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ベテスダの池というのは、紀元前8世紀頃にエルサレム神殿の側に、神への供物とする生贄の家畜を清めるため作られた溜め池である。しかしこの当時には癒やしの聖域として人々に知られ、周囲に五つの回廊が建設されていた。
病に悩む者、目が見えぬ人や手足が不自由な人、身体の麻痺や痛みで苦しむ人々が、そこには大勢集まっていた。何故なら、神の使いが時々訪れてその池の水を動かす事があり、その時に真っ先にこの池に入った人は、どのような病気でも癒やされる、という言い伝えが広まっていたからだ。
黙示録と同じ使徒の口述に基づいて書かれたというこの第四福音書五章には、“四十年近くの間病んで苦しんでいる人がいて、この場所に横たわっていた。彼を見て、主が声を掛けた”と記述されている。
「主は彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に『よくなりたいか?』と、問われました。病人は答えます。『主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます』と。主が彼に、『起きて床を取り上げ、歩きなさい』告げると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出しました」
ダビッド師の声は、淡々として起伏が無いように聞こえるのに、語られていることが明確に伝わってくる。耳を惹かれるのだ。そして理解できない異国の言葉で歌われる楽曲にでも、俺たちが何故か感動してしまうように、聞いていると心を打たれる。
「ところが、その日は安息日でした。それでユダヤ人たちは癒やされた人を、『今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない』と咎めます。しかし、その人は彼らに、『私を治してくださった方が、“床を取り上げて歩け”と私に言われたのです』と応えたのでした」
欧米の文献で偽善的・権威主義的であるとして度々批判的に取り上げられる“パリサイ人”であるが、思想の系統樹から見ると、現代のユダヤ教・キリスト教諸派の基底にも繋がっている。これはユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊で、抗争相手だったサドカイ人勢力(特権的神官層)が衰退し、主流派となったからだ。つまりユダヤ的一神教文明の継承者である現代人は、パリサイ人の末裔なのである。
当時彼らは、律法に口伝の細則を付け加え、例えば律法の一つである“安息日”の解釈を極端に曲解し押しつけることに熱心であった。それにより敵味方を篩い分け、敵を追い落とし、ユダヤ社会の権力を得ようとしていたのである。
モーゼ五書に「安息日には、いかなる仕事もしてはいけない」と書いてあるから、「床を取り上げて運ぶような“仕事”をすることは、許しがたい」と責めることで、支配的な立ち位置を占めマウントを取る。現代でも同様な策術を取る人間は、後を絶たない。
「彼らは、『“床を取り上げて歩け”とあなたに言った人はだれなのか?』と問い正します。しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知りませんでした。回廊には大勢の人がいたので、主は黙って立ち去られたからです」
うん、目立ちたくないよな。面倒であるばかりでなく、危険でもある。同じ立場なら、俺でも“黙って立ち去る”ことにしたと思う。でも厄介なことに、現代では何かと個人情報を暴いて利益や満足を得ようとする輩が多い。困ったことだよ。
「後になって、主は神殿で彼に出会い、『見なさい。あなたはよくなった。もう過ちを犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかも知れない』と話されました。ところが彼はそこを出ると、自分を癒やしたのが誰かを、ユダヤ人たちに伝えたのです」
相変わらずダビッド師は単調な語り口で福音書を読み上げている。それは俺に、ラヴェルの曲ボレロを連想させた。ここにいる観客達も、最後には彼と一緒に踊り出すのだろうか?
欧米人が“パリサイ人”を糾弾するのって、同属嫌悪なんじゃないかと思うんだよ。聖書でも「彼らの言っていることは良いが、やっていることは良くないから、真似するな」という扱いだ。
つまりこの結末は、現代の我々が容易に予想できる展開に至る。『もう過ちを犯してはなりません』、つまり“パリサイ人をもう信用するな”と言われたのに、この元病人は、誰が病を治してくれたか、わざわざ彼らに知らせに行った。
どう考えても、パリサイ人たちの攻撃目標になるよね。病気を治してやったのがトラブルの原因だと、思わないか?
俺が、余計なこと(?)を考えている内に、ダビッド師の説教は佳境に入った。静かな口調の中にも感情が込められ、話に耳を傾ける人々の心が、その言葉に動かされて共鳴しているのが感じられる。
互いに孤立しているはずの一人一人の心が、同じ気持ちに突き動かされ、同じ感動を味わっていることを知って、ひとつになっていた。何これ? グレーテスト・ミュージシャンのコンサート?
「……『よくなりたいか?』と主が尋ねた時、この病人が答えたのは『はい、よくなりたいです』という言葉ではありませんでした。彼は“誰も助けてくれないから、自分は一番に水に入れないのだ”“だから自分はずっと病んでいるままだ”と、言い訳したのです。何故なのだろうかと、私は考えてみました」
ここでダビッド師は言葉を切り、眼鏡のレンズ越しに視線を会衆に送った。会場に設置された巨大スクリーンがその表情を映し出し、席に着いている人々全員に考えさせる。何故病人は、弁解がましいことを言ってしまったのかと。
「この人は“希望”を失っていたのです。『よくなりたい』と願う心を失い、諦めてしまっていた。だから言い訳しないではいられなかったのでしょう。あなたは自分自身や身近な人間のことを振り返り、そんなことが無いと言えますか?」
ダビッド師のこの言葉は、糾弾しているはずなのに微笑みの中で語られ、聴く者の心を温めた。おい、上手いな。今この時も、彼は人々の心を“見て”、掛けるべき言葉とその潮時を計っているのだろう。
「長い間病に伏して無気力に横たわっていたこの人に、主の方から声を掛けられたことに気付きましたか? 神とはそういう存在なのです。私たちが神のことを忘れて希望を失い、全てを諦め投げ捨ててしまっている時にも、私たちを見つけて手を差し伸べて下さる」
聴衆に向かって頷いて見せたダビッド師は、一度持っている聖書に視線を落としてから顔を上げ、少し猫背だった背中を伸ばした。礼拝堂で席に着いている信徒達を、中央から左側へ、少し視線を上げまた中央へ、そして今度は右へ、視線を下げて中央へと、見廻す。
「私たちがそれに気付いていないだけです。信仰とは、神の掛けて下さる言葉、差し出されるその手に、気付くことです。今この時この場にも、神の視線、神の御手は、間違いなくあるのです。使徒達が聖霊を“発見”する前から、いえアダムを創り命を吹き込まれたその時から、神は私たちの所を訪れ、気に掛けて下さっているのですから」
彼はそう言うと、着ていたジャケットに付けられたピンマイクにちょっと触れ、作動を確認した。
「それでは主やその弟子達に倣い、皆さんの傍まで行きます。そこに聖霊の形で神が皆さんに近づいて来てくださっているのを、私に確かめさせて下さい」
こいつは“誘導”というやつだ。この雰囲気の中で彼が「そこに聖霊がいる」と口にすれば、それまで信じていなかった人間でさえ、「自分も聖霊を見た」と言い出しかねない。
ダビッド師はステージの端の階段から降り、席にいる人たちに声を掛けて廻り始めた。彼の後ろにはビデオカメラとワイヤレスマイクを持ったスタッフが付き従い、彼と話す相手の声を拾う。それがまた大スクリーンに投影され、対話がスピーカーから流れた。
彼らはやがて、俺たちのいる特別席にやって来た。なるほど、こういうタイミングか! 俺は心の中で、どん亀に向かって合図を送った。ダビッド師が近づいて来る。
「やあ、こんにちは。うーん、君は、車椅子に座っているね。と言うことは、それが必要なんだね。えーと、君は?」
明るい声ではあるが押しつけがましくはなく、何だか申し訳なさそうにダビッド師は、ヒューに声を掛けた。
「ヒュー・マクガバン。はい、僕は腰から下が動きません」
しっかりした声で返事をする彼のクローズアップがカメラに捉えられ、次にはダビッド師とのツーショットが、スクリーンに映し出される。
「それは残念。すると君は、今日私が福音書から選んだ部分を、あー、あまり心穏やかに聞けなかったかも知れないね。うーんと、君を傷つけたとしたら、許して欲しい」
「ですね。しばらく前に、僕は二度と立って歩くことはできないだろうと、ドクターに言われました」
ヒュー自身より、後ろで見守っている父親のウェインの方が硬い表情になっていた。ここに連れて来たことを、後悔しているのだろうか?
「そうか、……君はいくつかな?」
「十二歳です。気にしないで下さい。今は科学が進んでいるから、もう少ししたら僕も歩けるようになるかも知れません。ロボットの脚なんて、カッコいいと思いませんか?」
微笑んで見せて、そう言う。彼は気概ある少年だ。健気さには報いてやりたいし、彼にはその価値がある。
「ワォ! 凄いな! どんな形であれ、主は君が幸せになることを望んでおられるよ」
「ええ、きっとそうです」
前向きな回答だが、彼の内心は、そんなものではなかろう。たとえ技術的な問題が解決できたとしても、それから先何十年間も、機械の脚を頼って生きていくことになる。そういう人生に正面切って向き合うには、今の彼はあまりに幼い。
「ねえミギー、光っている!」
日本語でそう言ったのは、鈴佳だった。言われたステファニィは、キョトンとしていた。彼女は鈴佳と違い、マイクロマシンの洗礼を受けていないからな。そんなもの見える訳がない。
「何なの、鈴佳?」
「ヒューの腰と脚が、光っている……見えない?」
「照明が当たっているからじゃないの?」
ステファニィの言う通り、ダビッド師を追って高い所からピンスポットが、特別席に当たっていた。しかし鈴佳は、首を振る。
「違うよ。そんな光じゃない……。ねえ、ヒュー?」
「何?」
「あなた、前みたいに、自分の足で歩いたり走ったりしたい?」
俺は何の示唆もしなかったが、鈴佳は突然そう言った。どう考えても、さっきの説教の影響だろう。一瞬の間、ダビッド師も表情を失っていた。
「何言い出すんだ? そんなの、当たり前じゃないか!」
ずっと大人しく引っ込み思案で接してきた鈴佳が、彼に向かって突然そんな無遠慮なことを言い出したからか、ヒューは混乱していた。アジア人の女性は白人より若く見えがちだと言う。鈴佳のことは最初、自分と同年代だと思っていたらしい。口の利き方ひとつ取っても、その意識が未だに抜けていないのが分かる。
「それじゃ、そんな不平そうな顔してないで、立って、歩いてみせたら?」
「お嬢さん、それは言い過ぎだ! この子は“気のせい”で歩けない訳じゃあないんだ! それは専門医も確認している。あんな話を聞いたからといって、あまり酷いことを言わないでくれ」
本人にとって以上にヒューの障害は、父親には過敏にならざるを得ない問題だった。声が荒くなるのも、仕方ない。
「いいよパパ、やってやる」
父親の反応を見てヒューは、かえってやる気を出した。自分が無様にひっくり返る様を、鈴佳に対して見せつけてやろうという、当てつけがましい気持ちが、あったのかもしれない。
車椅子の肘掛けを両手で掴み、身体を持ち上げ、勢いに任せて両足を地面に着く。足掛けから乱暴に振り出された足の後ろが、ブレーキで固定された車椅子にぶつかり、微かにタイヤが音を立てた。
「あ、あれ?」
「大丈夫か、ヒュー?」バランスを崩しかけた少年を、咄嗟に父親が支える。
唖然とした顔でヒューが言った。「足が痛かった」
「えっ?」
いやそんなに、激しくぶつかったようには見えなかったが……。
「ずっと何も感じなかったのに、今ぶつかった脚の後ろが、少し痛い」
そう言って父親の手を離し、少年は自分で立とうとした。
「あ、でも立てない……力が、入らない……」
結局車椅子に、尻餅をつくように、腰を落とす。
「無理をするんじゃない! 怪我をしたらどうする!」
父親があわてて、車椅子を押さえた。息子以上に、動揺している。
「でも、今やらないと、もう二度と立てないような気がするんだ」
「……しかし」と、思い詰めた息子を見る心配顔の父親。
「やってみましょうよ。マクガバンさんはそっちの腕を持って!」
ステファニィが車椅子の片側に立った。父親のウェインが反対側でヒューを支える。ヒューがまた肘掛けに両手を突っ張り、身体を持ち上げた。靴の底を床に着けて、踏みしめる。背筋を伸ばし、身体を起こした。
見上げる息子の視線に、ウェインが手を離した。
「……パパ、僕、立てる……自分で立ってる……」
「おお、神様……」