◆192◆
ランフ大統領を穏当に退陣させたいから鈴佳を貸し出せと、副大統領であるコーリーから求められた。
しかし尋ねてみると、それをどうやって実現するかの説明が無い。鈴佳を使って何をするつもりなのか、具体的な計画があるのかさえ、怪しいものだった。
どうしようもなく困っているのは分かる。だが、その問題の解決をこちらに丸投げで求められても、無理としか言い様がないだろう?
どこのどいつがこんなアイデアをコーリーに吹き込んだのかと、こいつをずっとモニターしていたはずのどん亀に尋ねてみた。だが、さっぱり埒が明かない。まさか、自分で思いついたの?
水戸黄門の印籠よろしく、聖女様のご威光で、大統領を「ははぁ」と畏れ入らせることができるとでも考えたんなら、こいつの頭の中はお花畑だ。ランフを批判する資格はない。
しかし、かなり追い詰められているらしいコーリーは、諦める様子がなかった。何としても俺にイエスと言わせたい副大統領と、到底承諾することはできない俺との攻防が、しばらく続く。いやいや何と言われても、それは無理だから。
結局最後に俺は、「計画が具体的になっていない段階では、検討の余地さえ無い」と突っぱね、話を打ち切った。俺はノーと言える男である。こんな時「前向きに検討」したりは、絶対にしない。
コーリーの執務室のドアを開けると、そこには岡寛美女史、あの防衛省キャリアのおばちゃんが、仁王立ちになって待ち構えていた。
「岡田さん、大変なの! 急いで大使館に戻らないと!」
「えっ?」
何がどうしたと確かめる間もなく、おばちゃんは俺の腕を取り、副大統領府のあるアイゼンハワー行政府ビルから連れ出す。そして待っていたリムジンカーに俺を押し込んで、運転席との間の間仕切りを上げるよう求めた。
「一体、どうしたんです?」
動き出した車の中で俺が尋ねると、おばちゃんは抱えていたソフトレザーの書類鞄からリネンのチーフを取り出し、口元に当てながら答えた。汗をかいたらしい。
「南シナ海で、核爆発があったのよ」
「はあ?」
咄嗟に俺は、どん亀に事実関係を心話で問い合わせる。
『三時間ホド前ノ事デス』
おばちゃんは俺の肩をど突いた。呆気に取られてフリーズしたと見えたに違いない。いや確かに、一瞬不覚を取ったが……。
「知らなかった? 副大統領から何か聞かなかった?」
「いや、何も」
「じゃあ、何を話していたの?」
探りを入れられた。おばちゃん恐るべし!
「何って……。それより、核爆発ってどういう事です?」
「かなり深度のある海域で、二十キロトン程度の水中爆発があったらしいの。五十メートル以上の深さで。速報では、台湾と中共沿岸部で放射能レベルの上昇が観測されているようよ」
沖縄の基地から、集塵ポッドを搭載した観測機を飛ばしたか? 自衛隊機かもしれない。
「そうすると、海南島と台湾・フィリピンの中間辺りですか?」
「そうね、中共が主張する九段線の内側になる」
「二十キロトンて‥‥、中共のミサイル原潜なんですか?」
爆発の規模から考えると、これは原子炉の暴走事故とかではない。原子炉用の核燃料と核兵器に用いられる核物質の精錬度(濃縮度)は五パーセント以下と九十パーセント以上と、少なくとも十八倍の違いがある。だから、核燃料が核爆発を起こすことはあり得ないのだ。
「あの補佐官は、JL-1、巨浪一号が誤爆を起こしたんじゃないかと言ってたわ」
巨浪一号とは、中共の開発した潜水艦発射弾道ミサイルの名称である。二段式固体燃料ロケット、最大射程千七百キロ、いや改良型のJL-1Aは二千五百キロだった。
「JL-1って単弾頭で、核出力二百キロトンとかだったんでは? 二十キロトンなら、核魚雷っていう線も無いですか? いや、そもそも本当に潜水艦なのかな?」
二十キロトンという核出力は、現代の戦略核兵器としてはあまりに中途半端である。最初期の、広島に投下されたリトルボーイと呼ばれる砲身型ウラニウム原爆が十五キロトン、長崎に投下された爆縮型プルトニウム原爆が二十キロトンと言われている。
「補佐官は、従来のものより威力を抑えた小型核弾頭だろうと言っていたわ。あれは米海軍も配備を始めていることだしね」
米国防総省の最近の発表で、合衆国海軍がトライデント潜水艦発射弾道ミサイルに威力を抑えた低出力核弾頭を搭載し、実戦配備したことが知られていた。
これはロシアが既にやっていることで、戦術的に使いやすい核兵器として限定戦争での使用のハードルを下げると言われている。ただ射程が五百キロ未満の戦術核と違い、核軍縮協定上は戦略核に分類され、保有数に制限が課せられるはずだ。
もっとも中共の保有する核弾頭は三百発未満で、それぞれ数千発とされる米露とは桁が違うこともあり、この二国の間で交わされているような核軍縮協定には参加しないと表明している。
米露がこの小型核を弾道ミサイルに搭載するのは、航空機などから発射される巡航ミサイルでは、攻撃の決断から戦場に到達するまでの時間が数時間のレベルで必要だからだ。これが弾道ミサイルなら、数十分以内に攻撃を達成することができる。
相互確証破壊の観点から、限定戦争での自由度を求め、自国の潜水艦発射弾道ミサイルに小型核弾頭を搭載するという選択肢が、中共にも当然考えられた。
「中共が小型核を使うとしたら、周辺地域である可能性が高い。その場合当然単弾頭だろうし、コスパの面からもJL-1を利用するだろうな」
「その海域に夏級のミサイル原潜がいたことは、海自が掴んでいた。補佐官が求めたのは、今後の情報提供の確認よ」
「何でそこまで俺に話すんです? その爆発で付近の船舶に、被害が及んでいないと良いなとは思いますが、俺は単なる一民間人ですよ」
「そんなことが通用すると思う? 単なる一民間人と、副大統領が人払いをして密談したりするかしら!」
馬鹿にするなと言いたいらしい。今回はタイミングが悪かった。聖女様騒ぎと核弾頭の誤爆騒ぎが重なるなんて……、本当に偶然か?
『どん亀?』
『弾道みさいるノ制御しすてむヺ、はっきんぐシマシタ』
こいつの仕業か!
『中共のフェイルセーフ・システムは、閉鎖系になっていなかったのか?』
『昆虫ぼっとニヨル物理的侵襲ヺ併用シマシタ』
それでは抵抗の術がない。今頃、人民解放軍の上層部は大混乱だろう。核兵器管理の信頼性が失われたことが知れ渡れば、国外の人間ばかりでなく国内の民衆も、黙ってはいないだろう。
暴発する可能性のある核兵器を国内に抱えていることに恐怖を感じない国民が、どれだけいる?
「ねぇ、どうしたの?」
「い、いや。怖いことだなって思って」
「本当は何を考えているのかしら? だいたいあなた、核兵器のこととか、詳し過ぎるのよね。何者なの?」
おばちゃんの眼が怖い。まさか正直にそんなこと、言えないけど。
コロンが匂うほど接近され覗き込まれると、彼女からは獲物を狙う野獣のような気配がする。
どん亀が中共の原潜を沈めたのは、尖閣での動きの延長だろう。どう考えても俺のコントロールを外れているが、それに対して打つ手が、あるだろうか?