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◆175◆

 合衆国では、現役のダニエル・ハート・ランフ大統領と、現役副大統領であるジョージ・キング・コーリーの間で、次期大統領候補指名の予備選挙に向けての鍔迫(つばぜ)り合いが表面化しつつあった。


 周知のごとく二人は同じ共和党に属している。まあ一八五二年以降の米国大統領はすべて、二大政党である共和党か民主党、いずれかの党員だ。


 前回は共和党の大統領候補となったランフが、国内のキリスト教右派勢力の支持を固めるため、一時は競争相手だったコーリーを副大統領として指名した。当時ランフは七十二歳で、コーリーは六十歳だったのである。


 コーリーは、大統領の任期一期四年が過ぎた時点にはランフが七十六歳になることから、二期目は無いだろうという見通しの元、副大統領の指名を受諾した。


 歴代の副大統領の、だいたい三人に一人がその後、大統領職に就いている。その内訳は、大統領の病死や暗殺そして辞任といった理由で昇格した者が九人、在任中か退任後間を置いて選挙により当選した者が六人だ。


 ランフの年齢を考えれば、多くの面でその方が自分にとって有利になるだろうという、その時のコーリーの判断は、間違いとは言えない。


 しかし間もなく七十五歳になろうとするランフは、現在でも再選を目指す気満々だ。


 今や残す任期は一年と、たいていの場合ならレームダック化していてもおかしくない時期に入っている。ところが民主党の候補者が七十八歳のジョシア・ロビン・ビーデンにほぼ確定していることから、それより二歳以上も若いと、現職でもあるランフは意気軒昂なのだ。


 つまりこのまま進めば、超高齢の両党候補が激突することになる。そこで最近のコーリーは、自分が“若い世代”に属する政治家であるとアピールすることで、この二人との違いを強調する作戦に出ていた。


 国民全体には民主党のジョー・ビーデンとの、世代間の戦いであることを強調しながら、共和党内ではランフを追い落とすことを目論んでいるのである。


 とは言うものの、現職大統領の権限は大きい。副大統領と言えども、現実には大統領に指名された閣僚の一人に過ぎない。


 従ってランフが自ら候補を降りない限り、コーリーは圧倒的に不利である。そして狡猾で節操の無い事業家として欲望に忠実であり続けてきたランフが、何の見返りもなく大統領という自分の地位を譲ることなど、考えているはずもなかった。


 ランフ大統領とは一度会ったことがある。サンフランシスコで奴は、のっけから俺に威圧を掛けてきた。


 俺がその前に、「合衆国大統領(ランフ)が自分で出てくるなら、話を聞いてやってもいい」と、経産省の副大臣だった松田に啖呵(たんか)を切ったことを知って、腹を立てたらしい。


 国家安全保障局(NSA)が首相官邸を盗聴していて、総理に松田が話したその内容を報告書に書いたのである。それを読んだ奴は、大統領執務室(オーバル・オフィス)にあった屑籠を蹴飛ばし、「生意気なこのジャップに思い知らせてやる」と怒り狂って見せた。


 それに過剰に反応した特殊作戦軍の司令官と海軍長官が、二子玉川にある六角産業のオフィス・ビルを強襲するプランを、それぞれ提出したのだ。俺はどん亀からの情報としてそれを知ったのだが、米国がパキスタンやシリアで実際に行った襲撃作戦を考えると、簡単に笑って見過ごす訳にはいかない話だった。


 HWRI(六角世界研究所)の研究員(フェロウ)であるナラ・マダヴィタによると、ランフは危険な意味で特異(ユニーク)であり、奇矯(フリーク)である。


 彼はサイコパス(あるいはソシオパス)と呼ばれる人格障害の特徴を、顕著に示していた。もっともこういう障害には連続した広がり(スペクトラム)があり、成功したビジネスマン(しばしば魅力的でカリスマ性があるが、平気で嘘をつき、他人との共感性に乏しい)の内、数パーセントはサイコパスだという研究もあると言う。


 ランフの強い自己顕示欲と怒りは、“どんなことをしても勝つ”という行動指針で世界に対する自分の優位を保とうとする。そして加虐や妄想を含む(たち)の悪いナルシシズムが、彼のカリスマ性の核心となっている攻撃的なジョークを産み出す根源だった。


 精神分析の専門家に言わせれば、「核のボタンと世界一の軍事力の指揮権を持たせておくには、極めて危険で不適当な大統領」である。


 あるいは「彼は罪悪感に欠け、個人的な権力や満足を得るため他者を意図的に操り、加虐的に傷付けたりしたがる」「協調性に欠けた反社会的な人格の持ち主だ」との評価もあった。


 そんな人物が国民の偶像(アイドル)として大統領に選ばれてしまうのが、アメリカ合衆国(USA)という世界最強の国家の実像なのである。


 ランフに任命され政権内に入った者の多くは、直ぐにこの問題児の気紛れな行動と、無謀な決断による危機に直面させられた。それは単なる職場内の問題(トラブル)ではない。国家の、そして世界の危機なのである。


 ランフは会議に出ても話を聞かず、実業家としての過去の成功体験(当然大失敗もあり、何度も破産したりしているのだが、それは無いことになっている)とその場の思いつきで動いた。しかし一介の実業家が事業に失敗するのと、合衆国のそれを、同列に扱うことはできない。


 自分のテレビ番組を持ち人気司会者でもあった彼は、度々過激な言動で国内外の多様な人物や勢力を敵に廻し、それを逆手にとって対決してみせることで、大衆の支持を集めようとした。だがその後始末をし、国家が破綻しないように対処しなければならないのは、側近の位置にいる閣僚たちなのである。


 彼らは一時、憲法修正第二十五条の発動まで検討したと言う。しかしこの大統領罷免へのプロセスは複雑で、その途中で合衆国というシステム自体を崩壊の危機(クライシス)に晒す怖れがあった。このため彼らは政権内に留まり、国政を安定させるため奔走するしかなかったのである。


 だから今、大統領の交代を誰よりも望んでいるのは、これら政権内部の有力者たちだった。そういう意味では、コーリーが次の共和党全国大会で大統領候補の使命を受ける可能性は、十分ある。


「ランフは、追い込まれた場所から何度も逆転劇を演じてきた名うての企業家(ビジネスマン)で、三年前にも総得票数では負けていたのに、民主党の女性候補を押し退け、大統領に就任した実績があります」


 マダヴィタは画面の向こうでペンを振り回し、太い眉を吊り上げて、自分の言葉を強調して見せた。彼のレクチャーを俺と一緒に聞いているのは、桃華と君嶋、それに今は北米担当となっている池内海司である。


「彼があの時大統領になれたのは、共和党の支持者たちが“民主党に負けるよりは”と、より損失の少ない(あくまの)選択を行った、結果でした。しかしランフには民衆の大きな部分を惹き付けるカリスマ性と、機を見るのに敏な天性の勘があります。そして長年の企業経営で培ったしぶとさは、馬鹿にできません」


「マダヴィタさんは、党大会でランフが指名を受ける、選ばれるとお考えなのですか?」


 相手が本物の人間だと思っている池内は、どん亀が捏造してネットに紛れ込ませたマダヴィタのいくつかの論文を読んでいる。当然のように専門家としての意見に耳を傾け、尊敬を払う姿勢だ。


 ちなみに二十五歳の彼は、フルオーダーで仕立てたイタリアンスタイルのスーツを着て、高価な靴を履いていた。その一式を揃えるのに、ファッションの指導をしたはずの君嶋が今身に着けているより、何倍も金額が支払われているはずだ。


 池内が交渉相手とするような人間は当然まず外見を見るから、最初は君嶋の要求で経費で落としてやった。だが最近は自前で、自分の好みを追求し始めたようである。まあ、それなりの年俸を払っているのだから、生活に困るようなことはないだろう。


「我々が何もしなければ、そうなる可能性の方が高いと思います」


 画面の向こうの男は、シャツの胸に掌を擦り付け、微妙なストレスを伝えて見せた。どん亀との対話とは大違いであるが、このキャラクターの性格上“一面的なメッセージである”という前提で受け取っていかなければならない。どん亀のように、“将来を先回りした多様な判断”を期待してはいけないのだ。


「コーリーが大統領になれば米国は、もっと国外との連携をとって中共と対峙する政策を採ることになるでしょう。欧州先進国も安全保障面で協力的に動くことができるはずです」


 池内が期待しているのは、改良型のジェットエンジンのタービンブレードやファンディスクの耐熱素材として、六角産業(うち)の製品が採用されることだ。そうすればスリムで高出力のエンジンが作れ、戦闘機のステルス化と高機動化を同時に実現することができる。需要の拡大だな。


「西側にこのエンジン素材を供給するのが日本の企業の独占となると、米国は面白く思わんでしょうね」


 いい歳してデニムの上着に青のストライプシャツ、細身のパンツとスニーカーというイージーブーストファッションの君嶋が、面白くなさそうに指摘する。いやこれなら予算は、池内のオーダースーツの五十分の一以下だな。


「その辺は米国に置いたロビイストに対処させる。いざとなれば開き直れば良い。あの国の軍需産業だって、今まで良いだけ日本から(むし)り取っているんだ」


 俺がそう言うと、桃華が首を傾げた。彼女は俺が海自にかなり入れ込んで、資金を投入していることをある程度把握している。中共を牽制するなら、米国の機嫌を損ねるのは拙いのではないかと思ったのだろう。


 それに彼女はステファニィと親しいから、トライデントの利益に配慮して関係を良好に保ちたいとも考えているはずだ。ん? 閨閥(ハーレム)の予感? ライトノベルにしては重いな。


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