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「中共が台湾海峡を渡れば、次は南西諸島だろう?」
「そりゃ、まあ」
北京の人民大会堂で開催された辛亥革命後百十周年を記念する式典で、中共の国家主席が『台湾同胞を含む中華民族の完全な統一』というスローガンを、再び主張した。台湾併合は、次の党大会で慣例を破り党総書記三期目入りを実現し、政権の長期化を目指す彼の、表看板である。
南西諸島の西端にある与那国島から台湾島までの距離は、百十キロメートル程だ。台湾海峡の最狭部は約百三十キロメートルだから、台湾本島と中国本土との間より、近いのである。
もっとも、中京南東部の福建省厦門市の沖合約十キロメートルには、金門島という台湾側が実効支配している島があり、そこには台湾(中華民国)軍の砲台があった。この金門と福建の間では一九七九年まで海を挟んで、定期的に砲撃戦が交わされていたのである。
しかし現在では、この金門島の住民に水を供給する水道が、中共側から海底送水管(開通したのは二〇一八年八月)によって供給されているという。
こういう特異点を無視すると、次に近いのはフィリピンのバタン諸島マウディス島(別名ヤミ島)だが、ここには人が住んでいない。
人が住める大きさの島としては、フィリピンのイトバヤット島がある。ここから台湾島の南端までは約百六十キロメートルだ。また台湾の南東沖には、中華民国政府が実効支配する蘭嶼という有人島があって、ここならイトバヤット島との間は約百四十五キロメートルである。
ただ沖縄と違って、フィリピンには現在米軍基地も自衛隊の基地も無い。フィリピンの軍事力ランキングは世界四十八位、第三位の中共と勝負にならないのは、どう考えても明らかだ。それに比べ、世界第一位の米軍と第五位の自衛隊が束になって控えているのが、南西諸島方面なのである。
あれだけ声高に台湾統一を叫び、軍事に予算を注ぎ込んで侵攻の準備を進めているにもかかわらず、中共が侵攻に踏み切れないでいる理由がそれだ。これに対し余程のことがない限り、フィリピンが台湾防衛のため軍事力を動かすことなど、あり得ない。
「だから南西諸島だろう?」
「中共だって、日本と全面戦争をする気は、取りあえず無いでしょう。でも日本を足止めし米軍が関わって来るのを邪魔するため、南西諸島から九州へ、何か仕掛けて来るのは間違いない。それが統幕の見解です」
いや田中、俺の聞きたいのは、一般隊員がそれをどう考えているかなんだけど……ぶっちゃけ、戦意はあるかということだ。
「従来であれば、フィリピン海と東シナ海及び南シナ海に跨がる広大な海域に艦船を派遣するには、移動して目標海域に到着するまでに時間がかかりました。空中給油機を利用したとしても、攻撃機による制空には、パイロットの疲労による時間的限界があります」
米軍が空母を派遣しても、中共は陸上基地からの迎撃で対抗できるよう、空軍力を向上させている。その辺は、田中の言う通りだ。
「しかしレールガン・シップには、交代要員を乗せ休息を取らせるだけの余剰空間が十分あります。空中給油を利用すれば、数日間滞空することさえできるでしょう?」
無理して数日間も飛ばし続けたら、その後のメンテナンスが大変だぞ。最終戦争でも起こらなければ、そんなことするものか。乗員のことも考えれば、最大でも三十二時間が限界だな。やはり増機が、必要か。
「マッハ〇・八以上の巡航速度で移動し、百海里(約百八十五キロメートル)以上の距離から極超音速の飽和攻撃を放ってくる。中共にとっては、まさに悪夢と言える存在ですからね」
そこで甲斐が身体を起こし、俺の方に向かって言う。ワイングラスは、空だ。
「敵対するどの国の軍隊にとっても、悪夢ですよ。知ってますか? 空自の連中は、アレを“空中戦艦”って呼んでいるんです。でも社長、中共はいざとなった時、アレを全力で潰してきますよ」
まあ、元はただの旅客機だからな。単機での防衛力と言ったら、せいぜい赤外線対抗手段を搭載しているぐらいだ。空自は、運用時に戦闘機を空中配備して護衛するプランを立てている。しかし「離着陸時を狙われたら、一発撃墜じゃないか」等という懸案は絶えない。
「9K38とかHN6を持ち込まなくても、改造ドローンを特攻させるだけで、運行の妨害ができるからな」
空港周辺に民間人の出入りが激しい日本では、潜入して不正規戦闘を行う特殊部隊や破壊活動に走る反体制側テロリストにとって、格好の標的だ。
「我々も、無人パトロール機による基地周辺の警備システムを開発しているんですが、日本は犯罪者やテロリストにも人権を認めていますから、どうにもやりにくくて……」
甲斐、お前そんなことを研究してたのか! これは利用できるかも知れない。
実はレールガン・シップの出撃拠点となる予定の、航空自衛隊千歳基地や那覇空港の周辺は、ステルス短艇が高空から監視し、警備している。敵対的な侵入者は、昆虫ボットたちが無力化し、排除することになっていた。だがその一部を、甲斐が開発中だという無人警備システムに移譲できれば、色々と都合が良い。
「へぇー。どうだ甲斐、それって資金援助が必要か? 何なら、六角グループとの共同開発にしないか?」
ボットたちによる警備は表沙汰にできないが、自衛隊が独自に開発した警備システムがあるということになれば、そいつを隠蔽に利用することができる。どん亀になら、誰にも知られずにシステム全体を乗っ取ることも、簡単にできるはずだ。
「いやー、自分はまだ、退官する考えはありませんよ。下手なことをすると監察が怖いですしね。共同開発なら、内局か長官にでも、話を持って行かれたらどうです?」
「うーん、……まあその内な」
こりゃ、上田議員を使って防衛装備庁長官の斉藤のところへ持ち込ませた方が、上手くいく案件かも知れない。こういう裏と表を直接繋ぐ手続きを、俺に代わってやってくれる人材が欲しいな。
桃花とか君嶋は、建前上は表の部分しか知らないことになっているから、裏の意図を十分説明することができない。それはどん亀という本体の秘密を守るために必要なことなのだが、逆に裏の仕事の重荷が、すべて俺の上にのし掛かってくるということでもあった。
前にどん亀に作らせた亀甲博士(六角康平)というキャラの、人造人間がある。しかしあれは、奇矯すぎてこの目的に使うのは無理だろう。どん亀の人間理解が不十分なまま、実験的に作らせた人格の違和感を誤魔化すため、あえて極端な人物像を持たせたこともあり、使い回しの利く代物とはとても言えない。
つまり俺が欲しいのは、完全に人間として通用する人格を持ちながら、俺に忠実に仕事をしてくれる人間型ボットだ。
これが偽装空母の操船や運用といった、限られた環境での特定の仕事に従事するだけなら、現時点でも実現している。すでにハーネスを装着した空自のF-35AやF-15Jが北太平洋上で、偽装空母への離着艦訓練を行っているのだ。
同訓練に参加しているパイロットは、すべてギアスで条件付けられた現役の自衛官である。
また偽装空母の艦長と航海員、飛行計画管理員及び各種整備・工作員、武器弾薬員、運用員、燃料員、補給・給養・衛生・生活環境管理等は、退役した自衛官を含む民間人で、すべて人間だが、やはりギアスによる条件付けを受けていた。
これに対して、各種探知装置・通信リンクを活用し情報・戦術活動を担当する船務員、核融合炉と電動推進機の運転管理を行う機関員等、特定秘密に関わる要員は、 外見は人間であるが中身はボットで占められている。
ただしこれで問題が起こらないのは、ボットたちに接している人間がすべてギアスの拘束下にあり、違和感を抱かないよう意識の方向付けを受けているからである。彼らはボットたちに対し、「付き合いの悪い連中だが、任務に忠実で有能だから特に問題は無い」と感じ、非番で上陸している間は思い出しもしない。
だが今必要なのは、社会性のあるパーソナリティを持ち、意欲的に他人と話し合って交渉し、組織の中でそれなりの地位を占めるだけの能力を持つ相手を説得できる、そんな存在である。はっきり言って、俺よりかなり有能でなくてはならない。
俺はどん亀の持つ人知を超えた能力と知識を、独占的に利用でき、しかも世界にはその事実を知られていないことで、大きなアドバンテージを持ち続けている。だがその内実は、平凡な意思と能力しか持たない、弱い人間なのだ。
だから今、俺は押し潰されそうになっている。自分のやりたいことを、野放図に実現させようと暴走した結果だ。その内破滅するんじゃないかと、時々思う。
だが俺は諦めが悪い。どん亀に相談して、何とかアシストして貰おう。
ただしこれは一時保留。今の優先事項は、俺が渡米している間、俺の悪巧みが空中分解してしまわないよう、日本が持ちこたえられるかだ。
内閣と外務省も勿論だが、防衛面で弱腰になっては、中共につけ込まれる。そして人民解放軍が一番注視しているのが、実は前線に立つ自衛官の士気なのである。




