◆201◆
大城由唯は謝花桃花が沖縄のリゾートでスタッフを務めていた時の後輩で、彼女の引きで六角がリクルートした人材だ。専門学校の後輩でもある関係で、かなり深い親交がある。
だから同じ職場で働く桃花が大城の様子がおかしいと見て取って問い詰め、俺の所へやって来るのは時間の問題だった。
「由唯に何をやらせているんです!」
やれやれ、随分と怒っているな。
「中共方面への情報操作だ」
「何であの娘にやらせるんです?」
「上海に窓口がある、知人がいると売り込んできたのは、大城からだぞ」
「それだって、こんなことになると分かっていたら、やらなかったはずです」
「リスク無しで、リターンが得られると思っていたとでも? 相手だって、重々承知の上のはずだ。大城が分かっていなかったとしたら、相手とのコミュニケーション不足だろう」
桃花は一度黙った。筋から言うと、俺の言う通りだからだ。目付きを見ると、作戦を変えて、情に訴えることにしたようである。
「専門学校に入った頃、由唯は泥酔した米兵にレイプされかけたんです」
「されかけた?」
「そっちの方は未遂だったんですが、その男が腹を立てて、あの娘に酷い暴力を振るったんです。あたしたちが止めに入らなければ、殺されていたかもしれません」
性的暴行は女性が抵抗すると、最終段階に到達する前に失敗するケースが、特に犯人が酔ってあせっていたりすると、間々ある。だが、それで被害者にとって幾分かマシかというと、そうとは限らない。そういう場合、上手くいかなかったのは女性が抵抗したせいだとして、男が被害者を攻撃することもまた珍しくないのだ。
理不尽だが、昔からあることだ。また米兵による暴行事件も、沖縄ではいまだに絶えない。
そういう奴は、暴行に失敗したことが、自分が“強い男”であることを証明することの失敗に繋がると怖れる。
そいつらの心に根付いているのは、自分は武器をふるう軍人だから、あるいは米国人だから、あるいは“男”だから、(沖縄という)占領地の女に対し優位であって当然だという、馬鹿な思い込みだ。
普段は押し隠していても、夜の盛り場でアルコールにより理性が麻痺すれば、歯止めが外れてしまう。そう、一応彼らも文明人ということになっているので、普段は隠しているのである。
「相手の男の方は、結局二・三日営倉に入って、その後本国に送還。由唯は怪我して、何の補償も無く丸損。怪我は治ったけど、痛い思いをした心の傷は癒えない。だから由唯は、合衆国や“男”を、受け容れられないの」
うちの職場は、一番上が君嶋と桃花ということもある上、若い女性の比率が大きいので、男嫌い女嫌いでも不都合は起こらない。逆に誰と誰が付き合おうと、仕事に支障ない限り問題にもしない。
世間からは公私混同と言われるかもしれないが、トップの桃花と俺がアレなことは、社内では公然の秘密だ。華子(千葉姉妹の妹の方)なんか、高校生のバイト時代から、「社長の第三夫人に立候補する」と、桃花をからかっていたほどだ。
「王佳麗のことを、真剣に心配しているのよ」
大城がその王とかいう女と、真剣な恋愛をしていても、それ自体は許容範囲内である。ただしビジネスに支障が出ない限りという、条件付きだ。そして大城由唯も、それは承知している。ただ、桃花が求めているのはそういうことではないだろう。
「助けろ、と言うのか?」
「ええ、由唯には言えないけど、あたしには言える」
つまり六角でリスクを背負い込めということだ。
「何でそこまで、大城に入れ込む?」
「まあ、あたしにも、色々あったのよ。聞きたい?」
「いや」
俺は首を振った。桃花と俺が現在の仲になった時、彼女は昔の男について俺に話そうとした。だが俺は「俺に必要なのは、今の桃花だ」と言って、聞くのを拒否した。実は面倒だったからだ。だから今更である。
ただ俺が聞かなくても、どん亀は調査した。桃花のポストと、プライベートでの俺との関係から、リスク管理上必要だと判断したのだろう。ところで桃花の口調が、途中から砕けたものに変わっている。ここはちゃんと話を聞いておいた方が良さそうだ。
「どうせあなたの使っている“調査会社”が調べているんでしょうから、この際話しておくわね。あたしの“事実”と、そちらの調査結果に食い違いがあるとしたら、“誤解”は避けたいから」
桃花が部屋の隅から背の高いスツールを持ってきて、俺の執務机の前に置いて腰掛ける。今日は銀蒼生地の膝丈スカートとブラウス、それに黒とチャコールグレーのチェック柄のジャケットを纏っていた。足を組んで、ストッキングの膝を見せて座る。
「専門学校に入ってから、あたし海兵隊の少佐と付き合っていたの。バイト先で知り合った相手だけど、英会話を練習するのにもいいと思って」
「少佐?」
「既婚者だったけど、奥さんは沖縄に馴染めなくて、子どもを連れて本国に戻っていたわ」
「いくつだ?」
「四十代ね。けっこう裕福な家の出で、気前が良かった。軍人で鍛えていて、格好も悪くなかったし」
「ハンサムだったのか?」
よせば良いのに、ちょっと妬けてきた俺は、思わず聞いてしまった。
「まあね。そこそこ上流階級の出で、知的な話もできた。付き合ったことで、勉強にはなったわ。もっとも頭の天辺は、少し薄くなっていたけど」
「ふーん。初めての相手が、その?」
「まさか! そうなら、そんな安売りしなかったわよ」
「ほぉ」
どういう値付けだろう?
「だいたい、そいつ本土には、あたしより一つ歳上の娘がいたのよ。お小遣い稼ぎに、決まっているでしょ!」
なんと、良い塩梅に、クズな将校様だった。情報的にはどん亀から伝えられて知っていたが、桃花の感想(?)が聞けたのは、まあ良かった(のか?)
「一年くらい付き合った後、あたしと同じ店で働いていた由唯が暴行された。まだ慣れていなくて、不用心だったのも確かにあったわ。だからって、許されることじゃないでしょ!」
「ああ」
怒って当然だ。
「あたし彼に掛け合った。処罰することができないなら、せめて金銭で賠償させろって。でも、「あの男には、そんな財力は無い」の一点張りよ。そのうち犯人は、本土に送還された」
前から桃花が米国に好意的でないとは思っていたが、身近な人間がそういう体験をしているなら、無理も無いと思う。
「相手には幻滅したけど、関係は続けた。お金の面では“美味しかった”から。でも、由唯に対しては、申し訳ない気が付きまとって、離れなかった」
「負い目ってやつか」
米兵に乱暴された後輩は、米軍の将校から甘い汁を得ている自分を、どう見るだろうかってことだろう。でも、今更それをもちだされてもなぁ。
「うーん、どうかな? 元々由唯は、あたしに懐いていたの。ほら、女子高生同士の恋愛感情とか、あるじゃない? あたしの働いていた店のバイトを紹介したのも、そんな関係だし」
どういう関係だ? 「お姉さまー」とか、言うやつか?
「退院した後も、ひとりで夜寝ているとパニックを起こすって言うんで、あたしが由唯と一緒に寝ていたりしたのよ」
大城は元々、誰かに依存したがる性格だったのかも知れない。しかしまあ、暴力犯罪の被害者ということを考えると、何かに“怯える”ことに不自然な点は無いだろう。
「でまあ、いろいろあって、由唯とはそういう関係だったのよ」
どう考えても、「肉体関係があった」って意味だよな。それらしい所はあったけど、桃花お前、バイということでいいのか? ステファニィとは?? いや考えるのは、やめよう。
「つまり桃花は、王佳麗と、間接的に関係がある、と」
「まあね、全くの他人とは思えない」
「だいたいその、その彼女とは面識はあるのか?」
「由唯のスマホで画像は見せられたけど、会ったことはないわ」
「それで信用できる相手だと言えるのか? 対中共戦略の根本を、覆しかねないんだぞ」
王佳麗が、色仕掛けを仕掛けるつもりで、大城に接近したということも、十分考えられるわけだ。何かの切っ掛けで、男より女が好きと知られれば、ありえないことではない。
「そいつは、どういう奴なんだ?」
「由唯が何とか手助けしたいと言っても、迷惑掛けたくないからと、拒否されたそうよ」
大城より歳下のようだが、その状況でそう言えるとしたら、男前な性格の娘である。まあ、中華社会でバリバリ仕事のできる女は、男以上に男らしいと言われるが。
ひょっとしてこれは、心理戦のキャリアを積んだスタッフの指示による、高レベルの人心掌握術というやつなのだろうか? それとも天性のものなのか? 謀略戦に長けた中共相手だと、どうしても裏を勘ぐりたくなる。
大城には、桃花のような強かな人間に惹かれる傾向が見られる。そこには多分、暴行された事によって一度崩壊しかけた自分というものを、桃花に支えて貰うことによって取り戻した、心の原風景がバックグラウンドとしてあるのだろう。
ただ桃花に誘われ六角に入社してきた時点で、「これではいけない」と思い直し、人生の立て直しを図ったのだと思う。しかし俺の勧めがあったにしろ、彼女が学ぼうとしたのが中華の言葉であり、キャリアとして華僑系列へのアプローチを選んだ背景には、欧米人への無意識の反発があるに違いない。
そこで自分より歳下の相手に出会い、今度は自分が庇う側に廻りたいという願望を持ったことは理解できる。しかしなあ、相手のことを本当に読み切ってのことなら構わないが、真実がどうであれ、経験不足による甘さは否定できない。
「桃花としては、その女が中共体制の犬であろうとなかろうと、構わないということか?」
「どっちにしろ由唯にとって、良い勉強になると思う」
「おいおい、リスクに曝すのは、うちの会社だけでなく、日本もなんだぞ」
ニヤッと笑った桃花に、俺はそう言って釘を刺した。
「どうせ、どっちに転んでも良いように、もう手は打ってあるんでしょう。それどころか、彼女たちを利用する気満々じゃないの」
あれ、怒っているんじゃなかったのか? いや、俺と話していて裏を読み、妥協点を見つけて、俺を誘導しているのか。うん。
スツールから降り立って、ジャケットを脱いだ。誘惑されるのは大歓迎だが、今は拙いかな? 彼女が最初、膝頭を見せて座った時から、そのつもりだったんだろう。
「桃花」
「何?」
「お前が昔付き合っていたという、その少佐だがな」
「?」
「ちょっと前に事故で死んだらしいぞ」
「……。そう」
桃花はそれを聞いても、眉一つ動かさなかった。




