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◆169◆

 桃花と“話し合い”をしている途中に、俺のスマホが鳴った。いいところで邪魔をされた桃花が、不機嫌な顔になる。掛けてきて俺を呼び出したのは、どん亀だった。


 ステファニィの奴が、俺に無断で鈴佳をダビッド師の礼拝に連れて行ったという。二人がユニオンスクエアで買い物した後向かったのは、ドッグパッチと呼ばれる古い倉庫街の一画だった。彼女たちの監視と護衛をさせていた昆虫型(バグ)ボットから上がってきた報告である。


「ちょっと出てくる」


 桃花にそう言い残すと、俺は慌ててホテルの屋上にあるヘリポートまで上がり、そこにステルス状態で迎えに来た短艇に乗り込んだ。後でどうにかして、桃花を誤魔化さなければならないと、考えながら。


 短艇の中のスクリーンに、追跡しているボットからの視覚情報が流れる。ショップを出たステファニィが、誘いを掛けて鈴佳をダビッド師の元へと連れて行くところからだ。


「コレハ一時間ホド前ノ映像デス」


「何だと! どうしてもっと早く知らせなかった?」


「二人ニハ、何ノ危険モ無イ状況デシタ。報告ガ必要デシタカ?」


 そう言われてしまえば、俺には言い返す言葉もない。自分の自由度(フリーハンド)を確保したいがために、どん亀の先回りした介入を拒否してきたのは俺自身だからだ。


 “どん亀”の意思決定アルゴリズムと、その驚異的な能力はちぐはぐなように見えるかも知れない。だがその根本的な原因は、どん亀ではなく俺の方にある。


 全てを奴に丸投げしてしまえば簡単で、何もかも上手くいくと考える誘惑に、今まで何度も晒されてきた。しかし結局俺は意地を張って、「余計な手出しをするな」と言い続けてきたのである。


「じゃあ何故、俺を呼び出したんだ?」


「二人ガ参加シタだびっど師ノ礼拝デ、“奇蹟”ガ起コッテシマッタカラデス」




 礼拝の行われたホールの中での映像が、スクリーンに映し出された。早送りで、どん亀による状況の解説付きである。


 そこはかつて軽工業向け区画として指定されていた地域で、二人が入った建物は縫製工場や倉庫として使われていた。中に入ると屋根を支える鉄骨組がむき出しで、今はいわゆる善意の投資家(エンジェル)たちが出資者となって買収し、新進の芸術家に向けたギャラリー兼イベント会場としてレンタルされている。


 ネットで前回の土師聖教会オレリオ・サント・チャーチでの“奇蹟”が話題になったこともあり、予告された時刻には五百人ほどの人間が集まっていた。昼下がりの中途半端な時間で、照明も音響装置も短時間で準備された簡略なものだったにも関わらず、ダビッド師は礼拝の最初から聴衆の心を掴んでしまう。


 彼は人々に「神の前に立ち、面を上げてその眼差しを受け止める」覚悟ができているかを問うた。そして「信仰さえあれば怖れることはありません。神は慈愛に満ち満ちているのですから」と告げる。


 ただこれは逆に「信仰が無い者には、容赦の無い鉄槌が下される」と言っているようなものだ。こう言われた誰もが、絶対者の前で「己に瑕疵(かし)無し」と言い切る自信など持てなかったろう。生まれたての赤ん坊でさえ、“原罪”を抱えている……ましてや自分は、と。


 そして聖霊の顕現(けんげん)についての説教の後、それまで減光されていたホールの照明が明るくなり、ダビッド師がいたステージ上との明暗差が無くなった。


 直前に、「神の眼を欺こうと考える者は怖れなさい。あなたは終わり無い暗闇の中に放逐され、凍え打ち(ひし)がれて泣き叫ぶでしょう」と脅しつけられ、ある種の緊張感と怖れに満たされていたホールの中に、ホッとした空気が流れる。


 ダビッド師が両腕を広げ、会場全体に並んで座る人々を抱くように手を伸ばした。そこには、あの礼拝での奇蹟をネットを通じて知った、心身に悩みを抱える何人もの人たちが、救いを求め集まって来ている。彼らのためにダビッド師は祈り、その場にいる信徒たちが唱和した。


 ダビッド師は仮設されたステージ端の階段から下に降り、歩き出す。その前方にステファニィと鈴佳がいた。


 ステファニィも鈴佳も、それなりに魅力的で若い女性である。また、あの土師聖教会オレリオ・サント・チャーチでの礼拝の様子は、丸ごとネットの動画サイトに投稿されていたから、二人の容姿を記憶している者も少なくなかった。


 視線を感じて尻込みし躊躇(ためら)う鈴佳を、ステファニィが引っ張り、ダビッド師に笑いかけながら歩み寄ると、「あの二人だ」という声が何箇所からも上がる。


 照明係(またも礼拝の様子を映像化するため、スタッフが配置についていた)が、鈴佳たちとダビッド師のいる場所にスポットを当てた。不思議なことに、そこはピンスポがもたらす光量以上に明るく輝いたように見えた。


 後になって、「その時、何か火のようなものが、自分たちの中に入ってきた」と証言する者が出てくる。あるいは、「直ぐ側にいた誰かが、知らない言葉で話すのを聞き、しかも知りもしないその言葉の意味を理解できた」と言う者もいた。


 とにかくそこにいたほとんどの人間が、“何か特別な事が起きた”と感じたのである。


 そういう中で、又もや“奇蹟”が起こってしまった。ダビッド師とステファニィと鈴佳の周囲は大騒ぎになり、それは直ぐに全体に広がっていく。




「何だこれは? 誰の演出だ?」


「誰ノ演出デモアリマセン。強イテ言エバ、だびっど師ノ才能、天啓(いんすぴれーしょん)ニヨルモノデス」


「奇蹟の元凶は奴か! それで何が起こったんだ?」


「極端ナ視野狭窄ノタメ一人デハ歩行モデキナカッタ老婦人ノ視野ガ、突然開ケマシタ。次ニ、中毒ニナルホド鎮痛剤ヲ服用シナケレバ起キ上ガレナカッタ偏頭痛持チノ男ガ、快癒シマシタ」


「どん亀、お前本当に、何もしていないんだろうな?」


監視(もにたー)シテイタダケデス。二人ノ疾患ハ、多分心因性ノモノダッタノデショウ」


「つまりこの二人は“治ると信じたから治った”と言いたいのか? それこそ、本物の奇蹟じゃないか!」


 神の介在がそこにあるかどうかは、俺には判らない。しかしこれまで医療によって救いを得られなかったその二人にとって、それは奇蹟に他ならなかった。この魂の底から揺すぶられるような“体験”から生まれた神への信仰は、その場に居合わせた人々にも強い感動をもたらす。



「上空ニ到着シマシタ。りあるたいむノ情報ニ切リ替エマス。降下シテ介入シマスカ?」


 俺を乗せた短艇は、礼拝の行われた建物の上に浮かんでいる。ボットの伝えてくる映像を見ると、三千メートル下のホールでは“奇蹟”がもたらした高揚した雰囲気が、まだ続いていた。


 ダビッド師が心落ち着けて神を讃えるよう説得しなければ、会衆は躁状態で街頭にあふれ出し、大騒ぎになっていただろう。


「いや、もう手遅れだ。いくらお前でも、時を戻すことはできないからな」


「彼ラノ記憶ヲ全テ抹消スルコトナラ、デキマス」


「そんなことをしたら、事態を悪化させるだけだ。それに悪いことばかりじゃない。これでまたダビッド師の信奉者が増える」


 “奇蹟”が起こったという証言は、この礼拝の動画配信と共にネットに広がっていくはずだ。彼のマネージャーである妻のポーラは、この“奇蹟”について不用意なコメントは控えるだろうが、それとダビッド師が関連づけられることに、不都合は感じないと思う。


 俺がそう言うと、どん亀はダビッド師が否定する可能性を挙げた。


「彼ハ説教師トシテ自負心(ぷらいど)ヲ持ッテイマス。“イイネ(ぐっど)”ガ増加スル主要因ガ彼ノ説教デナク、自分ガソノ場ニ居合ワセタダケトイウノデハ、困惑スルダケデショウ」


傲慢(プライド)敬虔(パイエティ)の逆で、七つの大罪の一つだぞ」


「だびっど師ハ彼ノ妻ニ、奇蹟ノ起コッタ場ニハ“無原罪ノ婦人”ガ居合ワセタト話シテイマシタ」


「クソッ、ダビッド師はプロテスタントじゃないのか?」


 奴が有名人になるのはいいが、鈴佳が巻き込まれるとなると話は別だ。


「どん亀!」


「ナンデショウカ?」


「“回復”したあの二人の疾患が“再発”しないように、調整したナノマシンをそれぞれ投与しろ。少なくとも当面、せっかくの“奇蹟”に傷を付ける訳にはいかない」


「尻ヌグイ、デスカ?」


「本意ではないが、仕方ない。彼に自分の“功績”を否定するきっかけを与えるな。上手くいっている間は、ポーラが彼に“黙っていろ”と言うだろう。それで何とかするんだ。この国をコントロールする道具を新に探すには、時間的な余裕が無いからな」


「デハ、更ニ“奇蹟”ヲ追加シマスカ?」


「いや必要ない。やり過ぎは良くないし、鈴佳を日本に連れて帰る。そうすればダビッド師とポーラは、“奇蹟”がまた起きるとは期待しないだろう」


「本人ハソウデモ、周囲ノ者ハドウデショウ?」


「ダビッド師自身と妻のポーラが、奇蹟の切っ掛けは鈴佳だと考えているなら、迂闊なことはしないさ。それに“奇蹟”がいつも起こっていたら、“奇蹟”じゃあなくなるだろう?」




 多分次の説教で彼は、「あなたの神を試みてはならない」というバイブルにある言葉について語るだろう。()()()()()()()()()()()。「奇蹟を見せてくれないなら、神よ、あなたを信じない」と言う者に、信仰など無いのだと。だからしばらくの間、“奇蹟”は無しだ。


 米国では、神と人間の間に“双方向の平等性”など存在しない。実はこれこそ、この国の政策の根底にある二重規範(ダブルスタンダード)の源流なのである。すなわち“神の側”である自分たちは、“神の側でない”誰か(自分たち以外)よりも都合良く有利な扱いを要求して当然だという“信仰”なのだ。


 こっそり地上に降り立った俺は、急いで鈴佳とステファニィを捕まえ、タクシーに押し込んでホテルに連れ帰った。


 その後ステファニィには、「良かれ」と考えてやったことにしろ、鈴佳をあそこで衆人に晒したことがどれだけ危険な行為だったかと、懇々と説教する。同じことを繰り返そうとしたら、トライデントとの取り引きを見直すし、桃花たちにも縁を切らせると告げたら青くなった。友達の少ないこいつには、それが一番こたえるはずである。


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[一言] ステファニィ… アホの子なのか、悪意なしに動いてるんか、意図的なのかどれだw
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