◆18◆
前に俺はどん亀に「俺にも『超能力』とか、ある?」って聞いたことがある。その時の奴の答えは、「九九・九九ぱーせんとアリマセン」だった。
ただ今回のことで、あいつが使える『心的通話』や『転送』、そして新たに登場した『翻訳機能』などは、俺の脳あるいはその周辺にある身体器官の一部に依存しているらしいことが明らかになった。
少なくとも『転送』について「中枢神経系ニ負荷ヲカケル」とあいつが言っていたことから考えて、無関係と言うことはないだろう。
ひょっとして、どん亀の奴、俺を超能力者に『改造』しつつあるのか? あいつに倫理観などというものがあるとは思えない。どうしても忘れてしまいそうになるが、どん亀が人間のルールや感情に縛られる理由など、ひとかけらも無いのだった。
「もう逃げ出せやしないんだよな」
どうやっても左手の小指から外せないピンクの指輪を改めて眺めながら、俺はこっそり呟いた。多分、この小指を切断しても手遅れだろう。いやそもそも、このリングがそう重要な役割を果たしているとは思えない。少なくとも、今となっては。
「コノ指輪ハ乗組員ノID」とか言わなかったか? 「何故カ指輪ニ適合シタタメ」「乗組員扱イニナッタ」だと!
このピンキーリングは、飼い主が所有の証にはめるペット用の首輪か、飼育する家畜の耳に付ける札みたいなものじゃないのだろうか?
あー、むしろ実験動物のが、俺の境遇に近いのかな?
俺はこれからどうなってしまうのだろうか? そう考えながら、到底悲観的だとは思えない自分自身を振り返り、自分の精神が『改造』されていても自覚できないんだろうなぁと思った。
通販で『おしゃれな耐火金庫』というやつを買った。ぱっと見で、ダイヤルとか鍵穴とかハンドルとかは無い。角や縁が丸みを帯びた縦長の直方体の前面が有機ガラス板で覆われ、その一部分が液晶タッチパネルになっている。表面に触ると浮かび上がるように姿を現すテンキーで、暗証番号を入力するという仕掛けだ。ロックが外れるとモーターが働いて閂が引き込まれ、自動で扉が開く。電力が必要なので、裏側から電源コードが出てコンセントに繋がっている。つまり一種の電化製品なのだ。
前面のパネルは黒からダークローズへのグラデーションになっていて、それ以外の面は艶消しのダークブラウンだ。スタイリッシュで、『俺は金庫だ』という無粋な自己主張をしないデザインが気に入って買うことにした。
えっ、何を入れるかって? そりゃあ三十四枚の金貨さ。金価格は先週六年ぶりの高値をつけた反動で、その後利食いの売りが入って下落した。世界経済の後退懸念が下支えとなってはいるが、金価格は高値で調整中だった。つまり利益確定の売りが出て、金価格はじわっと下降気味ということである。
手持ちの現金の内三百万を投資に回しはしたが、まだ二百万ほど残っており、取りあえず生活に困っているわけではない。価格が下降しつつある今、すぐ換金する必要を俺は感じなかった。そんなこともあり、今後も毎月増える予定の金を、しまっておく場所が欲しかったのだ。あ、金庫は運送料設置料込みで十万弱だった。
今中に入っているのは、一トロイオンスの金貨三十四枚と二百万弱の現金、それに預金通帳と印鑑だ。家庭用の小型金庫で容量は四十リットルだが、まだまだ空きはある。俺はぼーっとして、金庫の中が黄金で一杯になる様子を妄想していた。
その時俺が居たのは書斎兼寝室の、壁に向かったデスクの前だ。目の前には二十四インチの液晶ディスプレイが二つ横並びになっている。オンラインで金相場をチェックしていたのだ。先ほどの世界経済の話も、初心者向けの投資講座の受け売りである。
この部屋はダイニングの直ぐ隣、建物の南側にあり、書斎部分が十畳、寝室部分が六畳、それに四畳分のウォークイン・クローゼットが付属している。俺が使っているベッドは、キングサイズで、はっきり言って一人で使うには大きすぎる。おまけにシングルサイズのマットレスが二枚使いで載せてあるので、繋ぎ目にあたる真ん中に寝ようとするとやや落ち着かない。
誠次叔父が一人で寝るためにこのサイズのベッドを購入したとは思えない。どんな相手と一緒に利用するつもりだったのか考えようとして、俺はそれを打ち消した。結局叔父は、建て直したこの家で五年近く一人で暮らし、孤独なまま亡くなった。今さら考えて、どうするというのだ?
ベッドの脇にあるウォークイン・クローゼットの奥には地下への隠し階段があり、そこから『秘密の地下壕』に降りることができる。どん亀の力を借りて造った、例の地下室だ。
この空間は結構広く、トータルの床面積では上の建物の二倍以上になる。ここからのもう一つの出口は家の敷地を囲む石垣よりもずっと下の方にあった。緩斜面を県道の方に下る私道沿いの、崩れた飼料用サイロと堆肥置き場の瓦礫にカモフラージュされている。
前にこの出入り口の扉の仕掛けを某宇宙救助隊並と説明した。瓦礫の一部、縦六メートル・横九メートルのコンクリートの壁が、それを載せた装甲板(一応鋼鉄製の構造物で、どん亀が製作した物)ごと持ち上がって開くようになっていたからだ。
航空母艦の格納庫から飛行甲板に搭載機を持ち上げる昇降機並の機構を見せられては、当然の感想だと思う。
動力源は例の簡易発電装置だ。六十万キロワット毎時だから余裕だそうである。確か『備エアレバ患イ無シ』とか言ってたよな。これのためだったのか!
その扉の近くに、ひっそりと外出するための人間用の小さな出口(縦二メートル・幅八十センチ)があるのに、何故こんな大仕掛けな扉が必要かというと、装甲板の後ろに大きなガレージが存在するためだ。ガレージと言うより『格納空間』と言うべきだろう。
今はまだ空っぽだが、六メートル程の天井高があるその空間に、どん亀が何を『格納』しようとしているのか、気にならずにはいられない。
はー、俺って多分『宇宙からの侵略者』の手先なんだよな。
特撮物の子ども番組に登場する怪人の手先たち。あの見事なまでにチープに規格化されたコスチュームを思い浮かべ、俺はもう一度溜め息をついた。
あの連中って、どんな条件で雇用されているのだろうか? 年収は? 福利厚生は? 身分保障は? 多分、制服は支給されるんだろうな……まさか自前?
中味が人間だとは限らないと考えた俺は、今現在の俺自身だってすでに人間じゃない可能性に思い当たって、そこで三度目の溜め息をついた。