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「つまりあなたが今の仕事をされておられるのは、適性に従って割り振られた路をたどってきたということじゃあありませんか?」
海自の隊員というのは職種によるプロフェッショナル集団だ。現代の軍隊は兵器が進化しハイテク化されているせいもあり、どの兵科でも専門化が進んでいる。
特に最前線では常に船舶という機械を運用し続け、それに頼らなければ戦えない海自ではその傾向が強い(これは空自でも同様)。一般の船舶でも、航海士と機関士が職業教育の基礎段階から完全に別コースであることを知っていれば、これは理解できるはずだ。
採用(入隊)後の適性検査で振り分けられた判定から外れた職種には、それが自衛隊の目的(国益)に合致すると特に認められた場合を除き、最初から進むことはできない。幹部になれば自分の希望より自衛隊の人事要求が優先されるのは、なおさら当然であった。
「ひょっとして出口海将は、艦隊指揮がご希望だったのですか?」
「ああ。だがそんな我が儘が許されるとは考えていなかった」
一般の会社でも営業職として採用された者が、途中から工場で働く生産職に移りたいなどと言い出したら、好意的に受け容れられることはないだろう。それが幹部候補コースに乗った人間なら余計そうである。なにしろコストを掛けてそれまで積ませたキャリアを棄てて、別の職種で新人教育から実施する必要が生じるのだ。
「この偽装空母の運用というのは、全く新たな分野だからな。既成の艦種の運用とは違った発想が求められるから、スタート位置では平等だ。自分にチャンスが与えられても、問題はないはずだ」
いや問題大ありだろう。あんたは少なくとも佐官に昇進した時点から陸に上がっている。今の口ぶりからすると、最初は船務・航海員系の任務に就いていたのかもしれない。だが遅くとも佐官級になってからは、技術・後方支援コースに移りキャリアを重ねてきたはずだ。
それが退職間近になって、前線に戻って指揮をしたいだと!
「自分は立場上、船舶関係ばかりでなく航空の管制や整備、そして空自との連携運用についても研究してきた。この新しい攻撃システムを実戦化する適任者だと思う」
しかし、あんたに指揮される“人間”にとってはどうなんだ? 彼らはずっと陸上勤務であった上官を、抵抗なく受け容れることができるのか? 軍隊は階級制度の下に運営されているから、上からの命令とあれば従わざるを得ないだろう。だが、それでどんな結果が出るかは別問題だ。
「最適な人事だとお考えですか?」
「うむ。自分が歳を取りすぎているとデメリットで見ているなら、それは逆だ」
「逆?」
「若ければ適応力が期待できるという見方もあるだろう。だが退職間近だからこそ、自分を消耗品扱いできる。上手くいかなければ、即刻辞表を出すことに、何の障害もない。自分の連れ合いは数年前に亡くなっているし、子どもはいない。こう言う危ない仕事を任せるには、適任だろう」
こいつナノマシンを投与する前から、はっちゃけていないか? それに将官は六十歳で退官のはずだから、計画の進捗が遅れて一隻目の艤装員長で終わる可能性もあるんだぞ。
「あと二年ですか?」
「そうだ。就役までどの位かかるのかね?」
「最短、一年というところです。でもそれは船体だけですよ。運用するべき航空機の方は、海自や空自の受け入れ体制次第です。訓練を開始できるのが何時になるか……」
「海に出せて実物を展示した後でなければ、空自も海自も幹部の説得などできんよ。資金は保つのかね?」
「うちは米国向けの需要で潤っていますから」
何と、日本の防衛予算の一部を個人資産で賄うことになる! バレたらただ事では済まないが、出口海将は気にする様子も無い。うん、狂ってるな。こんなのが上層部にいる日本の自衛隊って、どうなっているんだ?
「ああ、それから大河内が、例の“ハーネス”による改造の詳細仕様が欲しいと言っていた」
「あれ自体は全体で五十キログラムほどの構造体です。機種別の仕様になりますから、二人が持ち帰った資料には入っていません。無論、離着艦時の誘導システムを含む重量です」
「たった五十キロで三十トン以上の機体を支えるなんて、常識を超えているな。離着艦時誘導システムの扱いは難しいのか?」
「航空基地の滑走路に離着陸させられるパイロットなら、座学と二時間のシミュレータ訓練で十分でしょう。陸上でなら、うちの小型ビジネスジェットで実験済みです。まあ、うちの小型ジェットの最大離陸重量は四・八トンしかありませんが、三十八トンをリフトアップして射出できるのは、この前見た通りです。組み込みの過程で、機体のアビオニクスとの整合性が取れるようにしてあります」
「ちょっとまて! 民間機じゃあないんだぞ! 軍用機のそんな情報を、どこから持ってきた?」
「そこは蛇の道は蛇と言うやつです。今さら驚くことではないでしょう」
「岡田君、第五世代の戦闘機は精密機械だ。そんな出所の分からない野良アビオニクスを積んだ機体に、貴重なパイロットの命を預ける訳にはいかん!」
出口の表情が、一瞬厳しくなった。俺の言う事に疑念を抱くのは、ナノマシンの与えている効果がまだ十分ではないからだ。ワインを追加だな。
「ではパイロット無しで運用しますか?」
「何だと?」
「元々は無人機として運用するためのシステムに、人間であるパイロットが耐えられるような機動という制限を加えた代物ですからね。パイロットと操縦系の間にAIが挟まっているようなものなのです。操縦者を除いてAIをバージョンアップすれば、無人化は可能です」
出口はグラスを持ち上げ、残っていたワインを一息に呑み込んだ。どう受け取って良いか分からず、思考停止というところだろう。ナノマシンの影響下になければ、荒唐無稽だと腹を立て、席を立っているはずだ。
「冗談ではないのだろうね?」
「真面目な話です。軍事行動というものが人間に依存するものでなければ、全て無人化してしまうんですが」
「それではまるで、我々軍人はお役御免ではないか!」
「人間が関与し制御しなければ、戦いは際限ない破壊にしかなりえません。戦争というのは、あくまで人間の仕事ですよ」
俺は社内回線で桃花を呼び出し、ワインを追加で持ってくるよう指示した。今度はスパークリングにしよう。つまみは出来合いのチーズとハムのセットで適当に。
「それは大河内の言っていた、君の……、あー、君の傘下の会社が作り出したものなのかね?」
「何です、それは?」
「国防省の奴らが、六角グループの“見えない工場”と呼んでいるやつだよ。六角産業本体には、君たちが出荷している製品の製造工場が、見当たら無いそうじゃあないか。どういう理由か分からないが、誰も出荷元を突き止められないと言っていた」
「保安対策ですよ。企業を守るための秘密というやつです」
春の昼下がり、近くの小学校の周辺に植えられた桜から、そろそろ花びらが散り始めている。俺は出口海将をどこまで引き込んでどう使ったら良いのか考えながら、桃花の持ってきたスパークリングのコルクを抜いていた。