◆195◆
大統領夫人のメロディから、ステファニィと付き合えと言われた。いくら何でも今、それはない。
「別に、直ぐ結婚しろとか、婚姻契約を準備しろとか、そこまでは言わない。あなたぐらいの資産の持ち主なら、その辺のいろんな問題を整理するのは、簡単なことではないのは理解できる。でも、お互い嫌いなわけじゃあないのでしょう。一歩進めて、一緒に暮らしてみれば?」
言っていることの意味が分からない。こいつ、遣り手婆さんなの? それとも近所の世話好きのおばちゃん?
「前提として言わせて貰えば、俺にはパートナーがいます」
「知ってるわ、桃花でしょう」
サンフランシスコで大統領夫妻と会った時、俺は二人に桃花を“パートナー”として紹介したよな。再確認する必要が、あるのか?
「そうです。プライベートだけでなく、仕事上のパートナーでもある」
「些細なことよ。何より、彼女は日本にいる。この国には今いない」
ステファニィは桃花とも、個人的に親しい。女友達として、ある意味俺以上に親密だと言ってよいはずだ。いったい俺と桃花との関係を、どう説明したんだ?
「だからなおさら、俺は彼女の誤解を招くようなことはしたくありません」
「あなたが個人的な関係を切っても、彼女は今の仕事上の立場を棄てられる? そんなこと、あり得ないでしょう! あなたも彼女も大人だし、結婚しているわけでもない」
ステファニィから何をどう聞いたか知らないが、桃花にとって今の地位が非常に重要であり、簡単に諦められるものではないことは確かだ。逆に俺にとっても、公私両面で、彼女は大事な存在だ。
「今のところ俺は、誰とも結婚するつもりはありません。そういう意味で俺は、ステファニィと“交際するのにふさわしい男”とは、言えないでしょう?」
アレン爺さんにも釘を刺されたが、ステファニィにとってのパートナーとは、結局結婚の相手ということだからな。
「そうねぇ。でも、私が今の夫と出会った時だって、彼はすでに妻帯者だったのよ」
ステファニィの一家は熱心なカトリック信者だが、そう言えばこの女も同じだった。ただ彼女の、信仰に基づく結婚観とかはどうだろう? 同じキリスト教徒でも、宗派が違う相手からなら、略奪婚とか許容するのか?
まあカトリックは歴史が長いだけあって、色々な意味で懐が深い。人間は欲望に弱い者だと認め、許しや逃げ道になる多様な便法を用意することを否定していない。聖職者には妻帯が認められていないが、過去の歴史をたどれば愛人を囲っていた法皇や枢機卿は、少なくないのだ。
カトリック固有の多くの祝祭日やあの聖人システムも、土着信仰を取り込んだ部分が、かなりある。また十六世紀ヨーロッパで起こった宗教改革、あれの切っ掛けとなった“贖宥状”も、「人間は主キリストより弱い存在である」という主張が普遍的に認められていたからこそ、あんなに大々的に普及したのだ。
つまりカトリック信仰は、歴史的に俗な面を許容してきたことにより、これだけ多くの信徒を抱え、これだけ長期に渡って存続してきたのである。うん、プロテスタントもヤバいが、カトリックも相当だな。
「あー、英次?」
「うん? ああスマン、ステファニィ、何だっけ?」
「あなた、私が嫌い?」
「いや、好きか嫌いかというと、好きだよ。どちらかと聞かれればね」
「じゃあ、私と付き合って」
「俺が呼ばれたのは、大統領との話だったはずだ。それとは別だろう?」
俺はステファニィと大統領夫人の顔に、交互に目をやった。どちらも目を逸らすことはない。確信犯か? 何か偏執的なものを感じるのは、俺が間違ってる?
「それがあなたをここに呼ぶに当たっての、彼女の条件だったの。その方が、私としても色々都合が良かったしね」
つまり俺との間を取り持てば、彼女の相談に乗るとステファニィが言ったわけだ。
「メグ、あんた、実際には何がしたいんだ?」
「破滅した大統領の妻になるのは嫌。貧乏にもなりたくないし、元の国へも帰りたくない。亡命先なんて無いし、まだ成人していない息子もいるわ。だから、この国の安全も大事よ」
まあ、愛国心なんてそんなもんだよな。要は、その国が自分の人生を支え守ってくれるから、自分もその国を守ろうとする。だからこそこの国では、移民であろうとなかろうと、愛国心を持つことができるんだ。
だとすると、日本人の愛国心って、どんなもんなんだろう? あの政治家たちや官僚たちが、国民をどう支えどう守ろうとしているか、それによって形を成すことに、結局はなるんじゃないか? だってほとんどの日本人は、自分でそれを考えようとしていないから。
「ステファニィは?」
「さっき言った」
「俺と桃花の間に、どうして割り込めると思うんだ?」
「あなたと桃花は、お互いをビジネスの面から見ている。愛し合っているとは思えない」
「人と人との間には、色んな愛の形があるんだ。君の考える愛だけが全てじゃあない!」
「じゃあ、私の思っている愛を認めて」
「どんな愛だ? 桃花は、俺と鈴佳の関わりを承知した上で俺を支えてくれている。君のは、単なる執着心だとしか受け取れない」
「それのどこが悪いの? 桃花の愛情だって、打算に基づくものじゃあないの?」
「君はさっき俺と桃花が、お互をビジネスの対象として見ていると言ったな。そういう愛の形もあるんだよ。俺は彼女を尊重している、俺にそれだけの価値があるかどうかは別として、彼女も俺に対して同じようにしてくれていると思う」
俺の力は、大半をどん亀に負っている。だとすると、それを俺の力だと言えるのは、そのことが俺とどん亀以外に知られていないからに過ぎない。ただ、どん亀の力が桁外れすぎるが故に、どん亀の方からそれを曝露することはないだろう。何の根拠もないが、俺はそう思う。
「何故……私じゃ駄目なの?」
こういうパターンで迫られたら、男は普通引かないか? うん、それを情熱的だとか、愛が深いと勘違いする奴もいるかも知れないが。だが女に対し、それをまともに指摘するほど、俺も初心じゃあない。
「さて……、それこそ出会い、運命じゃないか?」
俺の運命が始まったのは、どん亀に出会った時だな。さて、話の流れを戻そう。
「メグ、あんたに無理なことを、俺に何とかしろと言うんだな」
「できる?」
クールな碧い瞳の、強い視線が返ってきた。元々シャープなフェイスラインだが、年齢を重ねて削げた頬と硬く結ばれた口元が、強い意志を示している。
「できるかできないかと言うなら、できる。だが、あんたには協力して貰うし、見返りも必要だ」
「見返りって?」
「俺だけじゃなく、色々手伝って貰う連中にも、代償無しってわけにはいかない」
「お金?」
「あんたに支払える額じゃない。だから事が終わった後の債権の回収にも、全面的に協力すると約束しろ」
「回収って、誰から取り立てるつもり?」
「そりゃあ、合衆国からだ」
「分かったわ」
少し考え込んでから、メロディは頷いた。どこまで信用できるか分からないが、もし後で債権回収への協力を渋るようなら、徹底的に追い込んでやる。そのためには、少し卑怯な手も使うつもりだ。
そもそも本人たちにその自覚があるかどうかに関わらず、実は合衆国全体が現在困ったことになっている。その問題を解決してやるとしたら、俺が見返りを求めるのは正当なことだろう?
コーリーやメロディにはその危機が見えているようだが、俺に対して上から目線でアプローチしてくる時点で、他の連中と大差無いと言える。何の義理も無い俺に、無償の奉仕を求めるなんてな。そして……、
『どん亀?』
『副大統領ヤ大統領夫人ニ、ますたーナラ、ソレガ可能ダト示唆シタノハ、すてふぁにぃデス』
腹黒娘め!




