◆162◆
MCが礼拝の終わりを告げると、会衆はエンジンを始動させ、後方から順に移動を始めた。少し慌しい気もするが、時間も時間だ。ハンドルを握って家路につく。
それでもある者は感動に浸った表情で黙り込み、隅の方では何かを語り合う人たちもいる。ちょっと汗臭い空気が、会場に漂っていた。
ステージ上では照明の光の中、機材の撤去が始められている。
「どうだった?」と、ステファニィが俺に尋ねた。
「偉大なアーティストのステージを体験したようだ」そう答える。
「でも、テーマは“神”なのよ!」
声の抑揚が少し高い。感情的になっているのは、さっきの余韻が残っているからだろう。
「怒っているのか、ミギー?」
「神の御業を、人間の作品と同一線上で語ることはできないわ」
「でもダビッド師は人間だ」
「聖霊の恩寵に満たされた時、人は人以上の存在になるの」
「それは君の主張だ。ジョーゼ師は何と言うかな?」
「彼は口が上手いだけの俗物よ」
「ジョーゼ師は、何度もダビッド師の説教を聞きに来ているようだがね」
「そう。それなら真実の言葉を理解できる俗物なんでしょう。少しはましかしら?」
ステファニィが振り返った先には、アウトドアチェアに座って黙り込み、考え込んでいるジョーゼ師がいた。その視線の先には、ステージ上でニコニコ微笑みながら、スタッフと話しているダビッド師の姿がある。
俺はステージの側まで歩いて行って、彼に話し掛けた。
「やあ! 素晴らしい説教でした」
ダビッド師は驚いたような眼を一瞬俺に向ける。それから白い歯を見せ、笑い顔で応えた。
「ありがとう。ええーと?」
「英次、岡田英次、日本人です」
「エイジ。あなたが私の語ったことで、神の存在に関心を持ったなら幸いです」
ダビッド師はステージからジャンプして降り、そう言いながら俺の側にやって来た。
「あなたは、うーん、あのリムジンで来たんですね」
「あれをチャーターしたのは彼女ですよ。ステファニィ!」
俺が声を掛けると、ビクッとした後、おずおずとした足取りで近寄ってくる。
「あなたねー、いきなり呼ばれたら驚くでしょう」
いつもに無いよそ行きの表情でやって来たステファニィは、近くまで来ると、アイドルを前にした小さな女の子のように恥ずかしがって、頬を染めた。
「君もダビッド師の礼拝に参加したのは初めてだと言ったろう。挨拶したいのじゃないかと思ってね」
「あなた方は、クリスチャンですか?」と、ダビッド師。礼拝に来ているのに何故疑う? ああ、リムジンのせいか。
「彼女はローマン・カトリックのはずですが、自分は日本人なので……」
「仏教徒?」
「いや、多神教的無神論者ですね」
「それは矛盾しているのでは?」
「超越者の存在は否定しませんが、唯一神の定義には懐疑的です」
「人間以上は容認しても、宇宙のルールメイカーは拒否する。日本のアニメオタクの典型ね」
ステファニィがわずかに鼻にかけ、皮肉を込めたニュアンスで言う。ジョークか? それとも「あたしは冷静よ」のアピール?
「アニメに信仰を持ち込むのは禁忌だぞ、ミギー!」
「なかなか愉快な方たちだ」
ダビッド師が一応、俺を宥めてみせる。ここで話を切るのはもったいない。
「一緒に来た女の子達も、あなたのファンになったようです」
俺は手を振って桃花たちも呼び寄せた。
「これはキュートなレディばかりで羨ましい。おや、あなたは!」
女たちより少し遅れて側に来たジョーゼ師を見て、ダビッド師の表情が硬くなる。前から二列目に陣取っていたのだが、説教の最中は目に留まらなかったのだろうか?
「素晴らしい説教でした、ダビッド師」
「ステージの上では照明の関係で下の様子がよく見えないので……気付きませんでした」
「あなたの説教は、何度か聞かせてもらっています」
ジョーゼ師の声も硬く、ぎこちない。そこは素直に賞賛すればいいのに。
「それは……何しろ、あまり視力が良くないので……」
そう言ってダビッド師が、掛けている眼鏡に手をやる。あれだけ会衆を感動させ、深い信仰的思索に導いた説教師にしては、随分気弱げな表情だ。どうやら神について語る以外の事には、あまり自信が無いようである。
“身長六フィート一インチ、体重二百二十五ポンド、年齢三十二歳、ドイツ系白人。二歳の時、両親と共にブラジルから合衆国に移住。それなりに裕福な家庭の出だが、十代で引きこもり、十九歳で回心、信仰を重視した生活を始める。デリュウ大学学士課程卒、カリフォルニア大学ロー・スクール進学、法務博士JD三年課程の二年次途中で中退。セールスマンとして二年、銀行員として二年働いた後、聖土師教会で説教師として活動。妻ポーラは三十一歳。彼女は大手弁護士事務所勤務の弁護士だったが、現在はダビッド師のマネージメントを務める。息子ノア五歳。娘ジョアンナ二歳”
俺の緊急問い合わせに応え、どん亀から調査データーが、心話で送られてきた。ただ、その内容からは、ダビッド師が“特別”である理由は発見できなかった。自信無げなのはまだ若いから、キャリアが数年しか無いからか?
「レディたちを紹介します。こちらから桃花、玲子、華子、鈴佳です。君たちの中にクリスチャンはいるか?」
桃花、玲子、華子は首を振った。礼拝に参加した経験も無さそうだ。鈴佳は、分からんけど、多分違うと思う。
「やあ、お嬢さん方。私はダビッド……」
一転笑顔を向けたダビッド師は、そこで鈴佳に目を留め表情を変えた。
「……これは……まさか……魂が無い……?」
両手の指先が眼鏡の両側を押さえ、顰められた眼で鈴佳を見直して、呟く。
「そんな馬鹿な……魂が無ければ、原罪も無い?」
やはりダビッド師は“特別”だったらしい。だが彼が何に気付いたか、俺にはまだ分からない。
「何が見えるんですか、ダビット師?」
俺は小声になり、側に寄って彼の顔を見上げるようにして囁いた。ステファニィ達が変な目で見るが、仕方がない。十センチ以上身長差があるんだよ。
「彼女には中身が無い。生まれた瞬間から育ってきた時間が……きれいに消えている。表面にラベルが貼ってあるが、中身が空っぽのボトルみたいだ……生まれたばかりの赤ん坊にだって、中身が無いなんて事は無かった……子ども達の出産に立ち会った時だって……」
俺は焦って叫びそうになる自分を抑えた。
「ダビッド。ひょっとしてあなたは、人の心の中が見えるんですか?」
「……、ああ」
“視力が良くない”だと! とんでもない“眼”を持っているじゃあないか。ひょっとすると十代で“引きこもり”になったのは、それが理由か?
「じゃあ、人が何を考えているか読める?」
「いや、心の姿が見えるだけだ。気持ち、感情が、見える」
心話と関連はあるかもしれないが、また違った能力のようだ。嘘をついているようには見えない。
「あなたの説教、あれはその力を利用しているんですね」
「神から与えられたものだから、神のためにだけ使うと誓ったんだ」
あんたの心の平穏のために必要だったんだな、その誓いが。俺には理解できる。しかし、どうしたものだろう?




