露骨なこと言います?」
俺は別に日本国を代表しているわけでも何でもないからな。言っても問題無かろうと思えば、そりゃあ言うだろう。俺に言質を取られたって、“外交交渉”ではないんだから、いくらでも取り返しが付くと考えるはずだ。
「いずれ中共が、「戦争になってもいいんだな?」という恫喝を掛けてくるのは、想定済みだ。その時、矢面に立つ日本がビビったんじゃ、話にならんと言うだろう」
「いや、そこは日米安保七十年の重みというか、実績というものがあるでしょう?」
「甲斐、自衛隊は実戦検証をクリアしてない。PKOとかの実績はあっても、戦闘を経験していない軍隊を信用できないと言われれば、それまでだ」
田中が諭すように言った。こいつはどこまでも冷静だな。米軍に「自衛隊は使えない」って言われても、見返すだけの自信があるんだろう。しかし、こいつも兵隊じゃなく、技術者だ。
現在の軍隊では、馬鹿に兵隊は勤まらない。歩兵(自衛隊では普通科兵)でさえ、進化した兵器無しでは、その戦闘能力に格段の差が出てしまう。兵隊たちは今、そんな高度な兵器を注意深く運用する、専門家集団であることを要求されていた。
例に挙げた陸上戦における歩兵でも、野戦、市街戦、砂漠戦、などの各作戦や、警備、パトロール、制圧などの任務によって、優先される兵器の機能には細かい違いがあるのだ。
だからと言って、技術者に兵隊の代わりが務まるわけではない。現場で命を懸けて戦う兵士がどう評価されるか、それは同じ兵士にしか分からない部分である。
「何だかだと言っても、米国では軍が信用されていますものね。建国以来、軍がクーデターを起こして政権を奪おうなんてことは、していない。だから、国民からの信頼が厚く、軍を縛る法律の必要性を訴える声も、ほとんど無い」
田中の言う通り、合衆国では軍人の社会的地位は確立している。軍隊が不必要だなんて言い出せば、正気を疑われるのが落ちである。
「それだけの実績が軍には、あの国ではあるということさ。まあ悪名高いインデアン戦争さえ、建国神話の一部で、そこで軍が果たした役割は今から見たら、どう考えても褒められたものではないけど、国家の成立という面では大きいだろう?」
つまり米国から見たら、“反軍運動”がこれだけ公に認められている国で、「兵士が国を守るために命を掛けて戦えるのか?」という点が、信じ切れないのだ。日本人にしてみれば、太平洋戦争に勝利した後で日本に進駐してきた連合軍総司令部が行った占領政策が、その原因だろうと言い返したいところだ。
“物理的な軍事力の剥奪”と“戦争放棄を謳った理想主義の平和憲法”の押しつけ、“日本軍の非道報道の反復”による“日本国民の贖罪意識増幅”や“事後法に基づく極東国際軍事裁判”等々、WGIP(War Guilt Information Program)という日本人全体への洗脳作戦の成果は大きかった。
それは立案者の一部に共産主義(ソ連スターリン主義?)の影響下にある人間がいたことが後に明らかになり、米側があわてて修正を図ろうとしても取り返しがつかなかったほど、深刻なものだったのである。また二十世紀の末に、日本が“ある意味で最も成功した社会主義国家”という、奇妙な評価を得た遠因の一つでもあった。
日本人と規定されるこの人間集団がたどった千年にも渡る歴史的経過にも、その原因があったことは否定できない。だが、“愛国”が危険思想だという教条まで教育に持ち込んだのは、彼らの大きな失敗であった。
社会学的には、国家は“人間が作為的に形成した集団(Gesellschaft)”とされているが、その発生には地縁(地理的状況)・血縁(民族的状況)・精神的連帯(言語等の歴史的状況)などの要因が大きい。つまりその構成員の先達により“自然的に形成された集団(Gemeinschaft)”でもあるのだ。
国家の意味のある存続には、両側面のバランスを取った共存が必要なのである。ところが進駐軍による政策は、都市中心の利益追求型であるゲゼルシャフト(契約社会)的側面を強化推進し、結果として“現代日本の一般人”から、祖国の概念を奪ってしまったのだ。
「彼ら移民の裔であり、愛国者であることを誇りとしなければ結束することが難しかった父祖を持つ人間にしてみれば、日本のように長い歴史によって帰属意識を自然に形成しようとする“民族”というやつは、理不尽以外の何物でもなかったのかもしれない」
「えっ、社長、何言ってんですか? 意味不明なんですけど?」
ワイングラスの上で最後の一滴を期待して、空のボトルを逆さまにしている甲斐が、ちょっと呂律の怪しい口ぶりで、そう言った。
うん? 心の声が漏れたらしい。かなり前から気付いていたことなのだが、俺は時々、無意識のうちに誰か(まず間違い無く、どん亀だ)と対話しているようなのだ。
それが本当のどん亀なのか、それとも俺が自分の中に仮想的に創り出した想像上の“どん亀擬き”なのかは、俺には分からない。後者だとしたら、それは俺の抱えるいろいろな問題を解決するのに、必要なことなのだろう。
気を付けなければならないのは、前者の場合だ。それは“俺がどん亀にとって必要なのか?”という、俺に付きまとって離れない疑問へと繋がっている。まあ、そんなこと考えても、どうしようもないことだが。
今考えるべきなのは……。
「これから日本は、どうするべきかということだよ」
「そりゃあ、アメさんに付いて行くしか、ないっしょ。他に路があります?」
中国には、「日本人と話すと共産主義が伝染る」というブラックジョークがあるそうです。
米国では、1920年代末の大不況から「アメリカの資本主義はもう駄目だ」という悲観論に陥り、共産主義(ソ連の社会主義?)に傾倒する知識人が、数多く産まれました。これが太平洋戦争中の対ソ連支援政策、戦後のGHQによる奇妙な日本統治、核技術のソ連への漏洩、等々、当時の合衆国にとって不利益な結果を産み出したことは明らかです。この反動が、1950年代のマッカーシズム(米国内反共産主義運動)へ繋がります。
ただ日本も格差社会へと様変わりし、新資本主義社会とかへと変貌したのは、パンピーにとって不幸としか言いようがありません。
2021.12.06. 野乃




