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◆158◆

 MCの紹介によると、男はジョーゼ・キング師。シンガポールの新生被造物教会ニュークリーチャーチャーチの主任牧師で、今日の説教のためサミュエル師に招聘されたらしい。


 シンガポール国籍でインド・中華のハーフ。父はシーク教徒の僧侶で、母は華僑。元はITコンサルタントだったが、シンガポールのメガチャーチである新生被造物教会の創設に関わり、二十世紀の末頃主任牧師となった。世界各地の教会で説教し、自著も二十冊近く出版している。妻と二人の子どもがおり、純資産六百四十万シンガポールポンド(約四百三十万ドル)の五十二歳……と、これはステファニィ情報だ。


 しかしステージの上で白い歯を出して笑って見せている浅黒い肌の男は、どう見ても三十代にしか見えない。東洋系は若く見えると言うが、細身のスーツを着て細いネクタイを締めているその姿は、俺の目から見れば、町場にいるスケコマシの兄ちゃんという感じである。


 若いと感じるのは、語り口が軽いせいがあるかもしれない。声も張りがあって、機関銃のように言葉がポンポン出てくる。昔、家電を俺に売りつけようとした、遣り手のセールスマンを思い出した。


 いろんな話題に跳びながら、いつの間にか聖句の説明に戻ってくる語り口は、まるで対面販売か、テレビショッピングのセールストークのようだ。


 販売の現場で、売りつける物の説明だけするのでは、客が「商品を押しつけようとしているな」と身構えてしまう。優秀なセールスマンは、客が興味を持ちそうな多様な話題を準備し、話の途中に盛り込んでいく。聴き手に違う話題だと思わせて油断させ、隙を突いて売り込みたい商品のアピールに繋げ、いつの間にか意図する方向に引き込んでしまうのだ。


 ハンズフリーのヘッドセットマイクを付け、ステージ上を歩き回りながら身振り豊かに、聴衆に向かい語りかける。時々聖書から数節を引用し、背後の大スクリーンにその聖句が字幕として表示されるのを手で示して、強調した。


 その手振りは「今、売りつけようとしているのは神の言葉で、車や洗剤なんかではない!」と、念押ししているみたいだが、この男にとって商品の中味は実は何でも構わないのだとしか、俺には感じられない。


「ジョーゼ師をどう思う?」と、ステファニィが聞く。


「天性のセールスマンだな」


「商品は本物、顧客満足度も高くて、彼は大人気よ」


 ステファニィはニッコリして言うが、俺は気に食わない。


「本物って何がだ? 霊的な諸々の価値に基づく共同体(コミュニティ)を提供することか? 教会が社会刷新のリーダーとなるためには、神などどうでも良い(パーパス・ドリブン)のか?」


 何を売ろうと奴の勝手だが、商品説明で誤魔化されるのは気に食わない。物の値打ちの判らない人間だと侮られるのは、俺には我慢がならないからだ。


 真理の殿堂であるはずの神の家の中でも、聞こえの良い言葉や洒落た外見の方が、多くの者に喜ばれ求められていることは承知している。メガチャーチの今の繁栄が、“消費者に寄り添う”という方針の上に成り立っていることも。


 この策術をドラッカーが考え出したのは、二十世紀の末である。P・F・ドラッカーはその人生の前半に、ナチとコミュニストの勃興を目撃した。その結果、世界文明が根本的に病み、無秩序に向かっているとの認識を持ったと思われる。


 ドラッカーは自らがキリスト者でないことを公に認めていた。またほとんどの教会は、個々人に『宗教的体験』を与えているだけで、社会を回復させる力を持っていないというのが、彼の見解だった。


 しかし何等かの理由から彼は、「メガチャーチなら、人々の求めるものを提供し、それによって大衆を惹き付けることができる」とし、それがいかなる教理を説いているかに関係なく、社会を改善していく力となると考えたのである。


 一九八〇年代になって、彼は数名の福音主義教会のリーダーたちに意図的に関与するようになり、一種の導師(メンター)としての立場で働きかけたもののようだ。


 ドラッカーの示唆を受けたリーダーたちは、その後キリスト教を“再定義”し、一見キリスト教徒らしく聞こえるスローガンや諸活動を内面的な説明としながら、自尊心の向上や自己啓発を説く方向に進む。また外見上は宗教に拘らない善行(貧困・無知の克服やエイズ撲滅運動など)キャンペーンを行い、社会の承認を得ていった。


 それ以降、「消費者の求めに応える」メガチャーチのキリスト教ビジネスが繁栄期を迎え、時代に合わせ姿を変えながらも、今に続いている。


 元々ドラッカーには、事実の裏付けの無い論拠によって著述や講演を進めるという傾向があり、彼の弟子達もそれに倣ったのかもしれない。だから『神の真理』よりも、エンターテインメントをベースとした礼拝サービスを提供することで、多くの人々の支持を得ることを優先したのだろう。


「神は人を愛して下さるのだから、自分を罰そうとなどせずに、前へ進むべきよ。あなたは鈴佳が記憶を失ったのは、自分のせいだと考えているでしょう、英次。でも神は、きっと救って下さるわ」


 ステファニィ、それは彼らの論理だ。賢い君なら検証していく内に、それが破綻していることに気付かないはずはない。だが悩むのはつらいからな。


「神は魂を無くした者を、救えるのか?」


 俺がそう問いかけると、ステファニィが(ひる)むのが分かった。その点について、彼女も自信が無いのだろう。記憶を全て失った鈴佳は、魂まで失ってはいないのか? また失ったとして、再生の過程でそれを取り戻すことができたのかどうか?


 振り返るとステージ上では、ジョーゼ師がまだ独演会を続けている。興奮して声が大きくなったり、また(ひそ)められたり、身振り手振りが入ったり。所々で大画面に映し出されたテロップを示し、自分の言葉が聖書から引用したものだと確認させる。そしてまた、ここの言葉はアラム語ではどうだギリシャ語ではどうだと解説してみせた。そうやって聴衆を感心させ、信用させるのだ。


 彼の説教は四十分ほど続き、やっと終わった。そのパーフォーマンスを見聞きした信徒の多数は、満足そうな笑顔になり、所々で彼が叫ぶ「ハレルヤ」だの「エーメン」だのの声に唱和する。説教の後、最後に祝福の祈祷があって、礼拝は終わりだ。


 何かで悩んでいる時、一人でいてウジウジしているよりは、こういう礼拝に参加するのも悪くはない。落ち込んでいる時に、いきなり礼拝に参加するのはハードルが高いだろうから、普段から教会に通うことにも意味がある。献金だって決して強制ではないし、席の指定だって、前の方の良い席が取り合いになるのを防ぐためだと言われればそれまでだ。


 何より現代では、悩み事を抱えた人間が相談する相手を見つけ出せる場所として、この場は貴重である。悪意を持たずに話を聞いてくれるだけで救いとなる場合も多いのに、利害関係の無い人間的繋がりの少ないこの社会では、その相手がなかなか見つからないからだ。


 ここでは悩みを、牧師や信徒の世話役に相談することもできた。いや昨今のメガチャーチでは、専門教育を受けたカウンセラーまでが用意されていたりする。


 またこの国(ステイツ)では十分平等には提供されていない医療支援を無料又は低価格で準備してあったり、職を持てない人に対し就業に向けての相談に乗ったりもしていた。


 人々の必要とするものを提供することで、メガチャーチが成長してきていることは間違いない事実だ。しかしだからと言って、信仰に世俗的なビジネス哲学を持ち込み、自分たちの“ビジョン”を神からの投げ掛けだと正当化すること。自分たちと異なる考えを“ビジョン”だけを根拠に排除する彼らの行動を、俺は認める訳にはいかなかった。


 その“ビジョン”なるものが一部の人間の恣意だとしても、彼らはそれが「神の計画」であるとして、異議を差し挟むことを認めない。銃の所有と携帯が修正第二項で認められたこの国で、それがどれだけ危険か、説明するまでもなかった。更にそれは個人の所有する銃器の問題にとどまらず、他国との関係にまで及ぶことになる。


「ミスター・オカダ、副大統領に紹介しよう」


 いつの間にかサミュエル師が姿を現し、俺たちをステージの上へと誘った。ステファニィと俺は積極的に、後の四人は尻込みしながら、彼に付いて行く。


 ジョージ・キング・コーリーは六十二歳、ランフ大統領より十四歳年下である。しかし第二十五代大統領マッキンリーが暗殺された後を継ぎ、セオドア・ルーズベルトが副大統領から大統領へと繰り上がったのは、四十二歳の時だった。それを考えれば、若いとは言えない。


 この男は共和党保守派に属し、福音派カソリックのキリスト教右派を自称している。実は保守派というより、過激な右派というのが本音のようだ。野心家で、明らかに次期大統領候補に名乗りを上げることを目指しており、再選を期するランフ大統領との折り合いは、必ずしも良くない。


「副大統領、あなたに紹介したい人物がいます。日本の六角産業、そのCEOである岡田氏です」


 サミュエル師が声を掛ける。単刀直入なのは、副大統領の時間は貴重だからだ。この世紀に入ってから、副大統領職は昔のようにお飾りでは済まなくなり、大統領の職責のかなりの部分を、分担せざるを得なくなった。


 これは合衆国大統領の行政権限が、膨大なものになっていることにも一因がある。実際コーリー副大統領も、生産と環境の問題や通信行政等について、表立って大きく関与していた。


「すると君があの、ナノカーボン素材で世界市場を支配しようとしている企業を、起業した男か! 大統領から君のことは、将来有望な人物だと聞いているよ」


 随分な高評価だな。そう言えば大統領が屑籠を蹴飛ばし、「コノ大口(びっぐ・まうす)ノ若造ヲ、叩キノメシテ、身ノ程ヲ思イ知ラセテヤレ」と怒鳴り散らした時、この副大統領もその場(オーバルオフィス)にいたんだっけ?


 ドラッカーはナチやコミュニストが用いるプロパガンダの魔力に、震撼させられたのではないでしょうか? 彼の原体験の一つだと思われます。後に彼は、企業はその産み出す富によって、人々が幸福を得る理想の未来を目指せと主張しますが、これってほとんど宗教(?)です。

 しかし現実にはそう上手くいかない。そこで企業から宗教の方へ回帰したのでは、と考えられます。でもそれで、宗教の方が企業化してしまった……では、やってられないです。主人公の反発も、その辺が胡散臭く感じらるせいでしょう。

 プロパガンダという言葉は、1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称から出たとwikiにあります。ドラッカー教という言葉も、過去にはあったようです。きっと宗教には、親和性のあるガジェット(?)なんでしょうね。

             2021.03.12. 野乃

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― 新着の感想 ―
[一言] 宗教は、世に不安があり人々の心が自分だけでは収めることができなくなると蔓延ります。宗教は無いほうがいいとは思いますが、中には本当にりっぱな宗教家もいますので、厄介です。
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