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日本の政界は相変わらずだ。つまり“井の中の蛙”、国内のことしか眼中に無い奴ばかりである。それで今のところ何とかなっているから、変わりようがないのだろう。
日本は海で囲まれ、外の勢力から守られてきた。だがグローバル何とかの時代になり、近辺には貪欲で厄介な国がひしめいている。そういう国々から見れば、日本は小金は持っているがお人好しで間の抜けたオッサンおばはんが、ボーッとして暮らしている島国としか見えまい。
つまり食い物にして何の問題も無い、手頃な獲物なのだ。しかもその自覚が無いから、先が見えていない。これで小金を貯め込んでいなければ相手にもされなかっただろうが、周囲から見ればそれなりに裕福で歴史もある。
太平洋戦争では酷く打ちのめされどん底まで墜ちた。しかし、たまたま合衆国が世界の覇権を目指した過程に上手く相乗りできたせいで、一時は世界第二の経済規模にまで膨れあがった。まあ周辺の国々にとって日本は、手頃に肥え太った家禽のようなものだ。
無論多くの政治家・官僚・軍人・学者そして在野の人材の中には、この国の現状を憂える者もいる。だが世に言う“国民の選良”の実像を見れば、それを産み出した母体がどんな人間の集まりであるのかも明らかだ。つまり「蛙の王の臣民はやはり蛙」なのである。
「GDPの規模を比較すれば、中共は日本の三倍、米国に至っては四倍以上ですからね。真っ向勝負で勝てるわけがありません」
君嶋も四十代半ば、独りで都内のタワマンで暮らしている。別に離婚したわけではないが、家族は西東京市に建てた一戸建てに済んでいて、ある種の単身赴任状態だ。
「中共は中共で、「合衆国と争う気は無い」って、宣言しているがな」
「「それは太平洋を渡って攻めていくつもりは無い」ってだけのことでしょ。現に辛亥革命百十周年記念大会の演説でも、「(中共の)周辺国が我々の支配に服するのは当然」と、国家主席が言っています」
「それでも極超音速滑空ミサイルのことを「あれは単なる宇宙実験機だ」とか、報道官に弁明させているじゃないか。まあ、軍事パレードであれだけ派手に並べて行進させて見せたら、世界中の誰も信じないけどね」
「軍には軍の言い分がありますけど、中共みんなが戦争をしたいわけじゃないんです」
手にしたコーヒーカップの中を見つめている大城由唯には、上海の財界に“お友達”がいる。中南海が党主席の意向に従い、経済発展重視から国威発揚に向けて大きく舵を切った現状を、肯定している者ばかりではないと言いたいのだろう。
「何か言って来たのか?」
「やりづらいけど、周りが上を見て一斉に動いているから仕方ない。“上有政策、下有对策”だと」
「“臥薪嘗胆”ってやつか?」(ちょっと、意味が違うかもしれない)
「あっちの“ガラスの天井”は、硬いですからね。女は身を屈めて、困難が行き過ぎるのを待つしかありません。「あと数年だ」と言っていました」
「台湾侵攻が終われば、事態が良い方に変わると見てるのか。そう上手くいくかな」
あの国では「女性は天の半分を支える」と言って平等を唱えているが、儒教文化の影響は色濃い。LGBTは隠さなければならない“性癖”とされている。最近も“軟弱な風潮”に対する締め付けは厳しく、当局による男性アイドルの化粧や女性的な衣装への摘発がニュースとなっていた。
「何と言ってやれば良いんでしょうか?」
大城がそう尋ねる。目の下にクマが見えるのは、友人を心配しているのか、自分の担当地域の厄介ごとのせいなのか。まあここの所、中共とはもめ事続きだからな。
「空自が硫黄島の滑走路を、西側に五百メートルほど延ばそうとしている。それから、格納庫を建設するため無蓋のバンカーを建設している」
「それだけですか?」
六角グループは、中共と直接取引をしていない。だが、一部の製品が水面下であっちに流れるのは避けられなかった。ただ野放図にご禁制の品物が中共の手に渡るとなると、うちの立場が悪くなる。下手をすると経産省の調査が入り、うちの内部情報がマスコミに流れる危険性さえ考えられた。
そこをコントロールしているのが大城の分掌である。当然、間に何段階もの海外事業者を挟み、製品の流れが追跡され難いようにしてあった。で実は、一番危険なのがエンドユーザーであるはずの中共だったりする。下手を打つと、流出の事実を曝露すると脅す材料に使われかねないのだ。
大城は、向こうの窓口となる“お友達”を通して日本の“機密情報”を漏洩することで、このルートを“切るには惜しい”と評価させ、当局から守ろうとしていた。元より危険な綱渡りである。
実のところ、この“窓口”は俺のコントロール下にある。大城を通して与えるのは“嘘ではないが、こちらにとって都合の良い情報”だ。大城の顔色が悪いのも、自分が“お友達”を裏切っているという葛藤と、相手を信じ切れていない疑心のためだろう。
「北海道の千歳基地にも格納庫が作られる。政府専用機用と同規模だが、新千歳ではなく空自の千歳基地内にだ」
「機材整備を日本貨物航空に委託しない“何か”ということですか?」
「できないんだ。政府専用機と違って、純粋なる軍用機、いや攻撃機だからな」
「攻撃機?」
「実際には、ボーイング777-300ERベースの実験機だ」
「実験機ですか? 三機目の政府専用機というわけではないんですよね?」
要人輸送機は本来、三機以上の体制で運用されるのが望ましいとされている。一機が故障した場合、使用できるのが一機になってしまい、予備機がなくなることが危機管理上問題だからだ。しかし予算の面から日本の政府専用機は、導入時より現在に至るまで二機体制のままである。
「彼女には、「ミサイル迎撃用の何かを実験するらしい」と言っておけ。今回はここまでだ」
俺は何か言いたげな大城に、そう言って口を閉じさせ、背中を向けた。政府や政治家ルートではなく、財界ルートの情報としては、これで十分なはずである。
六角グループが防衛省のプロジェクトと関わっていることは、中共側も既に承知しているはずだ。彼らとしては今のところ、大城との個人的な遣り取りを通じて得られる情報を、すくい取っているつもりだろう。
ヒューミントの常道から考えれば、今後大城と“お友達”との関係の深さを見極めた後で、圧力をかけてくるに違いない。
「まだ若いんですから、あんまり虐めないでやって下さい」
ドアの向こうに大城が姿を消した後、君嶋がそう言った。
「仏心は似合わないぞ。今更いい人ぶる気か?」
事前に打ち合わせてあった通りなのだから、君嶋に責められる筋合いはない。フォローする気なら、後で彼女に声を掛けるぐらいは自由だが、ここで俺に言うな。俺は不機嫌な目で奴をにらんだ。
「いやー、自分でも甘いのは分かっていますが、こればっかりはね」
「色恋の路と仕事とを割り切れない奴は、うちで仕事はできない。かえって彼女自身を、危険に晒すことになるからな」
「まあ、それはそうなんですけどね」
こいつは相変わらずだ。家族と別居しているのも、面倒なことに巻き込まないためだろう。西東京の一戸建ては、系列の警備会社が二十四時間監視しているし、彼の家族の近辺にも護衛が配置されているんだ。
「実験機にレールガンが搭載されることを、中共はいつ探り出しますかね?」
「さー? 米軍も、まだ知らないことだからな」
「まるで焦らしプレイですね」
「古から続く芸というやつさ」
ミサイル迎撃用のレールガンを、中古市場で入手した777-300ERに搭載し、“実験機”という契約で、自衛隊にレンタルすることにした。
自衛隊に提供するレールガンは、どん亀の短艇に搭載しているものの劣化版である。実は、米海軍が実用化しようとしたそれに比較しても、いろいろと問題を抱えていた。
一番の障害は777が短艇と違い、ジェットエンジンで空を飛んでいるということだった。レールガンは質量投射兵器であり、作用反作用の法則に従い、弾体を発射する際には逆方向の運動量を受けるのだ。
例えば米海軍がこいつの搭載を計画したズムウォルト級ミサイル駆逐艦は、満排水量が一万五千トン近くあり、しかも海水という比重の大きい媒体に接している。ところが777-300ERは最大離陸重量が三百五十二トンほどで、しかも高空のかなり低圧の空気と触れているだけだ。
知っての通り運動量は質量と速度の積である。つまり超高速で打ち出されるレールガンの弾体が、重ければ重いほど(あるいは数が多ければ多いほど)大きな反作用(一般の銃砲では反動と呼ばれる)が生じる。
これの何が問題かというと、発射時に照準が狂う大きな原因になるということだ。可動操縦翼面を持つ弾体(長さ1メートル弱、重量15キログラム程度で、単価は3万ドル近くになる)を用いても、大きな誤差の修正は難しい。打ち放し用の小型弾体(長さ30センチ、重量2キログラム弱)の連続発射による迎撃ではなおさらである。
この問題の解決にはまず、推進力の微妙な調整が必要なのだが、人類の技術で作られたジェットエンジンでは対応が困難だった。
こう考えると、そもそも何故レールガンを航空機に搭載するのかという疑問が生まれてくる。自衛隊に対しては、弾体への空気抵抗を極力避けるため、あるいは砲台を高速で移動させるため、更に必要な射線を確保するため、等の説明を提示してあった。これらは嘘ではない。
だが本当は、このレールガン搭載航空機という存在が、世界に与えるだろう影響を確かめてみたいというのが、俺の本音だった。




